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【閑話休題】NFT市場の現在地①

NFTをいじり始めてから数ヶ月になる。当初はNon Funjible Tokenなどと言って、「非代替可能トークン」などと直訳してイメージしていったところからスタートした。当然実際目にしたことのないものなので、イメージと言っても学術論文やIT系コンサルの味気ないピクト以上のものはなかった。周囲も新しい投資商品と勘違いする人も多く、相当数の問い合わせが来た。某YouTuberの解説をみてもそれが直接何にどのように影響するのかすら理解出来なかった。

しばらくして「OpenSea」というNFT取引所が世の中をNFTアートで席巻するまでに時間はそうかからなかった。初めはアメリカバスケットボールNBAの選手トレーディングカードやNFTゲーム内の土地やアイテムが並べられていた。その中でも話題は売れないデジタルアーティストのアートが数十億円で購入されたことだった。そして、そのアートを市場に出す手軽さも要因のひとつだった。これまで現実は画家といえば、まずは市場ではなく、画商やパトロンという一部の人間に評価されることが重要であった。そこで才能を認められて初めてその人脈から画廊に飾ってもらったり、オークションにかけられ販売するという流通経路であった。その経路が大きく変わったのである。ある意味「アートの流通革命」であった。誰もが自らの作品を世界中の人々(この場合芸術へ投資する。人の裾野も拡がったため)へスマホがあれば届けられる時代になった。そう、一億総芸術家とでも言おうか、自分で若い頃書き溜めた油絵や自らしたためた書や子供の落書きまで数多くの芸術が世界へ放たれた。NFTアートの世界も世界中からその可能性を秘めた芸術への投資を恐る恐る始めた。まもなく、ただのなんの変哲もない絵だと思われていたものやデジタルドットの動物のデザインなどへ大きな資金が流れ込んだ。それを見て誰もが「私も出品しよう」と思ったことであろう。周辺の感度の高い投資家や友人達まで、ドット絵で猿をデザインしたり、子供の絵をデジタル化した。かくいう筆者も自分の声を出品したりした。すぐさま日本のNFT取引所である「COMSA」が開設され日本のNFT市場はさらに加熱した。日本の富裕層や少し感度の高めの大人が殺到した。これまでにOpenseaで英語に苦しめられてきたのが、翻訳とは質の違う日本語で投資出来るからであった。あっという間に征服してしまうほどの流行り方で、著名なインフルエンサーも自らのSNSのアイコンを自らのNFTにしたりしていました。ただ、陰りは割と早くやってきました。NFTは世界中の投資家へアートを見てもらえる、というのが最大のウリであるはずなのをドメスティックな括りで開始するとなると入口は入りやすいが出口が狭いという現象が起こったのは想像に難くない。結局分母の大きい方が有利なのが市場なので、大きな市場へと日本人が戻っていった。(ただ、筆者は今でもCOMSA信者である。エンドースメントという「パトロン」みたいなシステムが何よりも気に入っているからだ。まずはエンドースメントしてくれるパトロンを探す。見つかったら彼は当初設定した手数料を得ることを条件にNFT化時の手数料を肩代わりしてくれるというシステムだ。実質NFT作成ゼロ円)ここまでがここ三ヶ月間のNFT市場の変遷である。学術からあっという間に実際のマーケットが入ってきて、その日本版も参入したが、世界は広い。ということなのだろうか。次回はお金お金お金です。

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