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グラスの水を飲むことのつまらなさと面白さ

葛西あさみさんのブログを読んで
私も結果にあんまり興味ないところがあるな〜と思って
まあ、前々から思ってはいたのだけど
なんでなのかな〜と考えてみたところ…

そういうのを考えるのが好きという時点で
あさみさんほど感覚集中型ではないと思うのだけど…笑
感覚でキャッチしたものを論理的に考えたりするのが好きなのかなあと
今はとりあえず思っています。

ということで、いろいろ浮かんだことがあるので、書いてみます♪

まず、関係しているのは、たぶん、
小さい頃から、成果主義のことをやらされすぎたこと。

テストで100点をとるとか
成績で一番をとるとか
この日までに、ここまで課題を終わらせるとか
高校に合格するとか

とか、とか、とか
それ以外のことしたことあったかな?
くらいの勢いで笑

やらされすぎたので、
もーイヤー!!
となったのではないかということが、1つ。

もう1つは、こっちのほうが重要じゃないかなと思うのだけど、
私にとって、目標を達成するとか、結果を出すということは、
「グラスの水を飲もうと思って、その水を飲んだ」
と同じくらいのことでしかないということ。

例えば、歌で出したい声があるとして、
そのためにいろいろ努力はします。
そして、その声を出せるようになった場合、
一応、目標は達成したことにはなります。
が、その達成自体にはさほど意味は見出だせず…

その声を出すためのいろんな努力の過程で、
「あ〜、この喉の使い方が苦手なんだなー」とか
「この筋肉が固まってるんだなー」とか
「こうやったら楽に出せるんだなー」とか
発見があったり、気づくこと。
そして、そうやって声が変わっていくこと、
そのプロセスで出会う出来事が楽しいのです。

グラスの水を飲む場合で言えば、
グラスの水を飲もうと思って飲んだら、
実は、バラのすごくいい香りの水だったー!!
とかが楽しいわけで笑

あるいは、グラスの水を飲もうと思って、
グラスを手に取ったら、手が滑って、
グラスが床に落ちてしまって。
ガッシャーンと音を立てて、
グラスが粉々に砕け散ったんだけれども、
その粉々のガラスの破片に光が当たって、
ものすごく綺麗な虹みたいなのが現れた。
みたいなのが好きなわけです笑

グラスの水を飲もうと思って、水を飲んだ、
だけだったら、私はそこにほとんど何の意味も見出だせない。

目標達成も同じこと。
これできるようになりたい、これ達成したい、と思って、
できるようになったら、わーい、できるようになった♪
それだけ笑

それよりも、グラスの水を飲もうと思ってたら、
綺麗な虹が見れた、というほうが断然楽しい。
たとえ、飲もうと思っていた水が飲めなかったとしても。

そんなに結果にフォーカスしなくても、
こうなりたいなーと思っていたことは、
気づくと何となくできるようになっているし。

考えてみれば、いつの間にか、
1限の授業はなくなったし笑、
通勤時間は減ったし、
声は出るようになったし、
人前で歌えるようになったし、
弾き語りできるようになったし、
小説を書けるようになったし、
筋肉は柔らかくなってきたし、
風邪引かなくなったし…etc

ということで、私はとりあえずしばらくは、
こんな感じでいってみたいと思います〜(^ ^)


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