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「発信とは何か」を見失った

こんばんは!なーこです〜


今日は!

ここ数日悩んでいた、かつ先日のプロラボにて、みんなの時間を頂戴してまで話し合ったテーマについて書こうと思います。


それは、

「情報発信ってなんのためにするのか」



え、今まで散々「note書くのたのし〜!」って言っておきながら、いきなり目的見失うやん??


って思った方、ちょうど私もおんなじ気持ちです^ ^


今回のnoteはかなり長いので、辿り着いた答えだけ知りたい人は、下の方までスクロールしてください。


「情報発信は何のためにするのか」


きっかけは何だったのかと言うと、プロラボでのプレゼン、何を話そう〜?って思ったところからだった。

そう、隔週のプログレスラボでは、毎回メンバー全員のプレゼンテーションの時間があるのです。

話す内容は何でも良し、時間はきっかり6分。


前回のプロラボは欠席していたから、今回が私にとって初めてのプレゼンだった。


それで何を話そうかなあと思ったときに、私がまず真っ先に至った思考は

「どうせなら、みんなが面白いと感じてもらえる話がしたいなあ。みんなのニーズが知りたいかも」

でも、ここで求められているのは、「私の発信したいことを発信すること」だった。

みんなのニーズもわからないまま、私の発信したいことって言ったって、、

、、、思い当たらないかも。


待てよ、私が明日プレゼンをする意味(本質)って、何なんだ???


これが全てのはじまりでした。



プレゼンをする意味がわからなくなった私は、メンターさんに聞いてみた。

そしたら、返ってきた答えが、

「自己実現のため」だった。


発信が上手くなれば誰かに理解してもらえ、承認してもらえ、賛同や協力をしてもらえたりする。

自分が「こういうことをしたい!」と強く思ったときにそれを発信すると、上の原理で発信という行為がそのまま自己実現に近づくんだ。


さらに情報発信には「質と量」があり、私たちは日々のnoteで発信の「量」をこなしていたらしい。

そしたらプレゼンは言うなれば「質」なわけで、

「発信したい情報を上手に発信する力」を身につけるためのもの。


そしたら、ここまで来てやっぱり立ち返るのは「私はなぜ情報発信するのか?」「私は何を発信するのか?」だろう。

だってそれがないと、発信するという行為の意味自体が消滅しちゃう。


でも、今「声をあげて具体的に行動を起こしたいほど、実現したいと言えるものがないなあ」と思ったんだ。


そしたら、私にとって今「発信したい中身の部分」がぽっかり空洞になっちゃった気がして、

もちろん、中身のないプレゼンをしても、伝える力を磨くことはできる。


でも、「情報発信」の外側だけ(小手先の技術だけ)を磨くのは、なんというか、違和感だなあ、、


そうモヤモヤしだして暫く。

プレゼンをする意味が見出せなかった私は、ついでに「発信」つながりでnoteを書く意味すら見出せなくなりました。


今までは、ずっと「自己理解シリーズ」を発信していた私。

これは私にとって、アウトプットの最高にいい機会で、
すごく楽しかったし、すごく自分のためになっているという実感があった。


でも、これって自己内部で完結させることも出来るわけで、

よく考えたら誰かに届ける必要ってない。


つまり、今まで「発信」だと思っていたものは、「発信」の形をしたただのアウトプットだったのかも、、と思うようになりました。


〜〜〜〜


そこで、プロラボ当日、数人で集まって話したんです。

みんなが何を思って発信をしていて、
このラボを創始した先生は何を思って「情報発信力を身につけてほしい」と思っていたのか。

ちなみに、その日のプレゼンは正直こなしました。ここ数日ぶつかっていた悩みについて話すこともできるかなと思ったけど、重すぎるなと思って当たり障りのない話題にした。


このディスカッション、本当に面白かった。

なぜなら、「情報発信」というものの奥深さを知ったから。

話の流れを事細かに記述していきたいところではあるんですが、もうこのままだと私の限界がきちゃうので、割愛して、私が得た学びだけ書いておわりにします。


私が知ったこと①

間接的な手段としての「発信」という在り方

一見、その発信自体が中身のない(本質をついていない)もののように見えても、それがより多くの人の目に触れる十分なきっかけにはなる。

それを入り口として、その人のことを知ったり、その人の本当に実現したいことを知ったりすることができるんだ。

インターネットが発達したこの状況でこそ生きる戦略。


なるほどって思った。

でもそれと同時に、

私は、手段としての発信には興味がないということもわかった。

私は、私が心から「書きたい」と思う文章以外は書きたくない。今のところ。

「発信すること」が何かを実現する手段だとわかっていても。


いや、「書く意味を掴めていない文章を書いてまでも、実現したいと思えることが私には今のところ無い」と言ったほうが正しいのかもしれない。

だから、今の私はひとつひとつの「発信」に意味を求めちゃうんだ。


私が知ったこと②

「情報発信力」は、「自分一人でなんとかやっていける力」のうちの1つだということ。

言うなれば、発信力を身につけることは、自分の力でお金を稼げる術を身につけることに繋がってくるのだそうだ。

たとえば、ある商品、何か売り出したいものがあったとして。

現代の買い手は「何を買うか」ではなく「誰から買うか」に注目するのだそうだ。

そんな状況の中、「この商品を作った人はどんな人なのか」「どんな思いでこの商品を作ったのか」がわかりやすく情報として開示されているのはめちゃくちゃ強い。


上記は一例だけど、つまり情報発信が上手いということは、自分で稼ぐ手段を確立していることと同値と言っても過言ではないかもしれないんだ。


ということは、やっぱりどんな内容であれ発信力を身につけておくことに損はない状況。これにもすごく納得した。



私が得た新しい学びは上の2点で、

要するにプロラボの目的は「今は中身のない内容でもいい、とにかく情報発信という力を身につけてほしい。それがいずれ自分でなんとかやっていく力に繋がっていくから」

だそうだ。

(私は今回の対話でこう解釈したんですが、極度に間違っていたりしたらごめんなさい)


だから、私がずっと「中身のない発信をすることに対する違和感」を抱えていたのは、無駄だったとまでは言わないけれど、プロラボの目的を省みる上では必要のないことだったんだ。


けれど、私は私の価値観として、発信の中身を大事にしたい。
書きたい文章を書きたい。

この両者の折り合いをつけながら進んでいくことは、きっと私にとって長らくの課題になるのかなあと思いました。



ずっとモヤモヤしていたことだったから、今一度話し合ってさらに自分の中で落とし込むことができて本当によかった。


ちなみにちなみに!

私、実はnoteをはじめて本当にすぐの頃、「noteを書く意味について」考えているんです。


それなのに、なぜ私が今になって「発信する意味について悩んだのか」というと、

この記事で、本当の本当の本質を探り当てることができていなかったからなんです。(「本質、いずれ発掘するぞ!」とか言ってた笑)


でも、

今回のディスカッションを経て結局たどりついた結論「今は外側だけを鍛える場でもいい」「発信したいと思えるものを見つける」「私のための文章を書く」が全てここに凝縮されていて、

ああ、このとき見つけたのはやっぱり私にとっての北極星だったんだ、

っていう実感もわきました。


本質から目を逸らさないようにして動くのは、それを考え続けることは、やっぱり楽しいです。私にとってのアイデンティティ。


今回の私の些細な疑問に

真剣に付き合ってくれたみなさん、本当にありがとうございました!


この文章を書くの、過去最高に大変でした^^

ゆっくり寝たいと思います!

それでは、おやすみなさい〜


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