ライ麦畑でつかまえて

ライ麦畑でつかまえて
①後半26章までの間に、ホールデンは変化したか?変化したとすれば、どのような変化か?考察して述べよ。
何も変わらなかった。最初は自分の未来について語れるようになったと考えた。前半でホールデンが英作文を書く時に死んだ弟アリーについてとても詳しく語っていたり、薄気味悪く少年たちが逃げていった博物館のミイラが展示されている場所で「落ち着いていて静かで気持ちがよかったからさ」と言っていたりとホールデンは「死」という存在に惹かれているように思える。彼は耳が聞こえないふりをしようと考えるほど誰かに干渉されることをひどく嫌っている。そんな彼に自ら関わってくることがない死者やその過去の記憶にホールデンが執着するのは明白ではないか。言うなれば彼は自分の中で存在がアップデートされず良い記憶だけで終わったアリーや長い間直接は関わっていないジェーンに縋り付いているようなものだ。だがそんな彼はフィービーに「好きなものを一つでも言ってごらんなさい」と言われた時にホールデンはアリーが好きだと答えた。その後に続けた台詞は「今みたいなのが好きだ」「ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ」。前半のホールデンでは絶対に言わなかったであろう現在そして未来について口にした。否定されるのを恐れてホールデンはその思いを誰にも語らなかったのだろうと思う。そんなホールデンがフィービーになら話してもいいと思えた心境の変化があったと考える。だが1番最後にホールデンは「誰にもなんにも話さないほうがいいよ。話せば、話に出てきた連中が現に身辺にいないことが物足りなくなって来るんだから」と締めくくった。結局彼は自分の変化を誤った行動だと後悔して自らその変化を捨てて、最初の頃に戻ってしまった。結果的にホールデンは何も変わらなかったと思う。

②ホールデンが夢想する「ライ麦畑の捕手」について、現実的にこの理念に近しい職業があるとすれば、それはどんな職業か?考察して述べよ。
学校の先生ではないかと思う。最初は親だと思ったがそれは職業ではないことに加えて不特定多数の子どもを助けるのも当てはまらない。自分と血縁関係がない他人である子どもたちと関わり正しい方向へ導いていく存在といえば、と考えた。崖からの転落とは心がどん底へと落ちることかもしれないし社会的な立場が落ちることかもしれない、あるいは文字通り自ら命を絶つことかもしれない。ふと思い返してみると中学生3年生の時の担任が私の中での「ライ麦畑の捕手」にすごく近かったなと思う。中1、2の時の私は全く勉強せず赤点も結構取っていた。勉強をする意味を見出せなかったし頑張れなかった当時の私は崖からは落ちていなかったけどギリギリを歩いていたようなものだった。あの先生がいなかったら私は受験勉強なんて頑張れなかっただろうと思う。ホールデンはよく先生の話をしていたので、彼にとっても教師とは他の大人たちと比べて少し特別な立ち位置にいたのではないか。ホールデンは教師になりたいとは思っていないが、ライ麦畑という話の中で教師の存在は大きく、ホールデンもといサリンジャーの教師へのこだわりを感じられる文だった。このことからサリンジャーは教師という存在を基にして「ライ麦畑の捕手」を書いたのではないかと考える。

③あなた自身、あるいはあなたの周囲(過去付き合いがあった人間含む)人物の中で最も「ホールデン」な人物を1人挙げ、その人物について自由に論述せよ。
小中学校が同じだったA。彼はいつも先生に反抗したりクラスの人と喧嘩をして大人しく黙っていることはほぼなかった。ホールデンは自分のことを冷静で大人びていると考えていそうだが、実際は精神的に幼くとても不安定である。ストラドレーターとだべったり彼のお願いを引き受ける友達のような存在かと思ったら殴り合いをし始めるところなど相手に対して一貫した態度をとらない。一方Aも常に自分は周りの人とは違うと達観しているような言動ばかりだったが、感情的で他の人ならスルーしてしまいそうなことでも揚げ足を取りちょっかいを出すなど幼稚な行動をしていた。そしてその行動は特定の誰かに対して起こるわけではなかったので、いつ彼の地雷が爆発するのかもよく分からないアンバランスさを持っていた。加えてめちゃくちゃイキるわりに物理的な喧嘩は滅法弱いところもホールデンに通ずるものがあるなと思う。私は日頃からAに馬鹿にされたり喧嘩を売られていたので、彼と意思疎通するのは難しい、彼は私のことが嫌いなのだろうなどと思っていたが、急に親切そうな態度で接してくる時があり「あのAが?!」とすごく困惑した。アクリーを嫌うホールデンが悪態をつかず仲のいいクラスメイトのように彼に話しかけるところを読んだ時も当時と同じ感情を持った。もしかしたらあの接し方が普通だと考える人も意外といるのかもしれない。

④サリー・ヘイズとジェーン・ギャラガー、本編に登場する2人にはどのような違いがあるか?そしてホールデンがジェーンに拘り続ける理由は何か?考察して述べよ。
大きな違いと言えばサリー・ヘイズは本編でホールデンと直接会って話をした。一方ジェーン・ギャラガーは会うことも連絡を取ることもなくホールデンの口から語られるだけだった。サリーは時間に遅れてやってきた。黒のオーバーに黒のベレー帽を身につけていてホールデンが一瞬結婚を考えてしまうほど美しい人である。2人はとても仲が良さように見えたが、実の所ホールデンもサリーもお互いの性格はあまり好みじゃない、というか根本的に合わないと思っていそうである。ホールデンは彼女が好む生活を嫌うだろう。そしてサリーもホールデンの望む生活を断った。それでも2人はお互いに関わることをやめず連絡を取り合っていた。ホールデンが自分の希望を伝えられた人はフィービーを除いてサリーだけである。どんなに性格が合わなくてもホールデンにとってサリーは無垢な子供側に属しているのだろう。自分にも好みも考え方も合わないけど何故か付き合いが長い幼なじみがいる。別に彼女を嫌っているわけではないのだ。ただ合わない、それだけだから関わりを続けている。きっとホールデンとサリーの関係もそんな感じなのだろうと思う。最後は大喧嘩をして別れた2人だが、またどこかで2人は会うだろう。本編で台詞すら出てこなかったジェーンだがホールデンは彼女にひどく執着している。そもそもホールデンが予定より早く退学したのもジェーンが絡んでいたからだった。ホールデンがそこまでジェーンに入れ込むのは自分と同じ考え方、感じ方の持ち主だと判断したではないか。そしてホールデンはジェーンを神格化してアリーやフィービーと同じくらい無垢な存在として捉えていたからではないだろうか。だが彼女からホールデンに話しかける場面は出てきていない。ジェーンが物事をどう考えていたのかなんてさっぱり分からない。話を読んでいる限りホールデンがジェーンに何かをすることはあってもジェーンからホールデンに働きかけることはなかった。もしかしたらホールデンが一方的な好意を向けていて、ジェーンがそれに付き合ってくれていただけかもしれない。ホールデンは何度も彼女に連絡を取ろうとしたが、結局躊躇って1度もしなかった。ストラドレーターとジェーンが一緒にいたことに対してひどく嫉妬したホールデンは、ジェーンが「無垢な子供ではなくなっていたら」ということを恐れていたのではないか。ホールデンは自分の中のイメージが崩れることに耐えられないことが自分でも分かっていたのかもしれない。だから連絡を取らないことで自分の理想のままの彼女から、存在の認識をアップデートせずにいるのではないかと考える。


⑤この物語は、実に60年以来世界中で「10代のバイブル」として読まれ続けている。それは何故か?考察して述べよ。
10代とは多感な時期で精神的に不安定なお年頃である。中学生にもなれば身の回りの選択をほとんど自分の意思で決めなければならなくなる。10代で多くの人が直面する問題で例を挙げるなら進路を決めることだろう。高校までは自分の家から近い学校に通いみんな同じ教科を勉強して学習の内容に大きな差が出ることはなかった。しかし高校になると学科や偏差値、所在地など実にさまざまな条件が生まれる。その中から自分のやりたいこと、自分にできることなどを加味して目指す学校を決めなければならない。そこで親や学校の先生などの大人達と意見が合わず対立することがよくある。そんな時に子どもたちは子どもだけのコミュニティで不満や感情を共有する。親や先生への不満を友達に愚痴るのはみんなも覚えがあるだろう。そこに介入できるのは子どもの味方だけで、大人が関わろうとすると子どもたちはその話をやめたり、そそくさと離れていく。にも関わらずライ麦畑が10代に読まれ続けるのはホールデンがしっかりとした大人に成長できなかったからだと思う。なんの苦労もなく生きてきた人に「人生って大変だよね〜」なんて言われても、いやいやいやあなたは自分よりだいぶマシな人生を送ってるじゃないかとむかつくのは人間の性だろう。だかホールデンは精神的に大人になれなかったことで大人に反抗する10代にとっての味方になれたのではないか。成長しきれなかったことが10代により説得力を与える話になり、大人との関係で悩む子どもたちの拠り所となったからだろうと思う。

⑥「ライ麦」を読んだあとで、あなたが思うところを、率直に400字以上の作文で述べよ。
ホールデンは若いなあと読み終わった時そう思った。中学生くらいまでの自分だったらホールデンの思いに深く共感できただろうな。今の自分はもう「大人だから」っていう理由だけで誰かに反抗する気は無くなってしまった。漢字すら書けない小学校低学年の頃は両親に叱られたら姉と2人で親への不満や悪口をノートに泣きながら書き殴っていたこともあった。今となっては親と笑い話にできるくらい変わってしまったが。大人になりたくない、大人なんかに自分の気持ちなんて分かるもんかって小学校高学年とか中学生の時は本気で思ってた。自分と姉、2人揃って受験期だった時は家が修羅場で母と姉がほぼ毎日喧嘩をしていた。当時の自分はその喧嘩に介入はしなかったものの心の中では姉の味方をしていた。親はほとんど勉強しなかったくせになんで自分はこんなにも勉強しろって怒られるんだ。大人対子供の全面戦争である。でも自分たちは負けた。勉強から逃げ出す勇気もなくひたすら受験期を駆け抜けた。あの時はめちゃくちゃ頑張ってもほとんど褒めてもらえなかったし労いの言葉すらもらえなかった。受験生になる前は「自分が家族の中で1番最後に寝るなんてことはなかったのに」と高校受験の時は自分の部屋以外真っ暗で静まり返る家で唐突に虚しさと悲しさに襲われた。でも高校に入ってからは帰ってくるのも遅くなったし寝るのも遅くなった。親にムカつくこともほぼ無くなった。みんなが先に寝ていてもどうってことなくなった。ライ麦畑を読む前から、成人してはいないけど自分はもう精神的に大人になったんだなと思っていた。ホールデンからしたら自分はもう敵だろう。でも自分はまだホールデンの気持ちを理解できる。今はなんとも思わないが高校1、2年の時まではタバコやお酒、性行為などを大人だけの世界で嗜まれるものすごく遠い存在だと認識していた。でも環境が変わりそれらを身近な人達も普通に楽しんでいるという事実に気付いた時、自分の中での大人というイメージが崩れ落ちてすごくショックだったことを覚えている。ホールデンも自分と同じように大人の社会の汚さ、不条理さにショックを受けただろう。自分は大人の現実を受け入れて慣れた、ホールデンは受け入れられなかった。もし自分が受け入れられなかったらきっとホールデンと同じような考えを持っただろう。ホールデンを見ているといつまでも子どもでいたがる姉(最近はもう終わったようだが)のことも思い浮かぶ。ホールデンと同じ考えを持ったまま大人になってしまった人は随分多そうだ。そんな人が大人の社会で生きていくのは辛いだろう。遅かれ早かれいつかは大人にならなくてはいけないのだ。それがいいのか悪いのかはわからない。でも子供のままでいたいのなら誰になんと言われようと気が済むまで子供でいてもいいんじゃないかと自分は思う。あなたの人生だ、凶悪な犯罪に手を染めない限り、あなたが好きなように生きればいい。自分は否定されるんじゃないか、引かれるんじゃないかって思ってしまって本音で話せないことが多い。だから今回はホールデンの真似をしてなるべく自分に嘘をつかずに書いてみた。なんかすごくカッコつけてるみたいで恥ずかしい。ホールデンのように素直に意見や考えを言うのも難しいものだ。

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