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原発(塩水発電)と石油の巨大利権は表裏一体です。天然資源を悪用し、庶民を騙して大金を貪る上級国民たち。


今回は、生きていくのに切っても切り離せない「エネルギー」についてのお話です。

大きく分けると、「塩水発電」と「燃料」です。
燃料は、現在、自動車などに利用されている「ガソリン」のような「液体燃料」、そして、「都市ガス」のような気体の燃料がありますね。


以下のツイートより、化石燃料(註:実際は「有機由来」ではなく、「無機由来」の可能性大です。)のガソリンや都市ガス、メタン、プロパン、重油、アスファルトは同じ炭化水素のようです。(この件は後半にも触れます。)

https://twitter.com/AllAboutTruth4/status/1118123200347381760?s=20


◇「原発は存在しない」といえる証拠

まずは、原発について。以前から、RAPTブログでは「原発は存在しない」と仰っています。
「原子力発電所という名の施設はあるのに、存在していないとはどういうこと?」と疑問を持たれたあなた。根拠はいくつもあります。以下リンクをご参照下さい。

RAPT×読者対談〈第56弾〉原発も原爆も存在しない。(前編)

RAPT×読者対談〈第57弾〉原発も原爆も存在しない。(後編)

RAPT×読者対談〈第69弾〉科学の嘘はすべて原発に通ずる。 

RAPT×読者対談〈第99弾〉原発も水素自動車もその燃料はただの水と塩。

「原爆」「放射能」は嘘。「平和都市広島」は洗脳の発信地です。その理由と8月6日に隠された意味。

【原発利権の闇】稼働していない原発から毎年1000億の収益を得る企業・日本原子力発電

原発も原爆も存在しないと断言できる幾つもの証拠(1)

原発も原爆も存在しないと断言できる幾つもの証拠(2)

原発も原爆も存在しないと断言できる幾つもの証拠(3)

【福島第一原発に行ってみた!!】やはり原発も放射能も存在しなかった!!



◇原発が海沿いに作られている理由


ーーこちらから引用ーー

あと、日本の「原発」はすべて海沿いにあります。

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一応、炉を冷却するために大量の水が必要であり、その水に海水を利用しているから、というのがその理由のようです。

○原子力発電所ってなぜ海辺にあるのでしょう?日本の原発って海沿いです… – Yahoo!知恵袋

しかし、これまた完全なデタラメであることは言うまでもありません。なぜなら、「チェルノブイリ」は海沿いではなく、かなりの内陸にあるからです。

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では、「チェルノブイリ」ではどうやって炉を冷却していたのかというと、「人工湖」を造り冷却用の水を確保していたとのこと。

つまり、海沿いにわざわざ建てる必要はないということです。なのに、なぜ日本の「原発」は例外なく危険な海沿いに建てられているのでしょうか。

何か別の目的があるのではないかとしか考えられません。

ちなみに、「伊方原発」の近くには、以下のように風力発電のための風車がいくつも建てられています。(出典はこちら)

海沿いだと潮風も強いですからね。風力でたくさんの電力が作れます。

しかも、ダムの下に地下の水力発電所を作ることができる、ということも分かっていますから(詳細は以下のリンクをご覧ください。)、浅瀬の海の底で水力発電をする、ということも不可能ではないかも知れません。

<中略>

また、「火力発電」や「水力発電」よりも「原子力発電」で発電した方が、電力会社にとって利益が大きい仕組みになっています。彼らはこのような仕組みを作るために、「原発」というデマをでっち上げたのかも知れません。

ーー引用ここまでーー


原発がわざわざ海沿いに建てられているのは、海水を燃料に利用しているからなのですね。海水に溶けている塩にはナトリウムやマグネシウムなどのミネラルが含まれています。これらの金属成分は、発電に利用できるのです。もちろん、放射能なんて存在しませんし、となると、ガンも嘘です。

食べ過ぎ飲みすぎや、肉体疲労の蓄積、精神的ストレスなどから、体の痛みが出てしまうことはありますが、生活の内容を変えてみたり、健康的な生活を送れば、たいていの場合、そういった症状は治まっていくでしょう。

「健康になりたいあなたへ」試す価値あり!超カンタン「酸素」吸うだけ健康法。

あなたの健康法、本当に大丈夫?「減塩」「糖質制限」は超危険!その意外な真実とは。



◇燃料電池と電気分解

ここで一旦、「海水発電」の基礎となる「燃料電池」による発電や「電気分解」について基本的な事柄を確認しておきましょう。


ーー<こちら>より引用ーー

電気化学反応で直接発電 !!
発電の原理


<水の電気分解>
水の電気分解とは、中学校でも行われる有名な実験ですが、水に白金電極を入れて電流を流すと、水(H2O)が分解されて水素と酸素が発生するというものです。

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<燃料電池の発電方法>
燃料電池は、水の電気分解の逆で、水素と酸素により水をつくり、その過程で生じる電気を取り出す装置です。
燃料極において、水素燃料を供給することで触媒反応より水素イオン(H+)と電子(e-)を取り出します。 電解質はイオンは通すが電子を通さない物質の為、水素イオン(H+)は、電解質を通り、空気極に移動します。 電子は、電解質に阻まれ移動できないので、外部に取り出すことで、電気を発生させます。 空気極では、酸素を供給することで触媒反応により、酸素(O2)が酸素原子2個に分離。 この酸素原子に移動した電子と電解質を通ってきた水素イオンが結合することより、水(H2O)ができます。

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ーー引用ここまでーー


上の記事では白金が使われていますが、他の金属でも使えますし、片方の電極(プラス極)に空気を利用した形もあるようです。次は、電極に使う金属についてです。


ーー<こちら>より引用ーー

どうしてなのかな
上の写真は身近にある金属を使った電池です。なんと、2種類の金属を食塩水にひたすだけ。このとき、アルミがマイナス(-)極、銅がプラス(+)極。回路計につなぐと、わずかに電気が流れていることがわかります。アルミ、銅、鉄で試した場合、アルミと銅を組み合わせた場合の電圧が最も高く、鉄は銅と組み合わせると-極、アルミと組み合わせると+極になりました。金属の組み合わせによって、電気の強さと流れる向きがちがうみたい?!


そうかなるほど
金属には陽イオン※1になりやすい性質があります。つまり、金属原子から電子がはなれてプラスの電気をおびやすいという性質です。この陽イオンへのなりやすさを金属のイオン化傾向といいます。金属によってイオン化傾向には差があり、イオン化傾向の大きい順にならべたものをイオン化列といいます(図1)。このイオン化傾向が電気の強さ(電圧)と流れる向き(極性)に関係しています。電気を通す溶液(今回の実験では食塩水)にひたした金属は、わずかにとけだして陽イオンになります。陽イオンになるときにはなれた電子は、金属の表面に残されます。2種類の金属を食塩水にひたしてリード線でつなぐと、電子は数の多い方から少ない方へ移動し、電流になります電子を出す方が-極、入る方が+極。アルミは、鉄や銅よりイオン化傾向が大きく陽イオンになりやすいため、その表面に残る電子の数が鉄や銅よりも多く、-極になります逆に銅は、アルミや鉄にくらべてイオン化傾向が小さく、その表面に残る電子の数が少ないため、+極になります。鉄のイオン化傾向は、銅より大きくアルミより小さいため、銅と組み合わせると-極になり、アルミと組み合わせると+極になります。また、2種類の金属のイオン化傾向の差が大きいほど、移動する電子の数が多いため、より強い電気が取り出せます。アルミと銅を組み合わせた場合の電圧が一番高いのは、鉄との組み合わせにくらべて、イオン化傾向の差が大きいからなのです。


イオン化傾向 content03

※1:イオン
あらゆる物質は原子が集まってできています。原子はプラスの電気をもつ原子核とマイナスの電気をもついくつかの電子でできていて、ふだんはプラスとマイナスが打ち消し合って電気をおびていない中性の状態になっています。この原子から電子がはなれると、マイナスの電気量が減ってプラスの電気をおびます。逆に電子が加わると、マイナスの電気量が増えてマイナスの電気をおびます。このように原子や分子がプラスやマイナスの電気をおびたものをイオンといい、前者を陽イオン、後者を陰イオンといいます。

ーー引用ここまでーー

・陽イオンへのなりやすさを金属のイオン化傾向という。
・イオン化傾向が電気の強さ(電圧)と流れる向き(極性)に関係。
・電子は数の多い方から少ない方へ移動し、電流になる。
・電子を出す方が-極、入る方が+極。
・2種類の金属のイオン化傾向の差が大きいほど、移動する電子の数が多いため、より強い電気が取り出せる。


次は、海水についてみていきましょう。

ーー<こちら>より引用ーー

構成成分[編集]
海水の塩分濃度は測定の位置により一様ではないが、塩分の構成についてはほぼ一定である。
水 96.6 %
塩分 3.4 %
この内、塩分は、
塩化ナトリウム 77.9 %
塩化マグネシウム 9.6 %
硫酸マグネシウム 6.1 %
硫酸カルシウム 4.0 %
塩化カリウム 2.1 %
その他
となっている[2]。 

ーー引用ここまでーー


マグネシウム発電は、バッテリーやランプなどの商品が既に販売されていて、徐々に認知されています。


ーー<RAPT×読者対談〈第99弾〉原発も水素自動車もその燃料はただの水と塩。>より引用ーー

RAPTさん、追記で失礼します。

読者対談〈第96弾〉のコメントに原発は水素発電の可能性があると書いたのですが、もっと面白いものがあったので記載します。

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■ 水発電 アクアパワーLEDライト NWP-AL

アクアパワーライト s_rescue_nwp-al

 ●金属空気型 燃料電池を搭載。

 ●水と少量の塩を入れるだけで連続80時間点灯する優れもの。

 ●本体のON/OFF回転スイッチを操作することで、パワーバーを水中につけたり(発電)、水から出したり(発電ストップ)できますので、連続80時間ではなく、合計80時間という使用もできます。

 ●パワーバー(負極)を買い替えると何度でもご使用いただけます。

http://store.shopping.yahoo.co.jp/rescue/nwp-al.html?sc_e=slga_pla

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「水と少量の塩を入れるだけで連続80時間点灯する優れもの。」

これも水と塩で発電できます。

そしてパワーバー(マグネシウム)を入れ替えることで何度でも発電できるようです。

以下がシステムの説明図になります。

マグネシウム空気電池 rescue_nwp-al_1

ーー引用ここまでーー

上記のLEDライトは「マイナス極」に「マグネシウム」、「プラス極」に「空気」が使われています。

ここで気になったのが、「イオン交換膜」。「純水装置」にも「イオン交換膜」が使われています。水道民営化に麻生太郎が関係する「ヴェオリア」が参入しています。「原発(海水発電)」と「水(純水)処理」は繋がっていそうです。

電気再生式純水装置  wtschool_009_image1

<連続式電気脱イオン装置の原理>(こちらから引用)


また、塩化ナトリウムの含有量は「77.9%」と群を抜いて多く含まれています。
そして、この「ナトリウム」を使った発電もありました。「金属ナトリウム」に加工して利用するようです。またこの金属ナトリウムは、酸素に触れると発火するようです。なので油に浸してから運搬し、使うときにはふき取って使います。


ーー<こちら>より引用ーー

ナトリウムに室温で水を注げば、水素を大量に発生します。このナトリウムを消費地に運び、火力発電所や車載用燃料電池に水素を供給す
る水素ステーションで水を注ぎ、水素を発生させる。一般に、ナトリウムは水や湿った空気に触れると爆発的に反応します。 これが “ナトリウム”
は危険だと言われる由来ですが、この“危険”こそが、凄いエネルギー源なのです。
 このように、水に触れさせるだけで、大量のエネルギーを生み出す物質が他に在るでしょうか。しかも、水よりも軽いのです。幸いなことに、
ナトリウムは少量の灯油または軽油の中に浸しておけば、表面が油の皮膜で覆われるため、空気と遮断され、保管・運搬とも安全である。
しかも、放射能も、CO2も出さず、地域依存性も無く、枯渇の心配も無い。さらに良いことには、廃棄物の苛性ソーダが化学工業の重要な薬品です。それが
只で出来るのですから、これほど素晴らしい燃料源は在りません

ーー引用ここまでーー



この(金属)ナトリウムを利用した発電システムは「日本曹達」「デュポン」が共同開発しているようです。

https://twitter.com/sh51498424/status/1174262835414802432?s=20



ーー<こちら>より引用ーー

日本曹達株式会社(ニホンソーダ、英文名:Nippon Soda Co., Ltd.)は、東京都千代田区に本社がある日本の化学会社。略称は「日曹」(にっそう)。かつては日曹コンツェルンの中核企業であった。

事業内容[編集]
農業化学品、医薬中間体、電子材料等の高付加価値有機・無機化学製品及び各種工業薬品等の製造・販売を行う。
クロールアルカリ事業
カセイソーダ、塩素、塩酸、カリ製品、青化製品 他
機能性化学品事業
半導体フォトレジスト材料、染料製品、特殊樹脂 他
アグリビジネス・飼料添加物事業
殺菌剤、殺虫・殺ダニ剤、除草剤、飼料添加物 他
環境化学品事業
水処理剤、殺菌消毒剤、光触媒、PCB無害化処理 他
医薬品事業
医薬中間体、製剤用添加剤 他

事業所[編集]
本社:東京
支店:大阪
営業所:札幌、仙台、関東(さいたま市)、高岡、福岡
工場:二本木(上越市中郷区)、高岡、水島(倉敷市)、千葉(市原市)
研究所:小田原、千葉、各工場生産技術研究所
海外:ニューヨーク、ブリュッセル、デュッセルドルフ、サンパウロ、上海ほか

沿革[編集]
1913年(大正2年) 創立者中野友禮、電解法ソーダの特許を取得。
1920年(大正9年) 日本曹達株式会社設立、資本金75万円。二本木工場(新潟県上越市中郷区)の操業開始。
1949年(昭和24年) 東京証券取引所・大阪証券取引所に株式上場。
1960年(昭和35年) アメリカのマスタービルダーズ社を吸収合併したマーティン・マリエッタ社と合弁で、日曹マスタービルダーズを設立[1]。
1963年(昭和38年) 日曹油化工業株式会社を設立。
1969年(昭和44年) 日曹化成株式会社(千葉県市原市)を設立。
1970年(昭和45年) 福島県耶麻郡の日曹金属会津工場でカドミウム公害が深刻化。
1999年(平成11年) 日曹化成株式会社を合併(同社千葉工場となる)。日曹油化工業株式会社株式の全部を、丸善石油化学株式会社に譲渡。

<中略>

その他[編集]
日曹コンツェルン[編集]
重化学工業から発達した昭和の新興財閥の一つに数えられた。1940年(昭和15年)には傘下企業が42社まで増え、日曹コンツェルンと呼ばれた。その後、第二次世界大戦後GHQの指定する15社に数えられ、財閥解体された

ーー引用ここまでーー


ーー<こちら>より引用ーー

日曹コンツェルン(にっそうコンツェルン)は、中野友禮が1920年日本曹達を設立したことによってうまれた昭和期の新興財閥。十五大財閥の1つ。

 
歴史[編集]
中野友禮が大学時代に食塩電解法によるソーダ製造に成功し特許を取得。その技術を元に1920年日本曹達株式会社を設立。好景気、株式公開の資金を元にソーダ生産企業を傘下におさめていき事業を拡大していく。
しかし、30年代後半には急速な成長による組織の未整備、借入金の増大などで事業が悪化。中野は退陣し、政府主導による事業統合などにより事実上の解散。敗戦後占領軍の財閥解体の指令により正式に解体された。
現在事業を継承している会社は日本曹達、大平洋金属、興人(三菱商事グループ)、日曹金属化学、日曹油化工業(丸善石油化学グループ。現在は丸善石化に合併)、三和倉庫(日本曹達グループ)、三菱伸銅(三菱系列・三菱マテリアルグループ)など。

ーー引用ここまでーー

日曹コンツェルンの事業を継承しているは現在、三菱系企業が中心です。
安倍晋三の兄も三菱の幹部でした。

天皇とともに日本国民を地獄のどん底に突き落としてきた「三菱グループ」の正体。


ーー<こちら>より引用ーー

デュポン(Du Pont)は、アメリカ合衆国・デラウェア州・ウィルミントンに本社を置く化学メーカー。正式社名はデュポン・ド・ヌムール(DuPont de Nemours, Inc.)。日本法人はデュポン株式会社。ニューヨーク証券取引所上場企業(NYSE: DD)。 

デュポン(Du Pont)は、アメリカ合衆国・デラウェア州・ウィルミントンに本社を置く化学メーカー。正式社名はデュポン・ド・ヌムール(DuPont de Nemours, Inc.)。日本法人はデュポン株式会社。ニューヨーク証券取引所上場企業(NYSE: DD)。 

概要[編集]
規模は世界第4位・アメリカで第2位(世界最大はBASF)[5]。石油会社を除けば時価総額ベースでは世界で四番目に大きい化学会社である。メロン財閥、ロックフェラー財閥と並ぶアメリカの三大財閥と称されることもある。後者とは閨閥である(Du Pont family)。第一次世界大戦・第二次世界大戦では火薬や爆弾を供給したほか、マンハッタン計画に参加しワシントン州ハンフォード・サイト、テネシー州のオークリッジ国立研究所でウラニウムの分離・精製やプルトニウムを製造するなどアメリカの戦争を支えた。

沿革[編集]

兵器産業[編集]
創業者はパリ生まれのフランス系アメリカ人のエルテール・イレネー・デュポン(1771年 - 1834年)である。エルテールの祖父はユグノー派(フランス・プロテスタント)の時計職人で、父は経済学者で政府の官僚にもなったピエール=サミュエル・デュ・ポン・ド・ヌムール(Pierre Samuel du Pont de Nemours)であった。
フランス革命を避けて(エミグレ)、1799年に一家でアメリカに移住したエルテールは、アントワーヌ・ラヴォアジエに師事し化学知識があり、黒色火薬工場としてデュポン社を設立した。
当時、アメリカで生産されていた黒色火薬は、極めて粗悪であったため、ビジネスは成功した。徹底的な品質管理と安全対策、そして高品質によりアメリカ合衆国連邦政府の信頼を勝ち取り、南北戦争で巨利をあげた。
20世紀までには、ダイナマイトや無煙火薬などを独占して製造するようになった。  

戦間期の技術開発[編集]
デュポン家は草創期の自動車産業に着目し、1914年にはピエール・デュポンがゼネラルモーターズ(GM)に出資した。後に彼は社長に就任し、彼の指揮とデュポン社の支援の下、ゼネラルモーターズは全米一の自動車会社へと成長した。GM支援とは別に、1919年から1931年にかけては自社でも自動車を製作した。エンジンは主にコンチネンタル社製を使用した。
1920年代以降は化学分野に力を注ぎ、1928年には重合体(ポリマー)の研究のためにウォーレス・カロザースを雇い、彼のもとで合成ゴムやナイロンなどが発明された。さらにテフロンなどの合成繊維、合成樹脂や農薬、塗料なども研究・開発し取り扱うようになった。一方、第一次世界大戦の賠償として接収ずみのデグサNYを1930年から2年ほどかけて買収した。軍事火薬生産も盛んで、1934年からナイ委員会の調査対象となった。陸軍の割当を受ける当時の独占率は97%もあった。世界恐慌の前後インペリアル・ケミカル・インダストリーズとカルテルを数回締結したが、1929年の協定はIGファルベンの参加を構想していた[6]。

戦後の多角経営[編集]
1957年、デュポン社が反トラスト法の適用を受けてGM株を放出した。その後、デュポン社は化学製品の開発を通じてアポロ計画の成功にも寄与した。1981年、大手石油会社コノコを100%子会社にしたが、1999年に売却した(現コノコフィリップス)。近年はナイロン事業や医薬品事業などを売却する一方、農業科学・栄養健康・産業用バイオサイエンスなどの高成長分野に注力しており、モンサント社・シンジェンタ社と並ぶ大手種子会社としての顔を持っている。デュポン社の製品は環境問題となったことがある。例えばテフロン製造に伴い使用されるペルフルオロオクタン酸(C-8)の健康への危険性(発がん性など)を隠して作業員などに健康被害を起こしたことで合衆国の環境保護庁(EPA)に訴訟を起こされた。また、ゼネラルモーターズとともにフロン類(クロロフルオロカーボン、CFC)の発明・製造を行い、長年にわたって市場シェアの多くを占めてきた。オゾン層破壊と温室効果が問題になった1980年代末になってデュポンはCFCの製造販売からの段階的退出を表明したが、1990年代半ばまで製造を続けていた。その後はハイドロクロロフルオロカーボン(HCFC)、ハイドロフルオロカーボン(HFC)などの代替フロン開発を進めCFCからの置き換えのリーダーシップをとっているが、HCFCやHFCにも高い温室効果があることが問題視されている。 

ーー引用ここまでーー


どちらも財閥企業でした。

「三菱」といえばロゴが「赤い盾」で「ロスチャイルド」。
「デュポン」は「火薬」を扱っているので、「メディチ家」の末裔でしょうか。ロゴも「赤」なので「ロスチャイルド」ですね。

RAPT×読者対談〈第108弾〉世界はアーリア人(秦氏)とチュルク族(月派・出雲)の抗争の上に成り立っている。


デュポンは、広島や長崎に落とされた原爆の実験を行った「マンハッタン計画」にも関与しています。(※冒頭でリンクを貼りましたが、RAPT理論では「原爆は存在しない」ことを証明されています。)

実は、この「マンハッタン計画」の裏で、アメリカを主とした連合国が敗戦国のドイツ(ロスチャイルド(=秦氏)の研究者をアメリカ(出雲族・李家)に連れて帰った「ペーパークリップ作戦」が行われ、原子力=原爆(=マグネシウム爆弾)・原発(=海水発電)や石油(=人造石油)やロケットなどの研究を行わせていたようです。



◇アメリカ軍がドイツ研究者を連れ帰った「ペーパー・クリップ作戦」の目的は、「人造燃料」や「海水発電」などの新技術を研究・開発させるためだった。


ーーこちらより引用ーー

ペーパークリップ作戦(ペーパークリップさくせん、英:Operation Paperclip)は、第二次世界大戦末から終戦直後にかけてアメリカ軍が、ドイツ人の優秀な科学者をドイツからアメリカに連行した一連の作戦のコード名である。ペーパークリップ計画 (Project Paperclip) とも呼ばれる。1945年、統合参謀本部に統合諜報対象局 (Joint Intelligence Objectives Agency) が設けられ、この作戦に関する直接的な責任が与えられた[1]。 

オーゼンベルク・リスト[編集]
ドイツ軍需産業界は長期戦に対する準備ができていなかったために独ソ戦の長期化とアメリカの参戦が続き、戦略上不利な立場に立たされた。そこで、ドイツは兵器の研究開発に活かすことができる技術を持つ科学者と技術者を前線部隊から呼び戻す取り組みを1943年春から開始した[2]。それ以前は科学者や技術者の徴兵猶予の制度は存在しなかった。 


博士号を持つ兵士は徹夜の歩哨任務から解放され、科学分野の修士号を持つ兵士は前線勤務から呼び戻され、数学者は炊事部隊から母国に呼び戻され、そして、精密機械の設計者は軍用トラックの運転手であることをやめた。
— ディーター・K・フツェル


科学者と技術者を前線から呼び戻すためには、最初にその人材を特定し、特に彼らの忠誠心を推し量るために更に追跡調査を必要とした。その調査結果は国防研究団体(独:Wehrforschungsgemeinschaft)代表のハノーファー大学の工学者ヴェルナー・オーゼンベルク (Werner Osenberg) によってまとめられた[3]。これがオーゼンベルク・リストである。1945年3月に、ポーランド人の実験助手はきちんと流されていないトイレで細かく破られたオーゼンベルク・リストの切れ端を見つけた[4]。アメリカ軍の兵器開発部局であるアメリカ陸軍武器科とジェットエンジン開発部門のロンドン支部の責任者であったロバート・B・ステイバー少佐は、尋問すべきドイツ人科学者のリスト(ブラック・リスト)をまとめるためにオーゼンベルク・リストを用いた。「ブラック・リスト」はコード名であり、そのリストの筆頭には、ロケット工学者ヴェルナー・フォン・ブラウンの名前があった[5]。

オーバーキャスト作戦[編集]
ロケット工学者のみを尋問しようとする当初の計画は、1945年5月22日にステイバー少佐が国防総省に緊急の外電を送った後[4]、「太平洋戦争遂行のために重要」としてドイツ人技術者とその家族を米国に避難させるように変わった[4]。また、そのとき同様に強く求められていたのは、ソビエト連邦にドイツ人技術者の持つノウハウを与えないことであった[6]。アルソス・ミッション(英語版)では、ドイツの核エネルギー計画の頭脳であったヴェルナー・ハイゼンベルクは、「彼の存在は我々にとってドイツ軍10個師団より価値がある。」とさえ言われた[6]。
ロケット工学と原子核物理学を専門とする科学者に加え、様々な連合軍のチームがドイツ人の化学戦(神経ガス)、軍事医学(航空医学)及びUボート兵器の専門家も探し出そうとしていた。アメリカ海軍は1945年5月にヘルベルト・A・ヴァークナー (Herbert A. Wagner) 博士を獲得していた。ヴァークナー博士は最初にロングアイランドNYマンション[7]で、それから、1947年に海軍航空ステーション・ポイント・マグー (Naval Air Station Point Mugu) で雇われた。
大部分の科学者はV2ロケットと関係しており、ロケット技術者は最初にドイツ・バイエルン州ランツフートの住宅団地に彼らの家族とともに収容された。オーバーキャスト(曇天)作戦という秘匿名称は1945年7月19日に統合参謀本部によって命名されたが、ランツフートの住宅の通称に「キャンプ・オーバーキャスト」が公然と使われていたため、秘匿名称をペーパークリップ作戦に変更された[5][4]。1958年までに、ペーパークリップ作戦の多くの側面が一般に知るところとなった。同作戦については、フォン・ブラウンに関するタイム誌記事でも公然と言及されていた[8]。
なお、つれて来られた科学者の中にはシューマン共鳴で広く名を知られることになるヴィンフリート・オットー・シューマン博士(ブリル協会の科学部門の責任者でSSのE-4セクションとの共同で特殊な航空機の開発に関わっていたと伝えられる人物)も含まれる。 

科学者達のその後[編集]
1945年8月の初めに、アメリカ陸軍武器科のロケット開発部長であったオルガー・N・トフトイ大佐は、ロケット工学者達に最初の1年契約を申し入れた。127人の科学者は、トフトイが彼らの家族の面倒を見ることを約束したあと、申し入れを受け入れた。
対日戦が1945年8月に終結したがその後もプロジェクトは継続され、同年9月に、最初のグループとしてヴェルナー・フォン・ブラウン、エーリッヒ・W・ノイベルト (Erich W. Neubert) 、テオドール・A・ポッペル (Theodor A. Poppel) 、アウグスト・シュルツ (August Schultze) 、エーバーハルト・F・M・リース (Eberhard F. M. Rees) 、ヴィルヘルム・ユンゲルト (Wilhelm Jungert) 、及びヴァルター・シュヴィデッツキー (Walter Schwidetzky) の7人のロケット工学者がドイツからアメリカのフォート・ストロングに到着した[4]。ロケット工学者達は最終的に、アメリカ陸軍省特別職員としてホワイトサンズ性能試験場でのロケット試験のためにテキサス州フォート・ブリスに到達した[2]。
1950年前半、科学者達はメキシコから合法的にアメリカに入国し、そこのアメリカ領事館でビザが発行されたが、このとき若干の「ペーパークリップ・スペシャリスト」に法的(制限が課された)身分が与えられ、後の10年にわたって一部の科学者の戦時中の活動が調査された[5][9]。アルトゥーア・ルドルフはV2ロケット製造工場のあったノルトハウゼンのドーラ強制収容所 (Mittelbau Dora) と関係し、ゲーリングの航空省航空医学研究所長フーベルトゥス・シュトルクホルトは海上に不時着したパイロットを助けるために、また、高高度を飛行する爆撃機パイロットに対する影響を研究する人体実験に関与していた。
86人の航空学の専門家はライト・フィールドに移され、それはラスティ作戦の下で航空機その他の器材を得もした[10]。
アメリカ陸軍通信処は24人の専門家を雇用した-物理学博士のゲオルク・ゴウバウ、ギュンター・グットヴァイン、ゲオルグ・ハス、ホルスト・ケデスディ及びクルト・レフォフェック、物理化学者のルドルフ・ブリル教授、エルンスト・バールス博士及びエーバーハート・ボス博士、地球物理学博士のヘルムート・ヴァイクマン、技術光学博士のゲルハルト・シュヴェシンガー、そして電子工学博士のエードアルトゲルバー、リヒャルト・グエンターとハンス・ツィーグラーを含んだ[1]。
アメリカ鉱山局は、1946年にミズーリ州ルイジアナの合成燃料工場で、7人のドイツの合成燃料科学者を雇用した[2]
1959年に、フリードヴァルト・ヴィンターベルク、ハンス・ドレツァレークとフリードリヒ・ヴィガントを含む94人のペーパークリップ個人がアメリカに渡った[7]。1990年まで、アメリカとイギリスは、ペーパークリップによって約100億ドルと評価される「知的賠償」(主にドイツの特許と産業プロセス)を伴う合計1,600人[7]の人員を得た[11]。

ーー引用ここまでーー


「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」は「量子力学」の確立に大きく貢献した人物です。
この量子力学と「アインシュタイン」の発表したインチキ理論の代表格である「相対性理論」を無理矢理こじつけで結び付けたのが「超ひも理論」です。
これら全てが嘘だらけの理論だとRAPTブログで証明されています。


ーー<RAPT×読者対談〈第71弾〉嘘と矛盾だらけの核技術。>より引用ーー

まあ、「相対性理論」が嘘だし、「量子力学」にも多くの嘘が混ざっているはずなので、この二つの理論がうまく噛み合うわけがありません。

この動画でも「相対理論」と「量子力学」の両方が正しいということはあり得ない、とはっきり言ってますし(笑)。

で、そうやって嘘と嘘とを無理やり噛み合わせようとするから、「超ひも理論」では、この宇宙が10次元、時間をプラスして11次元の世界から成り立っている、などとややこしい話になってしまうわけです。

本当、こんなくだらない話にまともに付き合っている物理学者たちが気の毒でなりません。早くそんな無意味な学問から足を洗って、まともな現実世界に出てきてほしいものです。

私もかつては小難しい哲学書ばかりを読んで頭が混乱していた時期がありましたので、その苦しみがどれほどのものかよく分かります。

ちなみに、私は今、アインシュタインの「相対性理論」抜きでこの宇宙のカラクリを説明できるようになりつつあります。これもいずれ記事にして公開したいと思っています。

お前みたいな文系にそんなことができるか、と思ったあなた。残念でした。この宇宙はあなたが考えるほど複雑なものではありません。とてもシンプルで単純なものです。

なので、インチキ物理学者たちが「大統一理論」などという嘘をでっち上げる前に、本当の宇宙のカラクリを誰もが納得できるように解き明かしてみたいと本気で思っています。

こうして「原発」やら「核融合」について調べてみると、どうもイルミナティの連中は、この世の全てのものが「目に見えない小さな粒子」から成り立っていると言っていることが分かってきました。

もちろん、この世の物質が目に見えない小さな「粒子」から作られていることは間違いないと思います。

しかし、光も「粒子」、質量も「粒子」、なんでもかんでも「粒子」にして、「粒子」でないものまで「粒子」にしてしまい、その上、それを本物の「粒子」と一緒くたにしてしまうから、物理学がインチキ臭くなってしまっている可能性があります。

ーー引用ここまでーー


嘘で塗り固められた「原子力理論」をつくりあげたドイツ人インチキ物理学者の「ハイゼンベルク」と「アインシュタイン」が所長を務めたのが、「マックス・プランク研究所」(註:前進は「カイザー・ヴィルヘルム協会」)です。

この、「カイザー・ヴィルヘルム協会」が「人造石油」に絡んでいます。というよりも、この組織が研究・開発していました。


◇「フィッシャー・トロプシュ法」=「gas to likid」により生成される「人造石油(燃料)」


ーーこちらより引用ーー

フィッシャー・トロプシュ法(フィッシャー・トロプシュほう、Fischer-Tropsch process、FT法)は一酸化炭素と水素から触媒反応を用いて液体炭化水素を合成する一連の過程である[1]。触媒としては鉄やコバルトの化合物が一般的である。この方法の主な目的は、石油の代替品となる合成油や合成燃料を作り出すことである。「フィッシャー・トロプシュ反応」や「フィッシャー・トロプシュ合成」とも呼ばれる。 

反応過程[編集]
基本的なFT法は、以下のような化学反応を用いるものである[1]。
( 2 n + 1 ) H 2 + n CO ⟶ C n H 2 n + 2 + n H 2 O {\displaystyle {\ce {{(2{\it {n}}+1)H2}+{\it {n}}CO->{C_{\it {n}}H_{2{\it {n}}+2}}+{\it {n}}H2O}}}

上記の反応で出発物質となる一酸化炭素 CO や水素 H2 は、メタン(天然ガス)の部分燃焼
C + H 2 O ⟶ H 2 + CO {\displaystyle {\ce {C + H2O -> H2 + CO}}}

あるいは石炭やバイオマス(生物資源)のガス化
C + H 2 O ⟶ H 2 + CO {\displaystyle {\ce {C + H2O -> H2 + CO}}}

あるいはメタン(天然ガス)や石油類といった炭化水素のガス化
− CH 2 − + H 2 O ⟶ CO + 2 H 2 {\displaystyle {\ce {{-CH2-}+ H2O -> CO + 2H2}}}
(水蒸気改質法)
− CH 2 − + 1 2 O 2 ⟶ CO + H 2 {\displaystyle {\ce {{-CH2-}+ 1/2O2 -> CO + H2}}}
(部分酸化法)
などで作られる。
石炭や生物資源と水蒸気の反応に必要なエネルギーは、系中に酸素を存在させ、以下の反応式
C + 1 2 O 2 ⟶ CO {\displaystyle {\ce {C + 1/2 O2 -> CO}}}

で表される燃焼による反応熱によって供給する。
メタン(天然ガス)や石油類などの炭化水素と水蒸気の反応(水蒸気改質法)に必要なエネルギーは、メタン(天然ガス)や石油などの一部を取り出して反応装置の外部で空気と一緒に燃焼(バーナー)させて供給する。
一酸化炭素と水素の混合物は合成ガスまたはシンガス (syngas) と呼ばれる。
フィッシャー・トロプシュ法で合成された炭化水素化合物は精製過程を経て、合成燃料として製品化される。

本法の主目的は、石炭や様々な種類の含炭素廃棄物などの固体原料から液体の炭化水素(人造石油)やメタンガスを作り出すことである。
固体状態の有機物を熱分解・乾留することによって得られる合成ガス(水素+一酸化炭素)は、燃料ガスとして利用することもできるが、石油のような燃料や、潤滑油、ワックスが必要な場合にはフィッシャー・トロプシュ法が適用される。
また、本法は用いる触媒や反応条件によって性質の異なる生成物が得られる。 鉄系触媒ではガソリン留分に富む人造石油ができる一方、白金族触媒ではパラフィンが得られ、それを水素化分解することで灯軽油主体の人造石油が得られる。[要出典]なお、水素ガスの製造が求められるならば、水性ガスシフト反応によって、炭化水素を副生させることなく水素と二酸化炭素のみを作り出すこともできる。

歴史[編集]
カイザー・ウィルヘルム研究所に勤務していたドイツの研究者、フランツ・フィッシャー (Franz Fischer) とハンス・トロプシュ (Hans Tropsch) によって1920年代に開発されたのが起源である[1]。それ以来多くの改良や調整が施され、今日では類似する方法の総称として「フィッシャー・トロプシュ」の名が用いられる。
1920年代のドイツは石油資源には乏しかった上、戦時には英海軍に海洋封鎖されることが予想され、石炭には恵まれていたことからこの方法が開発された。第二次世界大戦下のドイツや日本で代替燃料の製造に利用され、ドイツではこの種の代替燃料はエアザッツ (Ersatz) と呼ばれた。ドイツは1944年には25の工場から1日当たり124000バレル、年間650万トンに達する量を作り出した[2]。
戦後、捕らえられたドイツの科学者たちはペーパークリップ作戦 (Operation Paperclip) によってアメリカに移送され、合成液体燃料計画 (Synthetic Liquid Fuels Program) によって設立されたアメリカ合衆国鉱山局 (United States Bureau of Mines)で合成燃料の研究を続けた。
戦後、白金族触媒を用いて、ジェット油や軽油に富む合成石油を作れるようになった。

本法による人造石油は2016年現在、税抜きコストでは、700気圧圧縮水素の1/2である。
現在、本法は「電気分解で製造した水素に、炭素を化合させて 人造石油にするキーテクノロジー」「再生可能エネルギーと有機ゴミで、ジェット機を飛ばし、ガソリン車を動かし、プラスチックを合成する技術」としてベルギウス法とともに脚光を帯びている。 

ーー引用ここまでーー


私もつい最近まではこんな技術があったとは、はっきりとは知りませんでした。しかも、第一次大戦~第二次大戦頃から研究・開発が始まって、第二次大戦末期には実用化されていたようです。
こんなにも前から「人造石油」があったのに、世界中の「上級国民」たちは、今でも「産油国」の辺りで戦争を起こしたり、国家間の揉め事のせいなどの理由をでっちあげて、原油価格を高騰させています。どこまでも酷い話です。


日本国内ではどのような動きがあったのか、詳細が気になるところですね。これがまた、現在の上級国民・イルミナティの頂点だと考えられる「麻生太郎」や「ユダヤ人移住計画」に結びついている「満州」や「北海道」に繋がっています。


満州国へのユダヤ人移民計画が失敗し、パレスチナにイスラエルが建国されるまで。または「河豚計画」が声を大にして語られない理由。

RAPT×読者対談〈第89弾〉ニューエイジと満州と大本教と蝦夷共和国。背後にいるのは同じ一族。

RAPT×読者対談〈第106弾〉出口王仁三郎と日本軍による世界征服計画とその失敗。

RAPT×読者対談〈第121弾〉清和源氏と日本会議と蝦夷共和国と緑の星。

【麻生太郎と安倍晋三はユダヤの末裔!!】水面下で進むユダヤ人日本移住計画


◇北海道の人造石油事業


ーーこちらより引用ーー

1. はじめに-石炭液化技術の歴史-
石炭を液体の燃料油に転換する技術はドイツ,イギリスで早くから開発されている。その最も容易な方法は石炭を500~600℃で乾留して燃料油やタールを得る低温乾留法である。しかしこの方法は収率が10%と低く,残ったコークスの処理が問題である。
これに対して高圧下で石炭・重油ペーストに水素を添加して,直接液化する方法がベルギウスにより1913年に開発された。この水素添加法は褐炭原料にも適用できるので1930年代に欧州で広く普及した。1940年のドイツの実績でも水素添加法による人造石油は15万トン/年であり,以下のフィッシャー法の7万トン/年を上回っていた。普通は石炭液化とはこの直接法の略称である。日本においても当時の海軍がこの方式に注力していたが,特許の関係および技術上の問題により,工業化は数工場のみであった。

フィッシャー法は先ず石炭を完全に分解して水性ガス(CO, H2)を生成して,水性ガスから触媒を用いて液状炭化水素を合成する方法で,間接液化法と呼ばれる。狭義ではこの間接液化法によるものを人造石油とよぶ。水性ガスからの人造石油合成には適切な触媒の開発が必要であったが,1920年代にフィッシャーとトロプシュにより珪藻土担体のコバルト触媒を用いた常圧下の合成法が開発された。 このフィッシャー法はルア ー・へミー社 (Ruhrchemie,ルール化学)により1936年には実用化されて,1941年にはドイツで9工場が操業していた。
日本では三井鉱山(三井化学)が目黒の研究所で1920年頃から先駆的に石炭液化の研究を開始した。しかし結局独自技術はあきらめ,フィッシャー法の実用化を受け,直ちに(1937年)その特許を取得し,ルア ー・へミー社の協力のもとに大牟田に人造石油製造工場建設を開始した。主要な装置・機械類は大部分ドイツからの輸入であった。1940年に操業開始したこの三池石油合成工場は順調に稼働し,1943年(昭和18)実績で1.1万トン/年の生産をおこなっていた。 

2. 国家戦略としての人造石油と北海道人造石油の設立
日本では満州事変以降,軍事目的から液体燃料の自給体制確立の要望が強まる。1937年に人造石油製造事業法が制定され,国家資金提供のための帝国燃料興業が設立された。あわせて人造石油振興7カ年計画がつくられ,満州を含む全国で160万トン/年の人造石油製造が計画された。この中で石油合成法(フィッシャー法)による工場を4万トン/年を標準工場として11工場,直接液化法によるもの10工場,低温乾留法が66工場を建設するという誇大な目標がたてられた。これに応えて実際に1939年までに21の工場が運転および建設予定となった。
三井鉱山は当初から硫黄分の多い三池炭より北海道炭の原料利用を考えており,その帝国燃料興業の半額出資を受け,北海道炭鉱汽船と共同で1938年に北海道人造石油を設立した。北海道人造石油は滝川,留萌,釧路の3工場の建設を計画した。滝川の地は産炭地に近いことと交通の利便性から選定された。滝川工場は1939年夏に建設着手され,1942年末に は試運転操業を開始した。天塩炭原料を目論んだ留萌工場は1939年に起工したものの,資材不足と軟弱地盤により建設が遅れ,操業に至らず終戦を迎えた。しかし留萌工場併設の留萌研究所は3階建ての本格的な施設が1940年に完成して,京都大学・喜多研究室と連携して鉄触媒の開発に成果をあげた。釧路工場は遂に未着工に終わった。 

3 滝川工場の人造石油製造プロセス
滝川工場は原料石炭70万トン/年,製造揮発油14万トン/年,灯油3万トン/年,ディーゼル油4万トン/年の規模で計画・建設された。この石炭使用量を現在の石炭火力発電所(90万kW)での石炭使用量190万トン/年と比較してもその規模が推し量れる。図1にプロセスの構成と図2~6に各工程の写真を示す。
原料石炭は先ずコークス炉(オットー式,40炉)で高温乾留されて,コークスとコークス炉ガスを生成する。生成コークスを水性ガス発生炉内で水蒸気と反応させることでCOとH2が得られる。同時にコークス炉ガスは水蒸気を加え ,メタン分解装置(カウパー炉(蓄熱式加熱炉))で改質をおこない H2とCOを得る。原料ガス量は(コークス原料):(ガス原料)= 7 : 3 である。水性ガスは酸化鉄(黄土)による無機脱硫装置および有機脱硫装置で脱硫する。合成ガスはCO:H2=1:2に調整され,10気圧程度に昇圧して合成炉に送入する。合成炉は2重管式の触媒反応器であり反応温度は200℃である。1000 Nm3/hの処理量の反応器が約60基設置された。触媒はフィッシャー法オリジナルはコバルト触媒であったが,独自開発の鉄触媒による反応器が追加された。生成物はアルカリ洗浄-水洗-油洗による分留装置で精製して,最終的に蒸留塔で揮発油,灯油,ディーゼル油に分離され,各々出荷される。
滝川工場は敷地面積117 ha, 従業員数は2,000名を数え,当時「東洋一の化学工場」と称されていた。

4 滝川工場の生産実績とその後
滝川工場の実際の人造石油生産実績は,当初の計画には遠く及ばず,1942年:0.12, 1943年: 0.13, 1944年: 0.48, 1945年(終戦まで): 0.34万トン,総計でも1.1万トンであった。終戦までの稼働は4年間で,結局兄弟工場である大牟田工場の生産量を上回ることはなかった。なお,この間国内の人造石油生産(液化法など含む)も実績は6~10万トン/年であり,人造石油製造全体としても目的である 軍事用にはあまり貢献できなかったのが現実であった。
滝川工場の製品品質としては,揮発油は直鎖パラフィンが多くオクタン価は53程度で,ガソリンエンジン用としては低品質であった。一方,ディーゼル油は性能が良く ,戦時中は艦船向けの高級な燃料として貴重なものであったという。
プロセス的には所期の製品が製造可能であったにもかかわらず,生産量が目標に達しなかったのはやはりフィッシャー法の要である触媒の問題が大きかったようである。コバルト触媒は活性が200日程度で落ちるのだが,コバルト触媒の大牟田からの補充が不十分に終わった。これはコバルト原料が高価であり,戦時中には入手が困難になってきたためである。この対策として京大と留萌研究所で開発された鉄触媒による合成炉が30基追加設置された。しかし結局80近く設置された合成炉も実稼働数は最高20基であったという。
また,石炭原単位の実績も合成石油1トンあたりの設計値(石炭5~6トン)より低い約10~12トンの原料石炭を要した。これも稼働合成炉が少ないため,これから得られるはずの熱源分に補充石炭燃料を使用したためとされている。
滝川工場は幸いにも戦災を免れたので,戦後はコークス炉ガスを利用した硫安,アンモニア製造などの民需転換で操業継続の努力がなされた。しかし化学工業の基盤のなかった北海道で,単独のガス化学工場の存続は経営的に困難であった。結局滝川工場は1952年に工場閉鎖・解体となり,北海道の原野に突然出現した巨大工場は,建設から10年余りで夢のように消えうせた。現在その広大な跡地に当時をしのぶ遺物は人石記念塔(1962年)のみである。 (研究所は自衛隊施設となっている。)

ーー引用ここまでーー


北海道人造石油株式会社研究所についてです。こちらも、経営が上手くいかなかったようです。当初は、硫黄分の多い「大牟田炭」よりも「北海道炭」の方が石炭液化に適していると考えられていましたが、触媒に使うコバルトの供給が追い付かなかったり、合成炉が十分な数稼働させられなかったりと不具合だらけでした。


◇満州の人造石油事業


次の箇所についてですが、

<<日本では満州事変以降,軍事目的から液体燃料の自給体制確立の要望が強まる。1937年に人造石油製造事業法が制定され,国家資金提供のための帝国燃料興業が設立された。あわせて人造石油振興7カ年計画がつくられ,満州を含む全国で160万トン/年の人造石油製造が計画された。>>

「河豚計画(=ユダヤ人移住計画)」のあった「満州国」と「人造石油製造」が関係しているのがわかります。
つまるところ、国策というよりは、「上級国民」の「ユダヤ人末裔」たちが独占してボロ儲けする事業だったということですね。
よく見てみると、「人造石油製造事業法」という法が制定され、「帝国燃料興業」という国営の組織が税金を投入しています。
70年以上前に、「上級国民」が庶民に隠れて「人造石油」をつくっておいて、今だに「石油が枯渇する」などと不安を煽っています。
時代も進んでいますし、今の技術なら、エネルギーはほとんどこういった技術で賄われているのでしょう。


ーーこちらより引用ーー

満洲における人造石油開発の関連  (「満州企業史研究」第10節 液体燃料・アルコール工業 より)

満鉄撫順炭鉱精油工場 オイルシェール工業
              1936年には年産35万トンの粗油生産が企図される。

満洲石油株式会社 公称資本金500万円1934年設立大連に設立。
        1941年には資本金4000万円の会社に成長。
       出資(満州国政府20%、満鉄40%、三井物産10%、日本石油10%、小倉石油10%、三菱石油10% 事業目的であった油田開発事業はあまり成功せず。

満鉄撫順炭鉱石炭液化工場 ベルギウス法による製造工場。(石炭とタールを原料として高温高圧の下に直接水素を添加する方法。)

満洲合成燃料株式会社             出資(三井系企業34%、満洲国政府34%、          満洲炭鉱株式会社10%、帝国燃料興業株式会社10%、
満洲石油株式会社6%)
フィッシャー法により液体燃料を製造することを目的とした。
フィッシャー法(石炭をガスに変成させ、その合成ガスを低温常圧状態で
          触媒を通過させ揮発油を製造する方法。)
株式会社満洲石炭液化研究所 出資(満州国政府66.7%、株式会社神戸製鋼所33.3%)1939年公称資本金600万円で設立。
1942年公称資本金1000万円に増資。

航空機油を関東軍へ納入するも本格的製造をする前に敗戦を迎え、製造設備と資材はソ連軍に接取された。
吉林人造石油株式会社 吉林人造石油開発株式会社法に基ずいて公称資本金1億円で設立。、1941年2億円に増資。
出資(満州国政府50%、日本窒素肥料株式会社30%、帝国燃料興業株式会社20%)
日本窒素は吉林省の舒蘭炭田の石炭を原料として野口式石炭液化法によって液体燃料製造を行った。 しかし資金、技術、資材ともに行き詰まり投げ出した。
満洲人造石油株式会社 上記の結果、満洲国政府は満鉄にこれを継承させて1943年新設した。
公称資本金5000万円。
しかし資材、労働力に不足により結局を目的を十分果たせないまま敗戦を迎える。

       (総括) 液体燃料工業は戦略的な重点産業ではあったが、資金、資材、労働力の不足によって結局、目指された石炭液化による石油資源の代替工業化の目的は十分には達成できないまま敗戦を迎えた。

ーー引用ここまでーー


満州での人造石油開発事業は、資金と労働力不足で断念したようですね。


◇大牟田の人造石油事業


「三井鉱山(三井化学)」が「ドイツ」由来の「フィッシャー・トロンプシュ法」を取り入れ、「ドイツ」から設備を輸入し、「大牟田市」に人造石油製造工場を建てて、「人造石油」の製造を始めたということです。

この「三池炭鉱」は「麻生太郎」の祖父・「太吉」が所有していたのですが、火災が起きるなど苦労続きで手放したかったようです。ちょうどその頃、元々この炭鉱の持ち主で麻生太吉に引き取らせた「貝島太助」という「貝島財閥の創始者」が「麻生」と「三井」の「団琢磨」を仲介し、三井が買い取ることに。この取引は、麻生太吉にとって都合の良いものでした。


ーー麻生グループ 火難と幸運よりーー

29 どん底に光さす
本洞の火災と四年間余も、惨憺たる労苦の中で闘い通し、ついにその業火にうち勝ったということは、九州炭業界に知れわたり、麻生太吉が執念持って守り通した本洞坑は、さぞ立派なものであろうとの噂も広まっていった。その噂を真に受けて乗り出してきたわけでもなかろうが、三井財閥が突然本洞坑を譲り受けたい、と申し入れてきたのである。もっとも三井としては、戦後の炭業界の好転を見越して、本格的に進出してきたのであるが、この頃三井は先に政府から払い下げを受けた大牟田の三井鉱の年賦金四百五十五万五千円を完済していた。

そして三井の団琢磨がこの斡旋をしたのが、貝島太助であった。
太助にすれば、少々無理押しで引き取らせた本洞が、その後の火災で労苦を重ねる太吉にすまなく思っていた時とて、この話に飛びつき、また「いずれこのつぐないはさせて貰いますぞ」と、太吉に言っていただけに、太吉に有利になるような交渉を始めたのである。
「団さん。あんたいくらで買おうと思いなさる。実は麻生さんも苦しいので、わしは百万円で引き取ろうと考えておるところですたい。どうしても欲しいのなら、わしも手を引きますばって、百二十五万円は出してつかあさい」予想外の高値である。さすがの団も渋った。団はこの時、太吉が四年も苦労したヤマであり、またこの太助が買おうとしているヤマだ、ということに引っかかった。日ならずして団は、「貝島さんがそれほど言うのなら、それで買いましょう」と、太助に一任したのである。

このようにして本洞坑は貝島太助の“男の友情”に支えられて、金百二十五万円の大金で、麻生から三井に譲渡されたのである。
明治四十年(一九〇七)七月であった。
しかし三井のこの本洞買収は、結果的には失敗であった。かつて“筑豊炭田随一”といわれた炭質の良い五尺層も、四年にわたる坑内火災で良質の部分が灰となり、巨費を投じた深部採掘炭質は粗悪とあって、さすがの三井の大資本をもってしてもどうにもならず、休坑のやむなきに至った。

これに反して、窮乏の底で喘いでいた太吉は、全くの好運の波に乗った。今までにも太吉は、かつて不況で身動きがとれなかった時、三菱に鯰田坑を売り、また断層にぶち当たって困窮の瀬戸際には住友が現れ、忠隈を譲渡している。まさに強運に恵まれていると言わざるを得ない。しかしそれも、単に運が強いというのではなく、その背景にはいつも真剣勝負の悪戦苦闘と、ガンとして意志をまげぬ不屈の精神があったのである。その代価として、当時としては巨万の富を手にすることができ、麻生家興隆の基を築くことになったのである。

その当時を顧みて、瓜生長右衛門はこう語っている。
「あの炭坑は苦労儲けでした。が、三井に譲ることのできたお蔭で巨額の富も得たし、その上得難い経験も積んだので、その後のためには大変役に立っています。まったく本家も長い間、運が良かったり悪かったりでしたが、本洞を売ったのが契機となって、日露戦争後の国運に乗ずることができた。それが今日の隆盛を築く基となっているのです。
三井から交渉のあった時、一歩踏み方を間違えていると、本家も今日の本家となることができなかったかも知れない。この運は始め悪く、あとは良しでありましたが、その始め悪しが大変な悪しなんでしたからねえ。ハッハッハ・・・。その後、三井さんも結局あれでは儲けることができなかった。やっぱり悪い山でしたな。それにしても、もし三井さんだけの犠牲を本家が払っていようものなら、それこそ大変だった。本家の粘り強いのには全く文句がありません。当時、親戚、縁者、知友などが口を揃えて放棄を勧めるのを頑として聞き入れなかったのですから・・・。

実は私等も、幾度か途中で思いとどまらそうと考えたもので“本家、この山は・・・”とまで口に出して、そのまま、あとを呑み込んだことでした。それをあそこまで頑張り通して、却って開運の基となしたのは、運がいいともいえば言えるが、やっぱり本家の度胸と根気でしたよ・・・」

ーー引用ここまでーー


三池炭鉱は、「三菱」も買収に参加していましたが、結局のところ、「三井」が権利を獲得しました。三菱は安倍晋三の兄が幹部にいますので対立関係にあると考えてよさそうです。

また、この炭鉱は後に「三井三池争議」が起こるなど、問題が多いところです。今回はこの件は割愛します。

「三池炭鉱」は一見すると「三井」の所有にみえますが、今でも「大牟田市」は「麻生グループ」が介護事業の拠点にしています。天皇家の重鎮である彼が、「人造石油利権」に無関係とは考え難いです。



◇国道41号線と神通川と大本教の繋がり。そして、カミオカンデで儲かるのは麻生太郎の可能性大です。


「三井鉱山」は「岐阜」にも拠点をもっていました。富山から岐阜を南北に繋ぐ「国道41号線」沿いに、これまた「原子力」に関連するとされ、莫大な費用がかけられている「カミオカンデ」という怪しげな施設があります。
さらに、世界の交通事故で、最大の死者数104人を記録した「飛騨バス事故」が起こった場所でもあります。この事件は「JAL123便墜落事故」などと同じく悪魔崇拝者の生贄儀式だった可能性が高いです。この時の首相は「佐藤栄作」で、彼は李家の「岸信介」の弟です。
国道41号線ですが、大本教と関連していました。

https://twitter.com/umi91574646/status/1236297236201361408?s=20


「カミオカンデ」は、どうやら「上級国民」のための「純水」を作るのと、発電に関係しているのでは、という推測ができます。(註:その他の目的もあるかもしれません。)

北側の「富山県」は、「毒」だと判明しているコロナウイルス特効薬「アビガン」を開発した「富山化学工業」や、発電に利用する「金属ナトリウム」を生成する触媒装置を作っている「日本曹達・高岡工場」があります。

四大公害病の一つである「イタイイタイ病」が発生した地でもあります。

https://twitter.com/green34921235/status/1235804752249622529?s=20


「岐阜」と「純水装置」(※註:カミオカンデの機能の一つは純水を作ること)に関係しているのが「水道民営化」により水道事業でボロ儲けを企む「ヴェオリア」です。この「ヴェオリア」は「麻生太郎」の娘が嫁いだ「ロスチャイルド・フランス家」の企業でした。

https://twitter.com/zSpsN0zlYBIcKZZ/status/1236192014200270850?s=20

https://twitter.com/3202ikf/status/1236895327988224000?s=20


◇アメリカの原子力(海水発電)と人造燃料


発電の話題に戻ります。

アメリカでは、「ペーパークリップ作戦」により連れ帰られたドイツ人研究者が、ロケットやエネルギーを生み出す新しい仕組みの研究・開発などに従事させられました。

「新エネルギー」開発の舞台となったのが、「広島」と「長崎」に投下された「原爆」を研究・開発していたニューメキシコ州の「ロスアラモス国立研究所」。そこから派生したのが「サンディア国立研究所」、「ローレンス・リバモア国立研究所」、「サンタフェ研究所」です。

ちなみに、RAPTブログでは「広島」と「長崎」に「投下」されたとされる「原爆」は、「地上起爆」された「マグネシウム爆弾」だったことされています。

RAPT×読者対談〈第100弾〉原爆はただのマグネシウム爆弾。石油の原料もただの海水。トヨタの水素自動車もただのパクリ。



ーーこちらより引用ーー


画像7


ロスアラモス国立研究所(ロスアラモスこくりつけんきゅうじょ、Los Alamos National Laboratory, LANL)は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州ロスアラモスに、第二次世界大戦中の1943年に、マンハッタン計画の中で原子爆弾の開発を目的として創設されたアメリカの国立研究機関である。現所長は、チャールズ・マクミラン (Charles McMillan)。

概要[編集]
ロッキー山脈の南端の美しい森林に囲まれた広大な敷地(約110平方キロメートル)に2100棟もの施設が立ち並び、科学者・エンジニア2500名を含む1万人もの所員が勤務している。現在でも核兵器開発やテロ対策など合衆国の軍事・機密研究の中核となる研究所であるが、同時に生命科学、ナノテクノロジー、コンピュータ科学、情報通信、環境、レーザー、材料工学、加速器科学、高エネルギー物理、中性子科学、核不拡散、安全保障、核テロを抑止する核緊急支援隊の育成など、さまざまな先端科学技術について広範な研究を行う総合研究所でもある。アメリカ国内外の研究機関との共同研究も盛んであり、多くの外国人研究者を受け入れている。年間予算は21億ドルで(2013年度)[1]、合衆国の頭脳が集まる名実ともに世界最高の研究機関であり、「合衆国の至宝」 と称される。研究所は「The world's greatest science protecting America(アメリカを守る世界で最も偉大な科学)」を標榜する。

1943年に設立され、当時は「プロジェクトY」というコードネームで呼ばれていた。初代所長はロバート・オッペンハイマー。21名ものノーベル賞受賞者を擁するマンハッタンプロジェクトで開発・製造された原子爆弾が、広島市に投下された「リトルボーイ」、および長崎市に投下された「ファットマン」である(詳細は広島市への原子爆弾投下や長崎市への原子爆弾投下を参照)。
マンハッタン計画にあたり、機密保持のために徹底的な管理を求めた軍上層部に対し、自由な気風で研究を進めようとした科学者たちは反発し、科学者の主張はおおむね認められた。
第二次世界大戦後は、ソビエト社会主義共和国連邦の脅威に対抗するため、エドワード・テラーらが水素爆弾の開発を行ったが、オッペンハイマーらは原子爆弾の廃絶を訴え、マンハッタン計画を推進した科学者たちはテラー派とオッペンハイマー派に分かれ、激しく対立した。テラー派はローレンス・リバモア国立研究所を設立したうえ、赤狩りを利用してオッペンハイマーを失脚させた。ロスアラモスは冷戦期においても核開発競争や戦略防衛構想の中心であり続け、軍事研究におけるロスアラモスの圧倒的優位が東側陣営の軍事費増大を通じて経済基盤の疲弊を引き起こし、冷戦終結の一因となったと言われている。
サンディア国立研究所はロスアラモス国立研究所のエンジニア部門(Z部門)が独立したものであるうえ、ローレンス・リバモア国立研究所はロスアラモスと競合させることを目的として1952年に設立された。複雑系の研究で有名なサンタフェ研究所も、ロスアラモスの科学者らによって設立された。
1999年には、ロスアラモス国立研究所に勤務していた台湾系アメリカ人科学者李文和(英語版)が中華人民共和国のスパイとして起訴される事件が起こり[2]、その後も放射性物質の厳重な管理を怠ったり、機密情報を収めたディスクを紛失したりするなどの不祥事を続けざまに引き起こしたため、2004年7月16日に活動を一時停止した。
ロスアラモス国立研究所は、政府が所有して大学などが運営を行うGOCO形式 (Government Owned Contractor Operated) の研究所であり、アメリカ合衆国エネルギー省の委託でカリフォルニア大学システムが60年以上にわたり管理・運営を行ってきた。2005年に行われた競争入札の結果、2006年6月からはカリフォルニア大学システム、ニューメキシコ大学、ニューメキシコ州立大学、ベクテル社 (Bechtel)、BWX Technologies、Washington Group Internationalらで構成するLos Alamos National Security (LANS) という連合組織による運営体制に移行した。 

ーー引用ここまでーー


次の記事は、サンディア研究所などが発明中とされる「太陽光」を利用して「二酸化炭素」をリサイクルし、「人造燃料」を作り出す方法についての記事です。


ーーこちらより引用ーー

サンディア国立研究所の研究チームが、太陽光を利用して二酸化炭素(CO2)をリサイクルし、メタノールやガソリンのような燃料を生成する方法を開発中だ。ガソリン価格高騰と温暖化問題の影響で、CO2を利用して電力と燃料を生成する手法を開発する企業が他にも生まれている。

サンディア国立研究所の研究者Rich Diver氏が、二酸化炭素を燃料に変えるために太陽熱を集中させるために使われる、太陽炉を点検している。ゆくゆくはパラボラ型の反射器で必要な熱エネルギーを供給できるようになる。

サンディア国立研究所
ニューメキシコ州にあるサンディア国立研究所の研究チームが、太陽光を利用して二酸化炭素(CO2)をリサイクルし、メタノールやガソリンのような燃料を生成する方法を発見した。
「Sunshine to Petrol」(S2P:太陽光を燃料に)と名付けられたこの方法は、基本的には燃焼のプロセスを逆転させて炭化水素を作る材料を取り出す。そしてその炭化水素を使い、メタノールやガソリンといった液体燃料を合成する。
研究チームによると、この技術はすでに成功しており温室効果ガスの削減に役立てることが可能だが、大規模な実施には10年以上かかると見られるという。
サンディア国立研究所の燃料・エネルギー転換部門で責任者を務めるEllen Stechel博士は、「この技術は、CO2排出サイクルを閉じたものにするものだ」と話す。「現在、化石燃料はCO2を排出しっぱなしになっている。この技術は、排出物の有効利用と削減に役立ち、カーボンニュートラルなエネルギーシステム実現への道筋をつけるだろう」
CO2をリサイクルするというアイディアは新しいものではないが、一般に困難が多く高くつくため割に合わないとされてきた。しかし、原油価格が1バレルあたり100ドルを超え、地球温暖化への懸念が大きくなり、研究者のあいだで炭素リサイクルの調査への動機が高まっている。たとえば、ニューメキシコ州のLos Alamos Renewable Energy社は、CO2を利用して電力と燃料を生成する手法を開発している。(註:Los Alamos Renewable Energy社は、ロスアラモス国立研究所が関係する企業でしょう。)
S2Pでは、「Counter-Rotating Ring Receiver Reactor Recuperator」(CR5)と呼ばれるソーラーリアクターを使い、二酸化炭素を一酸化炭素と酸素に分離する。

「熱機関だが、機械的な働きではなく化学的な働きをする」とStechel博士は説明する。
研究所の実験ではこの方法がうまくいくことが証明されている、とStechel博士は言う。研究所では、4月までに試作機を完成させたいと考えている。
試作機はビア樽に似た形状とサイズになる。その中には直径約30センチのコバルトフェライトのリングが14個あり、1分間に1回転する。88平方メートルの太陽炉が太陽光の熱をこの装置に送り込み、リングは摂氏約1400度に熱せられ、コバルトフェライトから酸素が放出される。その後リングは約1100度まで冷やされて、CO2にさらされる。
すると、酸素を失ったコバルトフェライトがCO2から酸素を奪い取り、炭化水素を作る材料となる一酸化炭素が残され、それがメタノールやガソリンを生成するのに利用される。コバルトフェライトが元の状態に戻ると、同じサイクルが繰り返される。
メタノールやガソリンといった燃料は水素と炭素が組み合わさったもので比較的容易に合成できる、とStechel博士は言う。メタノールがいちばん簡単なのでメタノールから始めるが、ガソリンも可能だという。
ただ、コバルトフェライトを十分に熱する強力で効率のよいソーラーパワー・システムを作りだすという部分が、この技術を大きな規模で実施するための重大な課題として残っていると指摘するのは、スイスのポール・シェーラー研究所でソーラー技術研究所を率いるAldo Steinfeld博士だ。
Steinfeld博士とStechel博士によれば、この技術が産業規模で実現されるには15年から20年かかる可能性があるという。
サンディア国立研究所の研究チームはもともと、燃料電池で利用する水素を生成しようとCR5を開発した。CR5のリングを、二酸化炭素の代わりに水蒸気にあてると水素が生成される。だが、現在のインフラに対応した燃料を作ろうと、研究チームは一酸化炭素の生成に方向転換した。

Stechel博士によれば、サンディア国立研究所のチームは、石炭を燃料とする火力発電所に多数のCR5が設置される日が来ると考えており、その場合、CR5は1基につき1日あたり約20キログラムの二酸化炭素を再生利用できるという。さらに、現在開発中の炭素隔離といった技術が利用可能になれば、約9.5リットルの燃料を生成するだけの一酸化炭素を作り出せるという。
さらに、CO2の再生利用技術が、温室効果ガスを大気中から直接取り込める段階に達すれば、S2Pのプロセスによって液体炭化水素をリニューアブル燃料(持続的利用可能な燃料)にできるという可能性も現実味を帯びてくる。この技術については、技術研究開発企業である米Global Research Technologies(GRT)社や、コロンビア大学のKlaus Lackner教授などによって研究開発が続けられている。

ーー引用ここまでーー


ーーこちらより引用ーー


画像6


サンディア国立研究所(サンディアこくりつけんきゅうじょ、Sandia National Laboratories、SNL)は、アメリカ合衆国エネルギー省が管轄する国立研究所。ニューメキシコ州アルバカーキとカリフォルニア州リバモアの2箇所に施設がある。 核兵器の開発と管理、軍事科学、安全保障の全分野などについて、国家機密に属する先進的な研究が行われている。
現在、研究所施設は政府の財産であるが、管理・運営は請負契約を結んだサンディア社(Sandia Corporation、ロッキード・マーチン社の 100% 出資子会社)が行っている。この運営形態は GOCO (Government - Owned, Contractor - Operated) と呼ばれる。
ニューメキシコ州サイトの研究所建屋はカートランド空軍基地の敷地内に有り、訪問者は基地の東側に所在するオフィスで入構証を発行してもらう。
世界最大級のプラズマ発生装置Zマシンをニューメキシコの研究所に持ち、この装置による、臨界前核実験に代わって核実験場および爆薬を必要としない新たな核実験が行われている[1][2]。 

ーー引用ここまでーー


「サンディア国立研究所」のロゴは「青い鳥」ですね。「青い鳥」は【RAPTブログ】や【Kawata no blog】で暴かれたカルト宗教「全能神教会」の関連組織に共通していました。

https://twitter.com/KAWTA02/status/1176514566911447040?s=20


ローレンス・バリモア研究所のロゴの色も「青」です。


ーーこちらより引用ーー

画像8

ーー引用ここまでーー


サンタフェ研究所のロゴは、ドイツ人研究者(秦氏)との繋がりを示すように「ナチス」が使っていた「黒い太陽」のシンボルと似ています。

ナチスの総帥「ヒトラー」は、天皇家の裏組織「緑龍会」が操っていました。

ナチスドイツが戦争に負けた真のカラクリ。またはヒトラーを操った「緑龍会」について。


ーーこちらより引用ーー

サンタフェ ナチス picture_pc_ca8ad42bb7f67197ef062fa3d1a278de

ーー引用ここまでーー


「アメリカ」は「ロックフェラー」の影響が大きいと言われていて基本的には「出雲族」の国です。また、ロスアラモス国立研究所の記事で、台湾系アメリカ人科学者「李文和」というスパイの話がありましたが、アメリカでは「李家」も影響力を持っているようです。


かなり話が飛んでしまいますが、現在の日本では「人造燃料」を生成する「フィッシャー・トロプシュ法(=gas to liquid)」を取り入れている企業が多く存在します。

その代表格が石油の精製・販売を行っている「JXTGエネルギー」です。
母体は「JXTGホールディングス」。顧問は、「伏見宮博明王」です。

伏見宮博明王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


彼は政界のフィクサーと呼ばれ、また、右翼である「朝堂院大覚」とかなり似ていて、年齢的にも兄弟だと考えられます。朝堂院大覚は、麻生太郎と同じく嵯峨天皇の末裔だと判明しています。

RAPT×読者対談〈第129弾〉日本は在日ヤクザに牛耳られている。(麻生太郎と朝堂院大覚と嵯峨天皇)


伏見宮家といえば、有名議員にそっくりな人物が多数みられる「旧皇族の源流」となっている天皇家の裏の中心的血統です。

【小泉純一郎・安倍晋三】日本の歴代首相は、旧皇族と朝鮮王族の血筋である。


原発の嘘を守る役目で、詐欺師の「東出融」は、青山家の末裔であり、NWO(世界統一政府)を提唱し、日本に原発をもたらした「クーデンホーフ・カレルギー」と親戚関係です。

EU(ヨーロッパ連合)の生みの親は日本人(天皇家)だった。 


◇そもそも、石油の通説は真実なのか。人造燃料はカルト思想が絡んでいる可能性大。


ここまでは、「石油は人造燃料である」とお話してきました。

しかし、調べていくうちに、どうもこの一連の話が「持続可能エネルギー」や「循環型社会」といったキーワードを合言葉に使う、カルト宗教「生長の家」や「全能神教会」などに繋がっていると感じてきました。

https://twitter.com/autumnyama/status/1105814460973768707?s=20

https://twitter.com/chawakov/status/1213387438149660673?s=20


確かに、廃棄物を再生したり循環させて利用するというのは可能ですし、資源を有効利用できるのですが、コストがかかるなどのデメリットもあります。

そうすると、上級国民の経営する大手企業がグルになって、彼らに富が集まる仕組みになっていると考えられますよね。

ある方の情報を見て、やはり、「原発」と同じく「(人造)石油」についても「隠された嘘」に気付かされてきました。
「シェールガス」の話です。

https://twitter.com/1977ithi/status/1237868553866375169?s=20

先史時代(有史以前)からオイルシェールと呼ばれる燃料が存在していました。
それを基に調べてみると、石油が「無限」に存在し、かつ、「無機由来」であるとの情報が見つかりました。


ーー<石油は植物の化石…は間違いだった!?>より引用ーー

ネットからひもときます。
そもそも、この石油有機由来説は本当なのでしょうか?
近年、注目をされているのが有機由来説とは真逆の無機由来説です
この説は「地球の深部に元々ある炭素元素と水素元素が染み出し、湧き上がってくるものである。」という説で、
地球上どこでも徹底して深く掘れば必ずや石油が見つかし、特に大陸のプレートの境目が比較的浅いところで見つかる、
というものです。つまり、石油・天然ガス・石炭の由来は、太古の生物の死骸(有機起源説)ではないという事です。

(※もし、この説が本当であれば、日本列島はプレート境界にあり実は適地ということになります)
そもそも、石油“無機”由来説は、旧東側諸国では従来から定説とされていた学説でしたが、
旧西側諸国では、定説とされてきた石油“有機”由来説に真っ向から反対するものであったため、長く顧みられることがなく、
その後トーマス・ゴールドが取り上げたことで、西側諸国でも脚光を浴びることとなりました。
天文物理学者であるゴールドの説く石油無機由来説は、
・惑星が誕生する際には必ず大量の炭化水素が含まれる。
・炭化水素は地球の内核で放射線の作用により発生する。
・この炭化水素が惑星内部の高圧・高熱を受けて変質することで石油が生まれる。
炭化水素は岩石よりも軽いので地上を目指して浮上してくる。
というものである。
無機成因論の根拠としては
・石油の分布が生物の分布と明らかに異なる(生物化石がない火山由来の岩石の中から原油が見つかっている)。
・化石燃料では考えられないほどの超深度(5,000m以上)から原油がみつかっている。
・石油の組成が多くの地域でおおむね同一である。
・ヘリウム
、ウラン、水銀、ガリウム、ゲルマニウムなど、生物起源では説明できない成分が含まれている。
などが挙げられる。

ーー引用ここまでーー


始めの方にご紹介したツイートで書かれていました通り、石油や天然ガス、アスファルト(その他、etc...)、プロパン、メタンなどは「炭化水素」でした。

その炭化水素が5000m以上の深さに眠っているのです。そして、それが地上に向かって上がってくる。「メタンハイドレート」や「シェールガス」は何か特別なものだと思っていましたが、石油や天然ガスと同じようなものですね。(メタンハイドレートについては後程触れます。)

生物化石のない火山由来の岩石から見つかったというのも興味深いです。海底にも火山は存在しますから。


日本書紀によると、奈良時代には、「天智天皇」に「石油」と「アスファルト」が献上されたそうです。

ーー<燃ゆる水献上ー国産原油を求めてー>より引用ーー

 「アスファルトで矢じりを接着する」でも紹介しましたが、日本書紀の天智天皇七年(668年)七月の条には、越の国から「燃ゆる水」「燃ゆる土」が、近江大津宮に献上されたとあります。下の写真は、この記述にある「燃ゆる水」の採油地とされる、新潟県黒川村(現在は胎内市)を訪ねたときの様子です。
 他にも「献上候補地」があるとのことですが、黒川村は、以下のような「理論武装」をして、わが方に理ありと主張しています。すなわち、含油層が浅く自然に原油が湧出し早く発見されたこと、献上の20年前に近くに磐舟の柵が設けられ、都との往来が頻繁で「臭水(くそうず)=石油」のことが早く知られたこと、天智天皇をまつる近江神宮の文書にも黒川村と言っていることなどを根拠としています。さて、黒川村からの献上のいきさつですが、近江神宮文書には、次のようにあります。7世紀後半、阿倍比羅夫一行が「蝦夷征討」の途中、黒川郷に立ち寄った際、付近を流れる臭水が自然発火や落雷によって燃え広がり住民が困っているとの訴えがありました。これを聞いた、当時皇太子だった中大兄皇子は、臭水の神をまつること、砂を散布することなど、鎮火の方法を教えたといいます。そのため、皇太子が近江大津で即位したことを伝え聞いた黒川郷の住民は、祝福のしるしとして「燃ゆる水」を献上したと伝えられています。近江神宮は、毎年7月7日に「燃水祭」を行っていますが、こうした故事にならい、今も黒川村では、7月1日に献上採油の儀式をおこなって、近江神宮へ臭水を送っているそうです。
 ところで、黒川村では、原油が自然に湧出してくぼ地に溜まったところを「坪」と呼び、約20カ所あるそうですが、採油の歴史は、この「坪」からの採油で始まりました。やがて地表で横穴を堀る方法、タテ井戸を手掘りする方法(江戸後期)、手堀り井戸に木枠をはめて掘り下げる方法(明治6年に黒川村にやって来た、英国人・シンクルトンが指導した)、戦後(1949年以降)の機械掘りへと進みました。採油した原油は、明治以前は主に灯火として利用されたようです。ちなみに、原油をすくい取る方法として黒川油田独自のものが、「カグマ」(リョウメンシダの葉)に原油を付着させて採油するやり方で、これは昭和20年代まで行われていたようです。

 次に、採油量の話です。「坪」から「カグマ」などを使って採油すると、一カ所から一日平均2升(3.6リットル)位、中には5斗(90リットル)もとれる坪があったそうです。昭和15~17年の最盛期で、黒川油田全体で3キロリットルの産油があり、近くの平木田駅までパイプが敷設されていました。現在は、黒川村では採油されていませんが、まだ新潟・秋田の何カ所かで、天然ガスおよび石油が細々ながら採掘されているようです。驚くことに、黒川村では、個人で油井を所有している方もいます。しかし、その産油量たるや、「ポタリ、ポタリ」といった程度で、「石油王」となって、世界の原油価格に影響を与えるなんてことは、ちょっと無理かなあと思います。でも、夢のある話ではありますよね。
 最後に、黒川油田見学は「シンクルトン記念公園」がベスト。公園内に、油溜の池と資料館(シンクルトン記念館)があります。油溜の池から猛烈におしよせる原油の匂いをかぐ体験をしてみるのもいいですね。ここは、日本史だけでなく、地理にも使えます。なお、黒川村の「坪」は、国指定文化財史跡および新潟県指定天然記念物ですので、念のため。

ーー引用ここまでーー

日本は資源の乏しい国だと聞かされてきたのは上級国民による嘘だったのですね。奈良時代から石油にガスにアスファルトまで利用していたとは。

また、天智天皇(中大兄皇子)は百済人だといわれています。麻生太郎や豊臣秀吉も百済人末裔でした。

「日韓関係の摩擦・悪化」は嘘。日本と韓国(朝鮮)は、昔から一つに繋がっています。②


新潟の油田に行った方の動画がありましたので、下記に掲載いたします。

ガイドさんが湧き出る天然ガスに着火。大爆発超危険!天然ガス引火!ガソリン爆発。シンクルトン記念公園★とおるTV!新潟の油田。石油の噴出。石油と天然ガスが湧出している。石油採掘跡地。>よりーー

(※註(5分5秒~)「天然ガス」も石油と一緒に湧き出ています。)


また、今でも石油が湧き出る「油田跡」が北海道にもありました。


ーー<石油がブクブクと湧き出している場所が北海道にある>より引用ーー 

<省略>

日本でも採れる石油
いきなり訂正するが、冒頭で「日本では石油は採れない」と書いたのは、私の知識不足からくる思い込みであった。現在でも秋田や新潟の日本海側などで、石油の採掘が行われている。しかし量が少ないため、ほぼ全てを輸入に頼っている、
というのが正確な状況のようだ。

そんな日本でも、明治から昭和30年代頃までは、さかんに石油を掘っていたらしい。その辺の話は後で紹介するとして、ひとまずは妻の言うところの「実家の近くにある油田」である。そんなコンビニみたいなノリで、近所に油田ってあるものなのか。行ってみることにした。

北海道石狩市にある「石狩油田」へ
場所は札幌市の北側、日本海に面した石狩市にある。
実家にいる義父母に「油田を見に行く」と伝えたところ、車で連れて行ってもらえることになった。曰く、「存在は知ってるけど、わざわざ見に行ったことはない」らしく、どんなところなのか期待が高まる。

<中略>

油田跡に到着
しばらく車を進めると、あたりに石油の臭いが充満してきた。別に大げさに言っているわけではなくて、温泉地で硫黄臭がするのと同じように、ナチュラルに石油の臭いがしてくるのだ。

<中略>

そして注目すべきは、矢印の部分。石油だまりができており、よく見るとブクブクと泡立っている

ブクブク 017


<省略>

ーー引用ここまでーー



既に気付いておられるかもしれませんが、「油田跡」なら、「化石燃料」の「石油」は「有限」なので既に枯渇しているはずではありませんか。これは、石油が地下奥深くで「生成され続けている」根拠になりそうです。それが、湧き上がっているのでしょう。

温泉は循環しているそうですし。(石油の出る温泉というのもあります。)

https://twitter.com/ikukoshinseitai/status/1238267885748797440?s=20

ですから、今のところは「石油無機成因説」が真実ではないか、というのが結論です。


画像11

画像の参照元



ーー<シェールオイルについて>より引用ーー

石油や天然ガスは,主にそれを生成する岩石(根源岩)と,生成後,地層中を拡散した石油やガスを集積する岩石(貯留岩)に含まれています。従来の油田・ガス田は貯留岩から石油や天然ガスを採取しているのに対し,根源岩から回収した石油をシェールオイル,天然ガスをシェールガスといいます。専門的には,根源岩から直接回収した石油をタイトオイルと呼ぶ場合もあります。貯留岩からの採取した石油を在来型とよぶのに対し,このシェールオイルや,オイルサンドという砂岩に含まれる流動性のない石油などを,非在来型とよびます。(在来型についてはQ『油田が形成される過程について』を参照のこと)
シェールshaleとは,頁岩(けつがん)という岩石のことです。根源岩は通常,頁岩からなり,油母頁岩(ゆぼけつがん)ともよばれます。アメリカにおいて開発されたシェールガス・シェールオイルの回収技術は,根源岩に達する穴を掘ったあと,そこから特殊な水を高圧で注入して根源岩に人工的な割れ目をつくり,そこにしみ出してくる天然ガスや石油を回収するというものです(図1)。在来型の油田は,根源岩の上方に貯留岩とそこに石油を封じる地層(=帽岩〈ぼうがん〉)がそろっていないとできませんが,貯留岩と帽岩がなくても,根源岩さえあれば原油を採取可能になりました。この革命的な技術により,アメリカではシェールガス・シェールオイルが増産され,世界のエネルギー需給が大きく変化したことから,「シェール革命」とよばれています。ただし,貯留岩までただ穴を掘ればよかった在来型の油田に比べ,採取のためのコストは高く,在来型油田の増産などで原油の国際価格が下落すると,シェールオイルの競争力が低下するという関係が生じます。

シェールガス・オイル回収のための掘削孔  q2018-07

図1 シェールガス・オイル回収のための掘削孔 油母頁岩層に沿って横向きに穴を掘り,その穴から水圧をかけて油母頁岩に割れ目をつくって, 天然ガスや石油を回収している

ーー引用ここまでーー


アメリカの方が日本よりもシェールオイルやシェールガスの回収技術が進んでいるのでしょうか。おそらく、日本でも既に本格的にやっているのではないかと推測できますが。

この手法、「人工地震」を起こす「CCS」の「二酸化炭素圧入」とほとんど同じやり方です。
石油やガスや金属類の採掘のついでに仕掛けているのでしょう。

「マイクロサスミック」というモニタリング技術を使うと、人工地震の時のような揺れが発生するらしいのです。

https://twitter.com/1977ithi/status/1239540463561928704?s=20


『日本CCS調査株式会社』と「石油天然ガス・金属鉱物資源機構」や「日本メタンハイドレート調査」は株主になっている企業が似通っています。

最近の地震も震源地近くに原発や油田がありました。原発の近くを狙うのは、「核(原子力)」がさも存在するかのように思わせ、危険を煽り、復旧費を巻き上げる魂胆でしょう。彼ら悪人(上級国民)にとっては、一石二鳥です。

https://twitter.com/way_to_dawns/status/1106913697828503553?s=20

https://twitter.com/myrrh_7/status/1238195836099547136?s=20

https://twitter.com/3202ikf/status/1238404641634705411?s=20

「人工地震」は「CCS(二酸化炭素圧入)」の技術を使えば簡単に起こせます。


上級国民が人工地震を起こす理由がまだありました。それが「国際ハイウェイ構想」です。これは、「イルミナティ」の「世界統一政府(NWO)」の計画の一環です。

この構想は、「統一教会」の「文鮮明」が提唱したものでした。

「統一教会」の意味も「NWO」からとっているとのこと。

そして、現在、総理の「安倍晋三」と副総理の「麻生太郎」は「統一教会」とズブズブの関係でした。

また、この構想の一部である「日韓トンネル」も「麻生太郎」が「日韓トンネル研究会顧問」として関わっています。

世界を一つにつなぐ「国際ハイウェイ構想」とは。世界統一政府はもう既に現実となりつつあります。

原発利権の核心も麻生太郎の可能性大。 


しかし、「聖書」に記されているように「バビロン」で建設されていた「バベルの塔」のように神様に反逆する彼らの計画は頓挫するでしょう。



RAPT氏が、大きな存在だと思われていた「イルミナティ(上級国民)」の謎を暴かれ、その勇気ある行いに感動した方々が従って情報拡散されています。世の中を変えるための第一歩ですね。

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