一生好きだ!と思えて幸せな話


わたしがUVERworldと出会ったのは13歳の頃、「働きマン」というドラマの主題歌だった「浮世CROSSING」という曲を聞いたのがきっかけだった。不思議なもので、当時のわたしは浮世CROSSINGは繰り返し聞いたものの、UVERworldの他の楽曲には興味を持たなかった。
本格的に好きになったのは翌年、たまたまCMで聞いたアニメ「D.Gray-man」のオープニングテーマだった「激動」を聞いたときだ。それも不思議なもので、テレビで聞いているときは「UVERworldの曲だ〜」くらいにしか思っていなかったのに、父に連れられて近所のTSUTAYAに行ったときに目に入ったCDの、その赤いジャケット写真になんとなく惹かれて借りてもらったのだ。

いざ聞き始めると、そのかっこよさにまんまとハマってしまった。今思えば、シングルバージョンはイントロが1分近くあるとんでもなく長い曲なのに、よく我慢して聞いたものだ。他の曲も気になって、当時発売されていたアルバム3枚はすぐ借りに行った。大塚愛、Aqua Timezくらいしか聞いたことのなかった14歳のわたしには、UVERworldの楽曲はどれもハイレベルすぎて、初めはビートボックスやボイスチェンジやラップのな少ない曲ばかり聞いていた。SHAMROCK、君の好きなうた、Colors of the heart、Roots、endscape、Just break the limit!とかばかり聞いていたなあ。正直激動も、「好きだ!」と稲妻が走ったような感覚を覚えた割にはBメロがめちゃくちゃ苦手だった。でもサビがとにかく好きで、よく聞いたなあ。懐かしい。

当時中学生でお金がないなりに、お年玉やおこづかいでファンクラブに入会し、CDや雑誌をこつこつ買い始めた。ジャニーズ群雄割拠の2000年代後半、みんなが嵐やらNEWSやらKAT-TUNやら関ジャニ∞やらを好きな中で、わたしはTAKUYA∞をひたすら追いかけていた。自分で曲をつくって歌うアーティストだけが本物なのだと本気で思っていた。

高校生になると両親からライブに行くことの許可が下りた。クラスに唯一いたUVERworld好きの友達を誘って、一緒にライブに行ったのが2010年。5枚目のアルバム「LAST」のリリースツアーだった。会場は大阪城ホール、座席はステージ前方のスタンド席。今でも忘れられないのが、1曲めの「world LOST world」。視線の先にTAKUYA∞が居る。LASTの2曲め、world LOST worldが演奏されている。ものすごくテンションが上がって、ノリノリで右腕を上げていたことを覚えている。

17歳の冬、友達がサカナクションやandropを聞き始めたのをきっかけに、わたしも新規開拓がしたくなって、CDショップやYouTube、ラジオでいわゆる「邦ロックバンド」に出会った。意外と英語詞で歌うバンドが多くて、日本人が英語の歌詞を歌ってこんなにかっこよくなるのか!と、目からウロコとはこのことか、と強烈な印象を覚えた。すぐさま年末のフェスに行き、友達の好きなバンドをいろいろと教えてもらった。ここから今に至るまで、ものすごくたくさんのバンドと出会った。今ではホールツアー、アリーナツアーを組むほど大きくなったバンドに、ライブハウスでたくさん出会った。会場が大きくなる度、オーディエンスの熱量があがる度、何度も心を揺さぶられて感涙してきた。

そんな風に新規開拓し、バンドが大きくなる過程を見ていくことを趣味のひとつにしていたものだから、既に大きくなっているUVERworldに対しての熱量は徐々に、しかし確実に冷めていった。2014年発売の「Ø CHOIR」から次の「TYCOON」が発売されるまで3年開いたのも影響したかもしれない。あと、当時行ったUVERworldのライブハウス公演でファンのマナーが悪すぎて気分を害し、しばらくUVERworldが聞けなくなった時期もあった。ファンクラブ会員とはいえ、入手困難なチケットを手に会場に行くのに、いつも同じMCで同じ流れだなあ、とつまらなさを感じているわたしがいた。

そんな風に思っているわたしをよそに、当然のことながらUVERworldはしっかり進化していた。ライブハウスの件もあり、多少敬遠していたUVERworldがわたしを引き戻してくれたのは、「一滴の影響」という曲だった。確か、ライブで初めて聞いて、モニターに流れてくる歌詞を見ながら泣いた。しばらくCDすら買わず、惰性でチケットを買って会場にいるこんなわたしにも優しく歌いかけてくれているような感覚になって、大いに泣いた。そして同時に、どうしようもなくUVERworldが好きな自分に気がついた。

一滴の影響を聞き、TYCOONが発売されたことで、わたしのUVERworld熱は完全に再燃した。iPodで繰り返し繰り返し楽曲を聞き、ライブにも再びワクワクしながら行けるようになった。誘われて遠征もした。この頃から、UVERworldが好きだ!と自信を持って言えるようになった。改めてちゃんと聴いてみると、WE ARE GOあたりから怒涛のごとくいろんな顔を見せてくれるUVERworldの音楽は、まさに極彩色そのもの。その変化はすさまじく、ライブ会場の規模は変わらないのに、UVERworldのスケールがどんどん大きくなっているように感じた。と、同時に、かつてはあまりしなかった過去曲をセットリストに組み込んでくるようになった。ワクワク感が増すと同時に、歌がうまくなりすぎてかつての歌声じゃなくなったことに少しの寂しさを覚えた。でもそれも、確実にUVERworldが進化している証拠だ。

最新アルバム「UNSER」のリリースツアーの中で、9年越しの東京ドーム公演が組み込まれた。その3年前、日本武道館公演以来の東京遠征に迷いなく行った。席も、ドーム公演なのに双眼鏡が要らないくらい近い良席で、興奮しすぎて涙が出ないほどだった。幸せだ。こんなにかっこいいバンドに出会って、勇気をもらって、活力にできる。一生好きな気がする。そんな中、新型コロナウイルスの発現により、世界は一変してしまった。ただでさえ当時は予定がなかったのに、次いつライブで彼らを見られるのか、見通しが全く立たなくなった。配信ライブもあったけれど、どうしても仕事が休めなかったし、正直当時はあまり見る気になれなかった。

ライブでその音楽に触れられない。東京でしか開催されないライブに、仕方ないと思いつつ、どこかずっと寂しかったんだと思う。新曲がリリースされ、映画館で、テレビで流れる度に、iPodで聞く度に早く会いたくなった。そんな中、ついに2021年9月、大阪城ホールでのライブが決まった。悩んだ末に選んだのは、2日間4公演のうちの3公演目。前日に綾野剛がサプライズで登場したのは正直綾野剛も見たかったしかなりショックだったけど、それでも楽しみだった。座席は、スタンド席、ステージの目の前。

予定通り、開演時間ぴったりに照明が落ちる。オープニングの後、一時すべての照明が消え、次の瞬間、メンバーが登場する。1曲めは、実は初めて聞く「ROB THE FRONTIER」だった。すぐそこでTAKUYA∞が歌っている。2年越しに聞く彼の歌声は、変わらず透明感があって、一方で力強くもあった。他の5人の確かなテクニックとグルーヴに乗せられる声。待っていた景色と音楽がそこにあった。夢中すぎたのか、意外にも涙は出なかった。ただただ、また会えたことが嬉しくて胸がいっぱいになった。新曲が2曲も聞けて、リリース前の曲も聞けて、とても幸せだった。

この日の最後に選ばれた「EN」という曲を聞いて、頭に稲妻が走ったような感覚に陥った。現在放送中のドラマ「アバランチ」で第6話から主題歌となっているこの曲、ドラマの中ではAメロあたりまでしか流れないけれど、ドラマで放送される分よりあとの歌詞がわたしには猛烈に響いた。この歌詞を聞いて、自分の運命は自分で切り開こうと、他力本願じゃだめだと、外部要因が原因のことでくよくよしないように生きようと決めた。綾野剛に会えなかった運のなさを嘆くくらいなら、どうにかして綾野剛に会える人生にしてやろうじゃないの!くらいの強気でライブを終えられた。そして思った。

わたし、UVERworldが一生好きだ。

そう強く思えたことが、幸せだった。めちゃくちゃ嬉しかった。これを書いている、ライブから1ヶ月以上経った今も、幸せだし嬉しい。
というわけで長くなったけれども、一生好きだと思えて幸せな話でした。惰性でライブに行ってた時期もあったのに、しっかりとわたしを引き戻してくれる6人がいつまでも大好きだ。どこまでもついていく。また、そう遠くないうちに、彼らに会えますように。そしていつかきっと、めいっぱいの大歓声で、彼らを迎える日が来ますように願いを込めて。

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