見出し画像

想い出の地、私たちの養鶏場

先月末、2023年2月28日。私の祖父母の養鶏場が50年の幕を閉じました。

私の祖父母は実は養鶏をしていて、卵を売っていました。
戦後、高度経済成長期。「これからは1次産業がどんどん減っていく時代が来る。だからこそ、栄養価の高い卵を、安心安全で、かつ安く手に入れやすい卵を作らなければ。」
そうやって祖父は養鶏場を始めました。

私の想いを忘れないうちに書き留めたいので、今回もダラダラと書かせてください。興味があったら読んでみてください。

祖父が始めた養鶏場

地域の人に喜んでもらうため、最初は地域の飲食店やお菓子屋さんなどへの配達と直売(自販機)だけでやっていたのですが、イオンからも声がかかって、長崎県内や佐賀県の一部のイオンなど、地域の住民が買いやすい形で配達していました。

私は小学生の時から、祖父母の家に行くと養鶏場に行くのがちょっとした楽しみで、行くと大体お手伝いをしてました。
朝8時に出勤。レーンに乗って流れてきた卵の中から割れ卵や規格外を除いたり、汚れの酷い卵を1度お湯に通して洗ったりします。(割れ卵を見つけるのは特技です(笑))その後、卵はレーンに乗って次なるステージへ。ブラッシングされて汚れが綺麗に落ちていきます。
汚れが綺麗になった卵は機械でヒビがないかチェックされます。ヒビがあるとはねられます。そして大きさ別に選別されていき、パック詰め。詰められた後も割れがないか入念にチェックしてから、合格したものだけがスーパーへと行くのです。実は日本の卵が安心安全なのはこんなにもチェックされているからなんです。卵が汚いと、ヒビがあった時にそこから菌が入って、感染症にかかってしまったりしますもんね。そんなこと絶対にさせたくないので、私たちは入念にチェックするんです。

お手伝いの中でも配達のお手伝いは特に楽しかった。小学生(私)がスーパーで卵並べてるもんだからみんな可愛い可愛いって、「私いつもここの卵買ってるのよ」「お姉ちゃん可愛いからいつもは違うの買うけど買っていくね♡」なんて言われたのは嬉しくて今でも記憶に残ってる。笑
リハビリセンターとか飲食店とか市内の色んなところを、卵を配りながらドライブしたのも、「いつもありがとう」って必ず声をかけてくれるお店の人たちとの交流も、お菓子屋さんに配達があった時におばあちゃんが買ってくれた丸ぼうろをおうちで食べてたあの時間も全部好きな時間だった。

そんな養鶏場ももう、違う人のものになりました。大規模でやっている別の生産者さんに買って貰えました。

養鶏場で何が起きてる?

祖父がなくなってから4年経ちますが、ここ数年はずっと赤字だったらしいです。餌代の高騰は特に、本当にキツかったみたいです。
ほかのニュースを見ても分かるように、餌を買っているところは大体どこも大変な目にあっています。ウクライナ情勢や円安の影響で、餌代が高くなりました。(私たちの鶏を初め、多くの養鶏場ではコーンをメインに色んなものを混ぜて餌にしているところが多いと思います)
かといって卵を値上げしすぎると消費者が買いにくくなる。。売れ残ると廃棄になって、そっちの方がダメージが大きいんですね(輸送コストやパック代なんかもかかりますから)。バランスを保つのは難しかったんですよね。

餌を変えればいいじゃない

そう思った時期もありました。というのも、私の訪問した農家さんの中で餌代をほぼ0円で平飼いにして卵を販売している人がいたからです。ほかの農地や加工場で出た廃棄物を鶏にあげるんです。それってSDGsだしいいなって思ってました。
けど、卵の味は鶏の品種とか育て方もあるけど、やっぱり餌で決まります。鶏が食べる餌によって、臭みとか甘みとか産む頻度とかが、私の体感でしかないけど変わります。おばあちゃんは鶏の餌を自分も食べたり、鶏糞の状態とかから鶏の健康状態を定期的にチェックしたりちゃんと記録管理したりして、味にこだわって作ってきたんです。だから餌もなかなか変えられないんた。ってか変わったら出荷先のお菓子屋さんの味まで変わっちゃうんだからね。ダメだったんです。


そういう訳で、廃業したんですよね。

祖母は養鶏場を失ったことがすごくすごく悲しかったようです。もちろん、祖母だけではなく、私の家族みんな悲しみましたが。
私の大学入試の3日前。祖母からかかってきた電話。今でも忘れられない祖母の、今まで聞いたことのない、強くて悲しみを堪えた声に、祖母がいかに祖父のことを愛していたのかを感じたあの日。そんな祖父の1番大きな遺産はあの養鶏場でした。

輸入に頼る生活

色んなものが値上がりして、日本は輸入したものを基盤にして生活が成り立っていることにすごくモヤモヤした感情を抱いている。餌も燃料も、トイレットペーパーやティッシュみたいな石油がないとできないものもだし、大豆や小麦みたいによく食べるものもそれぞれ自給率5%や13%。これを日本国内で生み出すことが出来ていたらまた違ったのかなって。、
そんなことに気付いている日本人は一体どれだけいるのだろうか。そして、アクションできる日本人は一体どれだけいるのだろうか。
そんな弱さを身に染みて感じてしまって。どうしようもないやるせなさを感じてしまって。行きどころのない悲しみをどこに投げればいいのか分からなくて。
誰に頼ることだってできないこの問題。私にもっと能力があればなって思ってしまう。

これからしばらくおばあちゃんに会えなくなるのが怖い。帰って来れないその間に、変わってしまうものに対する恐怖が時々辛くてギュッとした気持ちになる。

おばあちゃん。どうか私の知ってる優しいおばあちゃんでいてほしい。沢山笑うあなたの姿がなによりも好きだ。

最後に

きっと生産現場を見たことない人からしてみれば新鮮な話だったかもしれないが、これきっかけに知ってくれたら嬉しいです。
もっと自分の食べているもの、支えてくれてるものに対して興味を持つと、知らなかったことを知れるのはすごく楽しいです。
もし良ければ色んな意見を貰えると嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?