見出し画像

漫画トライガンとキリスト教 《ヴァッシュ編》

アニメ化を機に、本棚に20年近く眠っていた原作を読み返してみました。
連載当時は「この主人公の底なしの博愛が世界を救うのだろう」と思ってたらいつまでたっても救えず、むしろ博愛の強制が苦しくて10巻を境に脱落するという苦い思い出の作品だったのですが…


もう… !あらゆるシーンで滂沱の涙。
あんなに解らなかったヴァッシュの心境が手にとるようにわかる!
大人になると泣くほど没頭できる創作物に出会うことは稀になりますが、歳をとったことによりストーリーが理解できるというかなりレアなケースです。
作者さんは何者なんですか。ちょっとすごい。

そして再読によって、今更ながら物語の随所にキリスト教要素が練り込まれていることに気づきました。私は生まれも育ちもカトリックなんですが、自分にとってキリスト教が日常すぎて提示されてもスルーしてしまってたんですね。
大人になるにつれ、日本社会において私の常識が世間とズレている面も知り、相互理解のためにと知識も積極的に得てきた結果見えるものが段違い!

オタクの方なら分かっていただけると思うのですが、この元ネタわかる!となった時ついつい人に話したくなる感覚で、トライガンにある幾多のキリスト教の欠片たちを書き出してみたいと思います。


ヴァッシュはキリスト教徒か?

いきなり核心ぽいですが、これは違うと思います。彼自身がそう自覚している訳ではない。
しかしノーマンズランドはアメリカの亜種みたいなものなので、キリスト教知識は常識としてヴァッシュの中に入ってるだろうとは思います。村社会?コミュニティにとって教会は欠かせない社交の場ですし、150年の人付き合いのなかで礼拝にも出ただろうし、聖書も読んだことあるでしょう。
(※具体例:うちの先祖は開国と同時期にアメリカに渡ったのですが向こうで洗礼を受けました。その方が信用されるんですよね)

”汝、殺すなかれ”だ なんてえ聖職者だよ 全く…

「トライガン マキシマム」1巻 内藤泰弘 少年画報社

これはかの有名な「十戒」から。十戒が善悪観としてNL社会で機能してるのが分かります。これより薄味ですが、無印1巻のカイトくんへのセリフ「死なせるな裏切るな 幸せを掴め夢を語れ!」の前半2つは十戒にありますし、〇〇するなという言い方が教えめいてます。

じゃあ仕切り直せよ(中略)未来への切符は…いつも白紙なんだ

「トライガン」1巻 内藤泰弘 徳間書店

作中の重要アイテム「白紙の切符」。この「何度でもやり直しできる、可能性は無限」という価値観。キリスト教では「回心(かいしん)」の概念です。最初はレムからの受け売りなわけですが、そういやレムはどこの文化圏の人だったのでしょう。名前はアジア人ではないけれど、切符の路線はアジア圏、テスラに供えた造花が「百合」(キリスト教だと死者に供える花)。
…香港系だったり?それだと聖公会=英国国教会の影響がありえますね。(妄想です)

レムをなくし 独りになって こころの中の彼女が微笑うように あるく

「トライガン マキシマム」5巻 内藤泰弘 少年画報社

心よろよろフラフラで放浪する少年期ヴァッシュが拠り所にするレムの顔色。
「何が主に喜ばれるかを吟味しなさい」(エフェソ5•10)に似ています。
間違え、縋り、やり直し、確信し、また悩み、精錬されていく。まるで信仰の歴史のようです。

ところでもし私が人外の赤子2人をみつけてしまい慌ただしく世話をしていたら、ふと寝顔を見ながら神にこの子らの未来を守ってくれと祈るだろうし、お守りとして洗礼を授けちゃうだろうなと思いました。(幼児洗礼とは日本のお宮参りみたいなものです)レムはそういう事しなさそう。

前に…進まなくちゃ…

「トライガン マキシマム」5巻 内藤泰弘 少年画報社

ナイブズに強制共鳴され、JULYの瞬間を見せつけられ、暴れだす自らの闇を鷲掴むシーン。ここほんと大好きでして!!
現状自分に罪があり苦しい。進んで良くなる確証もない。戻れず留まれず。ただ、進む先にだけ希望がある“可能性”がある。それだけを信じて自我を取り戻すヴァッシュ。もう強すぎて理想すぎて。

「そいつは本当に正しいのか?クズまで救おうとしてないか?」
「わからない わからないさ そんなこと分かるもんか!!」

「トライガン マキシマム」5巻 内藤泰弘 少年画報社

20年前は、偉そうな博愛を述べながらここまで「わからない」を叫んでよろよろするヒーローとか一体何なんだと呆れて見ていた記憶なんですが、今ではもう「わからないよねぇ!わかる!わからないのわかる!」と号泣です。歳をとったな…いや知識と経験が増えたんであってほしい。たぶん。


人を裁いてはならない

「ひとりたすければ ひとりうまれたことになるのか そのいのちは よいいのちか」

「トライガン マキシマム」5巻 内藤泰弘 少年画報社

扉ページにあるモノローグ。これがヴァッシュの博愛の根本だと思います。彼の中では救ういのちに良し悪しがない。
マキシマム1巻で、娘をむごたらしく殺された父親が犯人に復讐をしようとするのを、ヴァッシュが止めてしまうエピがあります。とてもキツいエピソードでした。あそこで私は最初の脱落を感じたの覚えてます。被害者と遺族が可哀想で。


カトリックの偉人で、第二次世界大戦時のコルベ神父という人がいます。彼は餓死刑に選ばれた人の代わりにその刑を受け亡くなりました。その苛烈な自己犠牲に皆が感動し聖人にまでなっているのですが、彼の代わりに助かった人はその後どうしたかというとそんな大層な人生を歩んだわけでもなくむしろ弱々しい普通の人なのです。

キリスト教だと助ける人の良し悪しは関係ない。そこに人の判断を入れてはならないとまで考えます。何故なら神の作ったいのちだから。それだけなのです。まぁ色々理屈もありますが、分かりやすく言うと「すべては繋がっている」「罪を憎んで人を憎まず」みたいなものです。

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」(マタイ5•44)

この2000年前からの無茶振りを現代の漫画のなかで出会い直すなんて、もうクリスチャン感動しすぎて目が腫れますよ?!
ヴァッシュはレムが笑うようにと悩み考えて行動してるだけなのに、結果的に私らクリスチャンには耳慣れた教えと同じことをしているんですよ。号泣。

『人は皆罪人である(ローマ3•9)』『父よ彼らをお赦しください 自分が何をしているのか知らないのです(ルカ23•34)』
「(中略)人々が心の底から罪を悔いてひざまづき 赦しを願う気持ちとともに告白すれば 父は必ずあなた方を許されるでしょう 遥か彼方の星であの方は その私たちの罪の為に 父なる神の前で罰を受けてくださったのです」
無理だ 僕の罪を許せる者などいない ありえない この重圧から解かれることなど 僕自身が許しはしない

「トライガン マキシマム」6巻 内藤泰弘 少年画報社

慣れた感じで教会に入っていき司祭の説教を聞いているヴァッシュ。彼の心の深さと傷を伝えてくる場面です。初めて聞く逸話ではないが改めて無理だと確認している感じ。

「彼らは自分が何をしているのか知らないのです」というのは、自身が磔られた十字架の周りに集まり処刑を叫ぶ群衆を指してイエスが言ったセリフです。ので、これはヴァッシュに石を投げる人達を連想しますが、続く「ありえない」によって、「彼らの事はもちろん許すけれども、でも自分の罪は許せない」というヴァッシュの、傷つきすぎて神の救いの言葉すら届かない深い深い心の痛みが読み取れます。
実はキリスト教では神に赦しを求めない事は強さではなく、むしろ人間の弱さだとされるのですが、そもそもヴァッシュは人間では無いので人外メンタルの表現とも受け取れます。

作中この教会だけ磔刑のイエスが飾られ司祭がオーソドックスな祭服を着ていますね。カトリックか聖公会ぽいです。イエスのセリフだと印象がつくよう磔刑像のあるカトリック風の教会にしたのかな。

「血まなこになり集団で括り殺しにくるだろう」
もしも そうなったら 僕は急いで逃げよう そしてほとぼりがさめたら静かに寄りそうよ

「トライガン マキシマム」7巻 内藤泰弘 少年画報社

ヴァッシュは物心ついたころから自分が人と違う事を受け入れていて、それがずっと揺るがない。優しい上位の生物感があります。博愛なんて幼稚だ甘ちゃんだ傲慢だと色々なキャラに言われまくるのですが、最初からずっと彼は強い、ずっと大人に見えます。

忘れてないさ 片時も!!! 忘れるもんか あの日から俺たちは狂った…!!

「トライガン マキシマム」8巻 内藤泰弘 少年画報社

そんな彼が自分が狂っていると認識しているというショック。狂っているのに自分を律しているという異様な強さ。はーかっこいいですねぇ。
そしてこの後に続くー

暴力は受けた側からしか その本質は語れない 苦痛にうたれた者しか 争いを止める真の言葉は吐けない
テスラの死を…ただ憎しみと争いの連鎖の中に組み込むか 胸に秘めた自分の礎にするか 本当の戦いはそこにある 目を逸らすなナイブズ!!

「トライガン マキシマム」8巻 内藤泰弘 少年画報社

もうここ読んだ時、心えぐられました。被害者がそこまでせんとあかんの?という現代日本を生きる者としての素直な気持ちと、でもやっぱりそうだよね、加害者が自ら反省して改善するなんてありえないわけで。という両方がグワっと来て、うわーーーと泣きました。
150年間悩み考え歩き続けて、彼が得た答えなのが伝わってきて。もう完敗です。

その後ウルフウッドにも先立たれ、なんでこの子はたった一人でこんな状況に追い込まれてるんだろう、望んで生まれてきたのでもないのに。という凄まじい戦いを経て、足掻いて足掻いて、人を変えてー

大事なのは良いとか悪いとかじゃない 伝えること 伝わること 相手が隣で息をして 存在していると…知ることだ

「トライガン マキシマム」14巻 内藤泰弘 少年画報社

ここでまた号泣。まさに今、隣り同士が殺し合ってる国際情勢。自由の名のもとに他者を顧みない我欲。そしてこの国の少数派として生きてきて、自分たちを伝えるだけで嫌われて、伝え方に悩んで黙るばかりになってしまった私にえらい刺さる言葉でした。わぁ…わぁ…
まぁでもこの羽根、現代のSNSなのではとも思えるので、SNSを手にした人間たちはさらに分断したね…という切ない現実があるのですが。笑

大団円の締め言葉

地には平和を そして慈しみを(ラブ アンド ピース)

「トライガン マキシマム」14巻 少年画報社

Love & Peace とルビがふられていますが、
「地には御心にかなう人に平和 慈しみを私たちに」(栄光の讃歌)
キリスト誕生を知らせる天使のお告げを基にした祈りの言葉です。とても古い。クリスマス曲などで聞いた事がある方もおられるかもしれない「グローリア(Gloria)」のあれです。
これを最後に持ってくることで、もうこの物語は私には現代の受難劇にしか見えませんでした。イエスを模したのではなくキリスト再来。ハレルヤ。
表紙に見開きドーンと描かれたヴァッシュのいつものクロスフィンガー🤞にも含みを読み取ってしまう。あれ意味はgood luckなんですが、指で十字架をつくる仕草なんですよね。

なんて大感動してますが、あくまで私にはそう読めたというだけですので、クリスチャンもちろん個人差あります。ガチな人にこの説を推すのはやめてあげて下さいね。

しかしここまで心揺さぶる話をかける内藤先生は何者なんでしょう。クリスチャンではなさそうなんですが…。いやそこは勝手にこっちが読み取ってるだけですけど、ここまでのピンポイントを想像で描ける人がいるのか?
相当悩んで苦しんで描かれたと聞きますが、知らないのに、そのつもりないのに、限界の限界まで考えたら宗教を超えて答えが一致したとしたら、それだけで感動モノです。

最後にヴァッシュが匿われていたメサ・プロブ教会の名前だけ、私の知識では意味がわかりませんでした。意味が無いとは思えないので、有識者の方いらしたらぜひ教えてください。


※※6/12追記※※
スペイン語でmesa probaciónではと教えて下さった方がいました。mesaが「机」でprobaciónが「保護観察」とのこと。机だと意味が分からないので、もしかしてメサはメシアなのではないかと仮説。となると…「救世主保護観察教会」。
どうしましょうピッタリです。笑



長くなってしまい今回省きましたが、もちろんウルフウッドの話もしたいのでそちらは次回。いくらでも語れますよ。彼はヴァッシュほど複雑では無いけれど「牧師」ですからね。


『トライガン』 マンガDX+ 少年画報社 公式マンガアプリ
https://mangadx-plus.com/comic/viewer/CT00000185/CE00005684

『トライガン・マキシマム』 マンガDX+ 少年画報社 公式マンガアプリ https://mangadx-plus.com/comic/viewer/CT00000186/CE00005706

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?