2020年はじめのごあいさつ
明けましておめでとうございます!
本年一発目のnoteです。
例年、ウチのスタジオは年末ギリギリまで働いて、年明けはゆっくりなので、お正月休みを利用して韓国に行っていました。
(その話は次回以降に改めて)
今年は2020。
オリンピックにパラリンピックにトランプゴーンイランイラクウクライナ王室皇室エトセトラ…
世界的に見ても大きく時代がかわる節目の年だと思うので、変化に伴ってやってくるネガティブな波に流されないように賢くサバイバルしていきたいと思います。
さて、新年早速飛びこんできたイラン関連のニュース。
思い起こせば、2003年のアメリカのイラク侵攻の時も、僕は韓国・ソウルにいました。
当時は、6%DOKIDOKIのアパレル商品を作ってもらっている工場が韓国にあったので、よく韓国に通っていた頃でした。
市場をまわってヘトヘトの中、韓国の友人と市場の食堂でゴハンを食べていると、突然、食堂の上においてあるテレビから、ミサイルが基地に撃ち込まれる映像が流れ、聞きなれない言語(おそらくアラビア語?)の絶叫のアナウンスが食堂の中に鳴り響きました。
当時、韓国は、休戦ながらも戦争中であり、徴兵制があり、戦争を取り巻く状況は、韓国人にとっても至極身近なもの。
市場のおばちゃんも、お惣菜を仕込む手を止めて、ポカーンとテレビを見つめていたっけ。
韓国の友人は「戦争が始まる瞬間を、その辺の食堂のテレビでLIVEで見られる時代が来てしまった…」と嘆いていたのが、とても印象に残っています。
あれから10数年。
テレビ→ネットと見るツールはかわったものの、あいかわらず争いの絶えない昭和の時代と変わらない状況だ。
巻き添えをくったなんでもない一般の人たちの悲劇を見たり聞いたりすれば、戦争という国どうしの解決方法自体が我々人間にとって愚かなコトでしかないというのは、考えなくたって理解できるはず。
それでも、人間の欲望は尽きないもんなのでしょうか?
閑話休題。
こんな時代だからこそ、Kawaiiって必要なんじゃないかな?って思うんです。
いろんなところで言ってますが、Kawaiiっていうのは、今では決して表面的なモノを指す言葉ではないんです。派手だったり奇抜だったりといったモノゴトを指すだけではなくて、もっと内面的な部分にも影響を及ぼすものなのです。
その本質的な部分の概念さえ心に持てば、世の中にはびこる固定概念から解放されてもっともっと自由になれる、「信念」とまで言えるほどに昇華してきています。
自由になれれば、人に対してリスペクトする気持ちも生まれる。
人と人とがリスペクトしあえば、争いごとも減る。
単純に言うならば、世の中もっと(いろんな意味でも)ハッピーな方向に行った方が、みんな楽しいはずなんですよね…。
なのに何故、人間は楽しくないことを繰り返しているのだろうか…?
年明け一発めですので、少し自分個人への戒め・決意表明みたいものが入ってしまいましたが、今となっては人生をかけてKawaiiという概念を作り、世界へ広めていくことにすべてを費やしてしまった、いち人間のストーリーという側面が、このnoteから透けて見えてくれたら幸いです。
もちろん、もっとライトな、作品制作苦労話や海外渡航記、日々日常に起きた些細な出来事や、ニュースを見ての雑感など、増田セバスチャンってこんな人だったんだ!ってわかってもらえるようなことも書いていきますよー。
今年もそんな増田セバスチャンをよろしくおねがいします!
*次回コラムからは一部有料にてヘリウムマガジンにて公開されます。ぜひ購読してみてくださいね。
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