「編む」感覚&今週編んだもの#006

1. 編み物は肩がこる?

編み物をしていると、「肩が懲りませんか?」とよく訊かれます。確かに私の首肩まわりはガッチガチに固まっています。車を運転している際の巻き込み確認が大変です。ここ数年は首だけを回すことができないので、左肘でシートを押しながら上半身を捻って左側を確認しています。

ですが、編んでいて本当に辛いのは、私の場合肩ではなく、右肘から親指の付け根あたりまでの部分です。長時間編み続けていると、炎症を起こしてしまっています。多分。多分、というのは、それでも趣味で編み物をしている他の方よりもかなり編むことに負担を感じていないのではないかなと、辛いのではあるけれど、それでもどんどん編み続けることができるのではないかな、という感覚があるからです。

例えば昨日は久しぶりに家庭教師業が1日お休みだったので、合計10時間ほど編みましたが、それほどしんどくはありませんでした。目はかなり疲れますが、簡単な編み方の場合、ほとんど手元は見なくても編めるので、おそらくそれも大抵の編み手の方よりも負担になっていないのでは、という感じです。

肩こりは単なる運動不足と目の疲れが原因です。まあ編んでいるときの前屈みの姿勢も良くないんでしょうね。少しは身体を動かさなければ。ということです。

編んでいて肩がこる、と言われる方々や、普段それほど編み物をされていない、もしくはやってみたけれどなかなかうまくいかない方の「編む」動作の難しさは、おそらく糸を引っ掛けて糸の輪の中を通すことにあるのではと思います。先が鉤爪になっているかぎ針編みはまだしも、棒針編みについては、あのつるりとした針先にどうやれば糸をうまく引っ掛けることができるの?みたいなことを質問されることがあります。

正直に書くと、私はほぼそのような難しさを感じたことはないのです。糸を引っ掛けることは必要ない、とさえも言えるほど、編むことが苦手な人、初心者の人とはおそらく全く違う感覚で編んでいるのだろうなと。

そんなことを時々考えているうちに、伊藤理紗さんの『手の倫理』という本に出会いました。

2. 伊藤理沙さんの『手の倫理』と、「編む」ことの臨場感

伊藤さんは本書の中で、目の見えない方にスポーツ観戦を楽しんでもらうための研究について紹介されています。例えば柔道だと、手拭いの両端を二人の目の見える人がそれぞれ持ち、目の見えない人に真ん中を掴んでもらい、両端の二人が手拭いを上下したり引っ張ったり緩めたりすることで担当する選手の動きを伝えます。そうすると、言葉ではなかなか伝わりづらい臨場感をうまく伝えることができ、さらにそれを伝えている目の見える人までもその臨場感に巻き込まれ、勝ちたいという気持ちがむくむくと湧き上がってきてしまうとのこと。結局は観る人の感覚を伝える、というよりも、スポーツをする側の感覚を「翻訳」してしまった、というものでした。

さらに別のスポーツ種目の「翻訳」を進めていく中で、伊藤さんはフェンシングの選手の感覚が、「剣で突く」という感覚よりも、「相手の剣の動きについていき、いなす」という動きに近いことを知ります。そこで、目の見えない人が体感するために、フェンシングを「アルファベットの形をした木片を知恵の輪のように組み合わせて、一方の人がそれを外そうとし、もう一方の人が外されまいとする、という競技に変換」します。(伊藤理沙『手の倫理』電子書籍版第6章「不埒な手」より)

それを読んで、なるほどなぁと思いました。編み物とは少し話が逸れますが、私は母校でボート部の支援をやっていて、学生時代からボートを漕ぐこと教えることをぼちぼちですが続けています。ボートを漕ぐことも、傍目から見ているのと、実際に水上に出て漕ぐのでは、全く感覚が違うと常々考えていました。それについては今日は触れませんが、編み物も同じだろうなと。つまり、やっている側と見ている側では感覚が全く違うだろうなと。さらに突っ込むと、編むこと自体にほとんどストレスを感じない手練れ勢と、編むことがまだ難しい初心者勢で、見えている風景、編んでいる実際の感覚は別なものなのではないかと。

私が編む時にやっていることは、ただ針を編み目に差し込んで抜いているだけ。編み目に差し込んだ後、手首を少し捻って糸を針にまとわりつかせると、あとはそれを引き抜くだけです。差し込んで、手首を捻って抜く。シンプルにその三つの動作を繰り返すだけ。そうやって糸で作り上げたブロックを一つ一つ積み重ねていく。恍惚となりながらその動作を繰り返していると、いつの間にか美しい編み地ができあがっていく。なんなら気がつくと編み進め過ぎて既定の段数を遥かに越えてしまっている。みたいな感じ。

この感覚をなんとか言葉にしたい、編まない人にもわかってほしい。私が編むことによって感じている臨場感を、気持ち良さを、恍惚となるあの中毒性を、他の人にもわかって欲しいなと、時々考えます。

3. 知らない世界を垣間見る

さらに話を進めると、様々な分野の手練れの人たちの見ている風景を、ほんの少しでも垣間見ることはとても楽しく、興味が尽きない。全く知らない分野の難しい本を読んだり話を聞いていてもちっとも理解はできないけれど、そういう知らない世界が存在しているんだなということだけでも知ることができる。そういう好奇心に駆動されて私は生きているのだなと、最近感じるようになりました。

高校生たちに勉強を教えていて、例えば数学の三角関数とかベクトルとか、物理や化学とか、特に私が完全に専門外の理系科目を教えている時にもそれを感じます。生徒さんたちはほぼほぼ嫌々ながら課題をこなしていて、なんでこんなこと勉強しなきゃいけないんだとストレスを抱えています。実際の社会に本当に役に立っていることなんだけれど、それは実際に仕事を始めてみないとおそらく実感できないこと。私自身も、理系のそれらの学問内容が現実にどう役に立っているのかは、頭ではわかっているけれども実際に経験しているわけではない。

でも、こういう難しくて理解はできないけれど、そうことを役立てることができている世界があるのだよ、ということを体験するだけでも大事なことだと思うんです。テストが終わったら、受験が終わったら、社会に出たら、学校で勉強したほとんどの知識は抜け落ちていってしまうでしょう。でもそういう世界が存在するのだいう事実は、頭の片隅に残っていく。知らないことを退けてしまうのではなく、存在するのだと。そして理解はできないけれど確実に存在する世界をリスペクトすることができればなおのこと良い。高校生たちには、時々そんなことを伝えています。

話が脱線し過ぎました。一つ一つ、もっとじっくり温めたいテーマではあります。

4. 今週編んだもの#006

ということで、本題の今週編んだものたちです。

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あと2つ3つ、ドットを編めば終了です。ほら、可愛くなってきたでしょう。ふわふわが浮き出てくるのが、Ingenuaの同系色のドット柄よりも際立ってます。Katia Ingenua ModaとパピーNew4Plyで編むマフラー。グレーの下地にもほんのり裏側の縞々模様が見えてそれもよし。

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Katia Paintのスヌード。編み終わりにしたいんだけど、最後糸がもう少し残っていて、もう一度仕上げ部分を解いて段数増やして編み直すかどうか、二、三日寝かせて考えてみます。おおらかなスペイン生まれの糸。玉によって重さが長さが若干違う。だから決まった目数段数では収まらない。でも、全部使い切りたい。どこまで自分を追い込めるのか。自分との戦いです。それにしても綺麗な色。うっとりしちゃいます。

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こちらは新作。ダルマのチップスパイラル。ポップでパチパチ弾けるような色合いで、シンプルな二目ゴム編みのマフラーを編んでみようかなと。白いメインの色に、パープル、濃緑が程よく、そして蛍光イエローがちょっとやり過ぎくらい混じっていてKawaii!!の一言です。別の色で巨大ポンポンつけてやろう、シンプルなはずなのにやり過ぎ感満載の一本になる予定。乞うご期待。

今シーズンまでの作品はこちらで購入できますよって、覗いてみてください。プレゼントにぴったりです。

noteのストアからも見ることできますね。

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