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「私は移民です」の違和感(6/18)

本日は移民局に行き、健康診断を受けてきた。健康診断なんて特に緊張するものでもないのだが、すぐに悪い癖で「あーだこーだ難癖つけられて、出直しって言われたら絶対に嫌だ!」みたいな弱虫小虫が心の窓の隙間から出てくるので、空中でパーンッと一本締めみたいに威勢よく捕まえにかかるが、これがまたなかなか小賢しいので逃げられてしまうことも多い。

そんなわけで、久し振りに(相変わらず不潔で臭い)メトロに揺られて郊外へ。フランスっぽいなぁといつも思うが「移民局」という言葉から想像される世界各国の多種多様な人種をイメージして行くと面食らう。
実際には殆どがアフリカ系の移民であり、その次に多いのがアラブ系の人たち。あとはちょこちょこと東欧風の人たちがいるくらい。自分が学生の頃のパリは、もっと中国人やベトナム人が沢山いた記憶がある。
学生だったからなのか、時代が変わったのかは分からない。最近は、フランスも極右政党がこの前の選挙で圧勝していたし、イタリアもアメリカも(日本だって)雲行きがかなり怪しいことを考えると、国境の境がなくなって可能性が最も広がっていたのはコロナ前くらいかも知れないと思ったりもする。

最近なにかと、2018, 2019年くらいは良かったなぁと思うことが多い。個人的な経験の影響も当然受けているだろうが、やはりコロナで世界は変わったと言わざるを得ないのかも。

こういう世界的パンデミックは、感情論で言えば色々と思うところはあるがそれらは無意味なので、これは人類の宿命として「それありき」で考えるしかない。
「もしコロナがなかったら」というフレーズは世界的禁止用語にしても良いくらいに。

さて。

移民局に行くのは初めてではないのだが、いつでも職員さんたちがとても優しくて、なんだったら移民局に親しみすら感じ始めている。私はGoogleマップの星マークとかレビューのようなものに書き込むタイプの人間ではないのだが、移民局ばかりはエモーショナルに「みんな本当に親切で、職員の皆さんが大好きです!」なんて書き込みそうなほどだ。

しかし未だに「自分は移民です」と言葉にすると違和感を覚える。ほんの少しずつ、自分と言葉を擦り合わせるというか、慣らし運転している気分で、たまに自分の声で発せられるそれを聞きながら、どこか他人事に「移民です」とはなんなのか考えている。

ワクチン接種の有無を聞かれるのだが、小さい頃の自分がどうだったかとか、ご先祖のこととか、兎に角うちの母はそう言った話を徹底的にしない(意図的なのか、興味がないのかは不明)タイプの変わり者なので、自分の昔のことも家族のことも全く知らない。今回も、「あなたの年齢だとB型肝炎ワクチンは打ってない人もいるけど、あなたは?」と聞かれても、確認する術がない。

無料で打てるからって何も考えずにワクチンを打つほどには私の思考能力も退化していないので、取り敢えずは考えたい、と答えて保留にして頂いた。

血液採取だけだとのことで、エイズなどの検査は受けることにした。お兄さん指に「チクっとします」と言われてピアスを開けるみたいなやつで刺されて血を採ってもらうのだが、こんな些細な穴ですら地味にピアノ演奏に支障をきたして困った。

いよいよ私の移民物語 in 移民局が終わりを迎え、すっかり気を大きくしたので、帰りに古着屋さんのPOP UPに寄り道をした。去年一度通りかかっただけなのだが、2店舗とも「あなた、前にも来てくれたよね?あなたの顔、覚えてる!」と私のことを覚えていて、商売人の鑑だなと大層驚いた。

帰宅してからは、ひたすらサウンドトラックを書き続けに書き続けてラストシーンまで漕ぎつけた。
ここからじっくり通して見て、本当の正解までまだまだ粘り強くやっていきたい。エンドロールのこともあるし。

作業を中断したくないばかりに作品にしがみついていたら、今日も朝4時になってしまった。早く寝ないと!

ボンヌニュイ!


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