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美しさのアニミズム

  「顔がいい」「ビジュが優勝」
  私はこれらの言葉が苦手である。もちろんどれも外見の良さを語らうには素晴らしい言葉であり昂りを表す表現に違いない。しかし、これらの定型文が連呼される場所が偏ると、言葉には条件が出てくる。透き通る白い肌、大きな二重の目、高く筋の通った鼻、など、想像に難くない。いつしか言葉が美とそうでないものを選定してしまうのが、どうにも歯痒いのだ。
  私にも外見の好みはたんとある。「顔がいい」と思うことも毎日のようにある。だがそれらはあくまでも私の嗜好の基準において良いのであって、好みが違えば顔面国宝に認定される顔も違うのだ。
  二次元のキャラクターにおいてもそうだ。メインキャラクターの美形具合に言及されるとき、私はその他のモブキャラを平凡、非美形だとは想定しない。このキャラクターたちの固有の美しさに注目するという文脈があってこそ眉目の良さに触れるにすぎず、背景に溶け込むモブたちにも舞台とスポットライトが変われば彼らの美しさがある。
  煌びやかな美しさもあれば、淡白な美しさもある。私はそれは絵柄や作風の違いとしか思わない。
  現に私もマーケタイズされた現代の美しさとは相入れない部分が多くある。奥二重で涙袋はなく、鼻は平たく、前歯がすこし歪んでいる。しかし画一的な美しさの基準などしみったれた資本主義と思い込みが作ったものだと一蹴してしまえばいい。私が私に固有の造形を持っていること、それ単体で賛美されるべき存在の尊さなのだ。どうか似たり寄ったりの一つの美しさだけに眩まされないでほしい。ドッペルゲンガーが怪異であるのは私たち一人一人が異なる形を持っているからである。
  アニミズムとは、全ての無機物、有機物、生命に魂が宿っているという考え方である。私は同じようにこう考える。全ての異なるものに同じだけの美しさがある、と。

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