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【シャニマス】雑記:ノクチルの魅力をいまさら改めて言語化。世界にただ存在しているという人間の在り方

LP編などの話が入るのでご注意ください。

人間が社会的存在だということは共通認識だと思う。

しかし、疲れた人間が自然に包まれたいと旅行に出かけたりするように、人間は一時的に社会から離れ「ただの存在」とでも言うべきものになることもある

そしてただ存在しているだけの時、人は様々な意味から解放される。より正確に言うなら、社会的な意味の束縛から解放され、世界と一体になる。そこには自分の中から湧き出てくる意味や感性だけがあって、それは外から自分を縛るものとは根本から異なるものだ。

このように人間は意味が溢れる社会と「ありのままの世界」とを行き来するが、社会的存在である時間と「ただの存在」である時間の割合は人によって異なる。

enza版の呼称、分かりやすくて言いやすいのはないものか……

シャニマスはそういうところにも焦点を当てている。

「アイドル」が極めて社会的なものだから、作品として「アイドル」を扱う以上、社会的存在としての人間が多く描かれるのは当然だ。そもそも社会的存在としての時間よりもただの「存在」である時間が長い人間なんて世捨て人でもないかぎりはいないわけで、それはシャニマスも例に漏れずである。

そんな中で、ありのままの世界と向き合う「ただの存在」としての人間を強く意識させるアイドルが何人かいる。その筆頭がノクチルだ。

ノクチルはあまりに自然体で、ユニットとしてステージに立っている時ですら、形の上では社会と繋がっているものの、その結びつきは他ユニットと比べて弱い。4人の中で完結しているものが「ただそこに在る」ように映る。

ノクチル以外のシャニマスアイドルにおいて、外部の価値観や常識に縛られにくいという意味で社会的要素が薄い人物としては、芹沢あさひが思い浮かぶ。
ただ、ストレイライトというユニットを見ると、明確に外の世界に向けてパフォーマンスを行っているため、ユニットとしての社会性はむしろ高い。

 4人の特徴

透は社会に向かおうとしていないわけではないが、独特な感性、言葉の出力などが影響して少しズレている。透と社会との繋がり方は、自身と社会の間ですり合わせを行って調整するのではなく、出来事を呑み込んで、そのまま自己を社会に向かって叩きつけるような形であることが多い。
また、彼女の動機は彼女の中にある抽象的な衝動のようなものである。

円香は他者から求められていることを察する能力はあるが、他者の価値観の中では生きたくないという強い感情が作中でも何度かはっきり描写されており、外の世界とは断絶がある(小糸に次ぐ社会的な人間でありながら、人間の社会的な側面を意識的に削ごうとすることが多く、外部との相互作用に乏しい)。

(LP編は、最終的に社会との距離がいい具合に調整される話でもあった)

他者から目的にされることを厭う。ファンのポジティブな反応すら、というのが根深い。
他者が動機にない


雛菜も「雛菜は雛菜の気持ちしかしらない」と言っているように、社会からは距離を置いている。自身の欲求を動機として動く人物であり、ノクチルという小さな社会の中にいる時ですら、外の価値基準に影響されにくい。

円香、小糸、雛菜が透という他者を動機として行動することは多いが、それは結局4人の中で完結している「より小さな社会性」とでも言うべきものであり、ファンなど外の世界のものに向いてはいない。

そんな面々の中で、中学校の時に周囲に馴染めなかったことを気にしていたり、下の画像のように動機を外の世界に持てているという点で社会性が強い小糸が、辛うじてノクチルを「アイドル」に繋ぎ止めている。

小糸LP編。「アイドル」である。

小糸がいなければ他3人がアイドルになれないというわけではない。全員、立場はアイドルなのだから(括弧つき「アイドル」は、アイドルらしいアイドル、外に開かれていて外と結びついているアイドルという意味合いで書いた)。

逆に、小糸が社会性から離れて「ただの存在」になれるきっかけを作るのはノクチルの面々でもあると思う。

本当に小糸の存在は大きいと思う。全く社会と繋がっていないわけではなく、しかし3:1という人数の関係上、社会性が強く前面に出てくるわけではない。ノクチルの絶妙なバランスが放つ魔力は「P」としての自分だけでなく、神視点で物語を見ている一個人の心を鷲掴みにしてくる。

一方で、社会的な価値や意味で縛られない、そのままの輝きというものは彼女たちを「アイドル」として強く認識する作中世界の人々には伝わりにくい。いくらPが下の画像のようなことを考えても、ファンは「アイドル」を見ているのだから当然である。

それこそP自身、どう伝えればいいのか言語化に困っている

我々も、作中ファンも、彼女たちに意味付けをしたりする。
与えられた意味を時に拾いつつも、彼女たちはその意味を纏ったり脱ぎ捨てたりと、完全には縛られない。

社会的なものに縛られず「ただ在る」ということは力強い。
世界」の方が、社会よりもずっと大きいものだからだ。人間が世界の中に社会というものを作っているという前提があるからこそ、世界は時に社会を飲み込みうる。

「天檻」

世界は社会の中には収まらないのだ。

「ただ在る」だけの、世界のものが、ふとしたタイミングの妙で社会の感覚と重なる時、凄まじい爆発力を発揮する。

「飛び跳ねるだけ」で会場を虜にして
求められるアイドルとしてではなく、好き勝手やっているだけで全てを持っていった

「ただ在る」ものを感じる。
オーロラを無心で眺めるような、森林の中でひとり耳を澄ませるような、ただ磯の香りに鼻をくすぐられているような。しかも、こちらから近づいたわけではないのに、社会の中に突然そんな世界が現れたかのように感じさせる力がノクチルにはある。

そしてそのあり方は「アイドル」ではないけれどアイドルなのだ。

小糸について語ったところで軽く述べているように、ノクチルは社会から離れて「ただ在る」だけではない。アイドルとしてのノクチルが存在する限り、外部から意味は付与されるし、彼女たち自身、社会的な存在としてやっていこうという方向性も持ち合わせている。

「さざなみはいつも凡庸な音がする」
この内緒話を聞いた円香は、私も浅倉も雛菜も気にしていないと言う。小糸はというと……

思っているより普通。社会にはめ込もうとすると損なわれてしまうような魅力を持ちながら、社会の中で活動しようとはしている。しかし同時に世界に「ただ在る」だけで人々の心に入り込む魔力を持ち合わせており、思っているより破天荒。これが個人ではなく、ユニットの特徴なのが面白いと思う。

アンバランスでチグハグな存在としての危うさが、我々の目を引きつけて離さない。

「天塵」

透も「天塵」の時点で「うちらがよければ」いいだけではないことは分かっている。

個々人として見た場合は別として、ユニット単位で見た時に最も社会性に乏しい(しかもずば抜けて)のがノクチルだろう。本当に極端で特殊な存在だと思う。


おわり

文体が話し言葉に戻ります。
まとまりがないというか、着地点がよくわからない話でしたね? 
まあ雑記だし。

「他人のために自分を殺すな」。この言葉がそのまま刺さるタイプの人間にもいれば、「他人のために行動することが自分を生かすことだ」というタイプの人もいます。この2つは完全に対立しているわけではなく、重なり合っている部分も大きいのですが、重なり合っている部分に安住できる人ばかりでもないというのが人間の多様性なんだろうな、とか思ったりもします。

本文では特に言及しませんでしたが、特に社会的な存在としての部分が特に強いな~と思うアイドルは、めぐる、三峰、咲耶、アルストロメリア、冬優子、にちかです。

……雑記なので、特にオチとかはないです。

 いいか虎杖
 俺たちは 全身全霊で世界に存在している

呪術廻戦より

雛菜が不義遊戯しながら黒閃出すの想像してちょっと笑った。



すいません、オチありました。

こんなこと語っておきながら、コイツ1年近くシャニマス離れててまだ「ワールプールフールガールズ」読んでないんだぜ! ノクチルが新しく何かを得たり変化したのか、ゆったり読みます。

でも多分先にサポコミュとか読みます。

では。


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