フランス移住の意味がわかってきた(7/3)
昔、その昔、家庭環境の殺伐さも手伝って、私の性格はそれはそれは最悪だった。自分自身でもコントロールできないくらいに家庭内の問題から派生した憎悪の気持ちに支配されていたけれど、やはり子供だから家の外に出た瞬間に別人みたいに切り替えることは不可能だったし、簡単に人も自分も(し)ねばいいのにと思っていた。文字にすると改めて間違っているし、可哀想な人間だったと思う。(これは優しさからの視点ではなく歓迎されない類の同情による)
今から過去は変えられないというのも勿論あるし、できればなかったことにしたい自分の恥ずかしすぎる立ち居振る舞いもあるのだけれど、やはり未成年で他にどうにもできなかった自分のことを許してあげたかったし、その代わりにきちんと学び、自分自身と戦い、乗り越え、他者との関係性を大切にしていくことが引き換え条件だとも思っていた。
そして、自分自身へと同じように、他者にもチャンスが与えられるべきで、変わろうとしている人を過去だけでジャッジしてノーチャンスに追い込むようなことはしたくないと思っている。
そんな私にとって、フランス人アーティストJR氏の新作ドキュメンタリー映画『テハチャピ』は強く響いた。ちょうど前日に、レオス・カラックス氏の映像作品『C’EST PAS MOI』を鑑賞したばかりだったから、余計に反動もあったかもしれない。
未成年の時にギャングスターの仲間入りをして人を殺めたり重い犯罪を起こした若者たちが収容されるアメリカの刑務所が舞台となっている。ここで描かれていることはいささか綺麗すぎるきらいもなくはないけれど、でもドキュメンタリー作品としてこういうものが残されること自体に大きな意味を感じる。囚人たちが「アートってすごいよ!アートは人生を変える」と、その囲いの中の人生で新しい価値観と出会うこと、自分のしてきたことと向き合い続けることを目撃して強く胸を打たれた。
もちろん、実際には被害者がいて、被害者家族がいるし、生きていてもトラウマを抱える人、一生忘れられない傷を負う人、取り返しのつかないことだってある。それは多かれ少なかれ自分にも思い当たる経験がある。というか、誰だってあるだろう。
でも自分がしたこと、しなかったことは変わらないのだから、それを背負って生きていくしかない。
学生時代にファンだったカラックスの変わらぬインテリ・シネアストぶりは今の私にはもう全然響かなくなっていて、その寂しさと「そういうもの」という人生の山脈を感じた。こうして人は出会ったり別れたり離れたり、ひょっとしたら再会する。人生は、ただそれだけでいいんだと思う。嘆くことは何もないって言うか。
単純に私のインテリジェンスが足りないからカラックスのポエジーが分からなかっただけかも知れないけれど、自分自身がアーティストだから、人に届けるということや、なんのためにアートが存在しているのか、色んな在り方があって良いという自由さなど、色々と考えてみればみるほど、それは平和を愛しているっていうことなんだなと思うに至る。
なんでフランスなんて来ちゃったんだ...!と当初ため息をつく日々もあったのだけれど、私はこういうことを丁寧に身をもって学ぶために来たんだなってことに強い実感がある。それは私にとって必要なことでもあるし、私がずっとどこかで望んでいたことなんだと思う。仕事で才能を評価されてることだけが自分の武器になっていてはダメなんだって、どこかで思っていたのだと思う。
フランスでは細々むかつくこと満載で生活上の時間ロスも半端ないのだが、それでも価値のある選択をしたなって思っている。
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