自己分析をしなさい


最近よく「自己分析をしなさい」と言われる機会が増えてきた。

来たる『夏休みの思い出発表会』への準備のひとつだと教えられた。個人的にはまだまだ夏休みを終わらせる気は無いのだが時間の流れには逆らえないようだ。

初記事でも述べたように自分は自己◯◯の類が非常に苦手である。自己を理解しきれていないというのが主な理由ではあるが、理解し切ってしまえばそれ以上の面白さがなくなってしまうので理解し切る気もあまりない。

とは言え何年か生きてきたのでちょっとした歴史があり、自分に関して分かったこともいくつかある。そのため「自己分析をしてください」と言われれば分析することは可能だ。さらに自分を側から見ること、自分なのに他人事のように捉えることをよくするので苦戦はしないと思う。

ではなぜ自己分析ができないと表現するのか。それは夏休みの思い出発表会のような公の場、他人の前で伝えられるような分析結果があまりにも少ないからだ。発表会で求められる内容と自分の分析結果にズレが生じている。ズレているだけならかわいいものだが、正反対を向いている気もする。どちらにせよ歓迎はされない。ポジティブな個性(?)では無いからだ、自分は問題視していなくとも組織の中においては人見知りはどちらかといえば足を引っ張る存在だからだ。

「自己分析をしなさい」は「(相手が求めるような、人前で発表できるような)自己分析をしなさい」なのだとすれば、自分の中でも核から外れた自分である必要があるのだろうか?

なんだかこんがらがってきた、今日はもうおしまいにしよう。

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