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ぎゃー!悔しい!タイトルに悩んでたら0時になってしまった!(3/30)

東京のしまんちゅ(玉置)周啓と、以前から一緒に行こうと言っていたお蕎麦屋さんへ。定期的になんやかんやと会う人のひとり。九条葱と粗い大根おろしにきつねとたぬきが合戦をしているようなとても美味しいお蕎麦を頂いた。しかし、ごま豆腐という料理を考えた最初の人はなかなかに天才である。料理は素晴らしいクリエーションだな。こうして考えると、歴史にはもっと多くの天才が、徳川家康やマルクス、ナイチンゲールなどと並んでいても良い気がする。

この業界に一応籍を置いているわりにミーハーな心へのシンパシーが欠落しがちな私(脳みそで基本構造は理解)は、一緒にいる友人がどの程度の人気者なのか顔が知られているのか、目の当たりにするまで考える事もなく、実際に目の当たりにした時には全く知らない人を見ている気分になったりして、とても不思議である。
友人の外交時の顔にさほど興味が持てないので、黙ってスッと距離を置いたりして、客観的に見たらいささか感じが悪いことに最近になって気づいた。

単純に戸惑いと、ファンの方々の束の間の感動を邪魔しては申し訳ないという気持ちなだけなのだが、いかんせん的外れな気がしているのだ。
ファンの方々がこう言った場合どういう態度を求めているのか、教えてもらえるならば聞いてみたい。

たまに「世武さんですよね?世武さんのことも応援しています!」などと言わせてしまった時には、「ああ、そんな気を遣わせてしまって申し訳ないね。いいのよ、私が写真を撮りましょうか?ツーショットが良いでしょう?私も一緒じゃアレでしょうに...」と恐縮してしまって、最近真っ直ぐ太めに描くことにハマっている我が眉毛が、その申し訳なさに打ち勝てずに八の字になったりする。よほどの申し訳なさと思って頂いて問題ない。

人見知りと言いながら顔の広い、内向的なんだか外交的なんだかよく分からない周啓の社会生活を垣間見て、これほど座組で印象が変わる人も早々いないよな、と、やはり興味深い生態をしている。そういう意味では実際的に、全く知らない人を見ているのかも知れなかった。

さて、すっかりお店で話し込んでしまい、夕方に渋谷で演奏するならチラッと顔出すよ!なんて言っていたホイ氏や仁也くんのセッションには間に合わず、涙のショートカットで代官山のEnd Vintageへ足を運ぶ。

普段あまりお店の人と(意図的に)仲良くならないタイプの私だが、珍しく仲良くさせて頂いているオーナー夫婦のお店。本日の訪問は、彼らが新婚旅行で訪れたというトルコからやってきたSEX Ringなるものを譲り受けることが目的だった。最近発掘した、健康に関する有益情報を交換し合いながら立ち話。

更に自転車を漕いで筋トレへ。口と筋肉、どちらの方がよく動いているでしょうね?(無論、口です)と言いたくなるようなセルフ賑わい(要するにうるさい)を見せるトレーニー"世武・口から生まれた・裕子"。

我が筋肉に同情を迫ることだけは忘れない。「頑張っている成果を頑張り以上に下さい!お願い!」と念じながら、今日も靴下をベッドにくくりつけて眠るようなイメージを強く持って、努力以上のものを獲得しようとチラチラと煙突の方を確認した。

帰宅の道中、ノイズキャンセリングを外した状態での片耳イヤフォン(一応交通ルール的に)でパリジャン氏の新譜を聴く。この演奏レベルの人が「面白い」と思える楽曲はどんなものだろうか?(新譜は彼がリーダーのカルテット)
自分の視点でピアノとソプラノサックスの関係性を見た時に、どのように音色を運営していけば興味深いものが引き出せそうか?などと考えながら、生温い都心を横断。

帰宅してからは、とある先輩ミュージシャンのソロに誘って頂いたので、提案したデモを確認しながら録音のイメージを膨らませる。自分の手グセだけで終わらせないためにも、どのように新鮮なタイム感を生み出せるだろうかと、あれやこれやと考えを巡らせた。

このように、真面目に音楽家っぽいことを連ねることでそれっぽい一日に仕立て上げながら、夜食にグレープフルーツを食べて本日はおしまい。

いつも遅刻する周啓を待ちぼうけするメカニック世武
遅刻の罰として勝手にコラージュ
ちょっと痩せたんじゃないか?と本人には言っていないが心配

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