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社交的な世武(4/2)

「0時までに日記を書き終える」と言う縛りを無くしたら、なんとまあ社交的になることでしょうか!(たった一回きりの社交活動で感嘆文が書けるほど、わたくしノリで生きている側面もございます)

本日は、そんな私のハリボテの社交性とは違う、真に社交界を華やかに闊歩する方からご紹介頂き、知り合うこととなったTELMAデザイナーの中島さんご夫妻とお話しする機会に恵まれた。

Blue Note Placeライブにお二人揃って足を運んで下さった事も終演後まで知らなかったのだが、あの時は本当に嬉しいサプライズだった。(「あの時」と書いてみて、3月の密度の濃さに改めてとてつもない重量を感じる)

中島さんはアントワープ(ベルギー)に長らくいらっしゃって、私の敬愛するドリス氏の元で殆ど二人三脚のような形で作品を生み続けていた人。ドリス好きとして興味を惹かれないわけがない。
でも実は、お会いするもっと前、というか輝かしい経歴を知るよりも前から「このブランド、何か匂うぞ...!」と早々目をつけていた為、種が明かされる度に「不思議はないな」と合点がいった。

中島さんは、ドリスの後にイッセイミヤケにて研鑽を積まれたようなのだが、これまた面白い偶然だった。
宮前さんデザイン時代のイッセイミヤケ・パリコレクションで何度か音楽を担当させてもらったことがあって、その時に同じ場所(パリのミヤケオフィスは本当に素敵なんです!)にいらっしゃったのだから、運命的としか言いようがない。

当然、誰しもがたった少しの時間では分かり得ない世界を持っているし、人となりとてほんの一部しか見ていない段階だけれど、なんとなく同じ獣のナチュールを感じ、それが作品を通してもブレないところは大きな安心感。昨日も話していたのだけれど、「好きなものが同じ」だけでは「実は見えているものが全然違った」ことが結構頻繁に起こるのは、この仕事をしていて痛感してきたことのひとつだ。でも「作る行為の意味合いが同じ」時に「実は見ているものは全然違った」みたいな事故は殆ど起こらないように思う。

今後成長していくための課題、改善点、野望、尖り方についての話などとても楽しく、西洋的なものと自分の繋がり方なんかも共感できる部分が大いにあった。

"物質としての価値の外側にあるものを丁寧に磨くことで希求して行きたい。"

色んな表現でこれまで反芻してきた話だけれど、色んな人の視点を交えて点を結ぶ度、球体に近づいていけることそのものが「アーティスト」であり、「アーティスト」は職業ではなく生き方とされる最も分かりやすい例だなとつくづく感じる。

あらゆるブランドの洋服の裏地をポリエステルからヴィスコースに変えて頂きたい、という個人的な願いも身勝手にぶつけながら、服飾業界の事情なども聞けて楽しかった。

事務報告としては、日本の家の解約立会日が正式に決まった事で、いよいよ本格的に荷物整理が始まった。
賛否巻き起こる「不適切にも程がある」というドラマがあるが、まずは観ないと何も言えないのでNetflixにて本編流しながらの作業。

チラチラとドラマを横目で観ながら、私もところどころ平成と令和を行き来する。整理整頓は最も静的なタイムスリップの形であろう。

平成26年にもらった手紙とか、ライブでお客さんにもらった応援レターなどを手にして「こういう大切なことは忘れてはいけないよ」とぼそぼそ言いながら、保管箱にしまった。

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