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PiZZA DESU!(2/27)

世武日記なんかではなく、「今日のできごと」という箇条書きペーパーを支給されていたならば、毎日これと言ったイベントも特段ない静かな暮らしが想像される日々。だがしかし現実は、相変わらず脳みそフル回転でオーバーヒートを起こしかける一日であった。

まず、朝活が続いていることを皆様に報告しなければならない。(日記と言ってるのにあくまでエッセイ調)

その上で。お仕事的には、まずドリルで地面を掘らなければ始まらないのだろうことは薄ら予測しながらも、朝っぱら(8時台)に家の目の前でガンガン始まった工事に、思わず軽めの舌打ちが出そうになった。
昨日少し夜が遅かったので9時半頃まで眠ろうかとズルを企てたところを叩き起こされたからだ。朝は大抵、顔だけではなく舌も浮腫んでいる。辛うじて舌打ちが無音の不発に終わったことが不幸中の幸いだろう。

仕方なく、アスファルトが木っ端微塵に粉砕される音を聴きながらパソコンでできる仕事に取り掛かる。午前中から大使館にメールを打ったり(またその話...)、来たるライブの細かい詰めをしたり。江島くんとは15時に待ち合わせをしていた。

今日は最後のリハーサルなので、また江島くんの練習部屋へ束の間の出家。二人して、同じ曲の別の場所で構成を間違えるが「今ここで間違ったら本番間違わないもんねー!今日があって良かったよねー!やっぱりリハーサルいっぱい出来るの良いよねー!!」などなど、呑気に互いの肯定感をアゲまくっていた。牧場の牛二頭のような絵面だ。

「私が死んだら、誰が焼き終わるところまでやるんだろう?」と考えながら練習部屋まで歩いてきたのだが、休憩中、江島くんにその話を披露した。「誰か残ってる人がやるんじゃない?」と言うので「じゃあエジー撒くなり何なりしてくれる?("いいよ、どういう感じがいい?"という返事を受けて)え、いいの?ほんと?助かるー!経費は私の生命保険からもらっといてね」と話はあっさりまとまった。

もし私が死んで、誰も焼いたり撒いたりしてなさそうなスメルがしたら、江島くんに「ねぇ、エジー!世武さんの骨の件、忘れてるよ!」と耳打ちなりDMなりしてもらえると幸いだ。

海に散骨するのは本当は違法だという話を聞いたけれど、実際のところどうなのだろう。地球のカルシウムとして環境にやさしいイメージを持っていたのだが。ヘリコプターで撒く時に、下で海水浴中の人の髪とか麦わら帽子にかからないようにするのは少しコツが要りそうだな、とは昔から思っていた。
お墓の場合は管理したり世話する人が気の毒だもんね、と二人してうんうんと頷いていた。そんな話をしているが、特にビジョンがあるわけでもなかった。
ビジョンもないのに具体的な話をし続けられるのが私と江島くんである。

ちなみに私は、幼い頃にお寺で読んだ死後の世界の本の印象が強烈に残っていて、自分の死後を少し心配している。

基本的には死ぬまでが人生と思ってはいるが、◯回忌的な時に誰にも"なむなむ"されないと、どんどん地獄の下層地帯に落とされ、熱くて苦しい世界に身を置かなければならないらしい。弔う人や、悲しむ人や、思い出す人がいないのは、そういう罰当たりな生き方をしてきたからだ!みたいな感じの本だったと思う。

そんなことを言われたら、胸を張って「私は大丈夫!」なんて言えないし、そもそも天国に行くので無関係です、とは到底思えない。そんなわけがない。人間だもの?

「セビーのそれって宗派なに?」と江島くん。「さあ、どうだろうね。なむなむしてたよ。レンゲーのやつ?アミダブの方かも知んない。場所忘れた。」みたいなふんわりしたテイストで、我々はまた牧場の牛みたいな姿になった。背中の方で尻尾がゆらゆらし始めた頃、「このチョコレート美味しいね」と、極めて刹那的な快楽に引き戻されて話は終わった。

練習が終わって、また、江島号で機材を一緒に運んでもらった。次は本番日だ。明日は衣装の相談をすることになっている。久し振りの楽しさ。ソロでは味わえない。

帰宅したら、とある映画のお手伝いに関するZoom Meetingに臨んだ。スクリーン越しなのでなおのこと、初対面の英会話で「こいつ、大丈夫なのか...」と思われてはマズイ。Duolingoという流行りのアプリを使って(2日前からですけど)イメトレをした成果を発揮する時...!とばかりに張り切った。

プロデューサーと監督(どちらも女性)がフレンドリーに登場。ビックリするほどのギリシャ訛りだったので随分と安心して、私もアリー(・マイラブ)やエミリー(
・イン・パリス)なんかを意識せずに軽い挨拶から近況を報告。「フランス語の方が本当は良いよね?ごめんなさい!」なんてすぐに詫びられるほどにフレンチアクセント全開のMy Englishではあるが、英語で脚本を読め!と言われているわけではないので、そんな気負わずに話せた。

ギリシャ訛りの英語は相当クセが強く(激しいフレンチ訛りのやつにだけは言われたくないと思うが)、しかし、ネイティブの方よりもよほど聴き取りやすくて助かった。
ヨーロッパには馴染みがあるので、なんとなく聴こえてくる英語の訛りの種類にも親しみがある。

もちろん時と場合によるが、今回もプロデューサーより監督の方がウマが合いそうな気配だな(クリエイター由来の独特なラフさが滲み出ていた為)と思いながら、資料を待ち、来日されるタイミングでお会いしましょう!という話になった。

それからライブの打ち合わせをした。

それからそれから、ラジオ局に提出する楽曲が全部揃ったので、そのデータを作ってエンジニアに送った。

最後に、フランスから遥々やってきた「(本来)居住証明書を印刷したものに直筆サインをした原本(のはずの、写経バリのオール手書きの書写手作り証明書)」を開封してから数十秒眺めて(正しくは、驚愕体験による硬直状態にあって)、ここまでの苦労を走馬灯のように思い出しながら、腹を立てるどころか愉快な気分になってくるのだった。

友人に「違うの。直筆のサインってのは、こういうことじゃないの」と連絡を入れた。

「僕の家にはプリンターがないから手書きにしたんだけど、ダメだった?まじ!行けるくない?」と、こちらもクリエイター由来の独特なラフさを滲み出して(彼はサウンドデザイナー)、全てを手書きで行う証明書の格式高さを説きながら"フランス風の伝統"を大使館に勧めてみるのはどうかという提案があった。勿論、あっさり却下させてもらった。

こんなふうにして、"シンプルなものを複雑に!"という弊社の逆張りスローガンは本日も正しく再現され、ここに日報を終えることとする。

To Be Continued....


お花のおかげで少し華やかな我がデスク(兼、食卓)

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