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自選10句をうだうだ言う【武蔵野文学賞振り返り】

準大賞をもらったよ

 昨年12月26日に第30回武蔵野文学賞の授賞式があり、「カンバス」という30句連作で俳句部門の準大賞をいただきました。大賞不在での準大賞ですから、率直に嬉しい部分と「大賞ではないんだ~」という微かな悔しさがあります。多作多捨の精神でまとまりのある連作に、というご講評をいただきましたので精進します。

 さて、せっかくなので自分の気に入っている句をかいつまみ、ひとことふたこと付してみたいと思います。初の試み! やはり作品というのは、中身を見てほしいものですから。と言いつつただの承認欲です。
 それから、これは自句自解でも解説でもありません。うだうだ言うだけです。
 末尾に全句ありますのでぜひ最後まで見ていただければ幸いです。

追記:武蔵野大学国文学会発行「武蔵野日本文学 第32号」(p.20)に掲載されています。一緒に受賞した同級生や先輩の作品、賞とは別にゼミ長として書いた摩耶祭報告なども載っています。日文生の方は先生に言えば多分もらえます、もらってください。
ちなみに、ヘッダー画像はカルミアの花です。5月に咲きます。

自選10句をうだうだ言う

エッシャーの絵をさまよへるごとき蝌蚪

蝌蚪(かと)とはおたまじゃくしのこと。春、大学内の小さな池にはものすごい数のおたまじゃくしがいます。なんとなく集団行動ぽい方向転換、縦横無尽なうえに奥行きがすごい。
この句のどこがお気に入りかというと、そりゃもう吟行の短時間で「エッシャー」を頭の奥底から連れてきたことです。おたまじゃくしの黒がモノクロを、カクカクした挙動がエッシャーのだまし絵の感じを想起させたんだろうと思います。脳内のワードストックと吟行で得る外的刺激がハマったときの快感がまさにこれ。お気に入りなので先頭に置きました。

補助輪ががごがごついて来たのどか

私はわりと補助輪が外れるのが遅かったんですが、あいつ本当にけたたましいですよね。補助輪のおかげで転けずに済んでいるのに、視線を集めている気がして嫌いでした。そういう潜在意識があるからか、補助輪をなめているんでしょう。あいつはついて来るもんです、自分で動きやしない。でも、やっぱり外すと乗れないので当時の私には欠かせない存在だったはずなんです。だからこれは、補助輪ありがとね、の句です。

甘酒の底に終末思想あり

字題「終」で作った句です。Wikipediaによると、終末論とは歴史には終わりがあり、それが歴史そのものの目的でもあるという考え方だそうです。スピリチュアルなものって日常の思わぬところに潜んでいると思いませんか? 例えば、甘酒の白濁の底とか。そんな甘酒、あったら飲めます?
……おおかた言葉遊びで作った句なので後付けです。

緑蔭をケーキの箱をまつすぐに                          

これだけの省略が許される感動。略さず言うと「ケーキ買っていくよ! 傷むとまずいから涼しい緑蔭を行こう。おっとおっと、箱まっすぐにしないと崩れちゃうね。左手で底を支えよう。あー保冷剤感じるー、ひんやりー。早く食べたいー。ま、主役はお前やけどな。ハピバ!」です。

幾層をなす葉擦れかな桜桃忌

桜桃忌は太宰治の命日のことです。夏に網戸をしていると、玉川上水の木立が起こす葉擦れの音が聞こえてきます。上水の木立の中を歩くと、アーケードめく茂りが重なり合って音を立てているのを体中で感じます。私は葉擦れの音も太宰治も好きです。葉擦れのざわざわと、太宰から感じるざわざわが、私の中でリンクした句です。

夏川に触るる足趾のしなりかな

写実の句を、と思って作った句です。夏川に照り返す陽光に、すらりと伸びる白い生足が映えているイメージ。親指の先から水面まで5mm。つちふまずのアーチに力が加わり、ふくらはぎまでピンと張っている。個人的には、今夏最もよくできた句だと思っています。

くちなしの花の終りのいろが痣

散歩してたらくちなしの花を見つけたので作ってみました。綺麗に咲いてはいましたが、陽光をしっかり受ける面は盛りがもう過ぎかけていて、そこだけ部分的に茶色く爛れたように枯れていました。まるで痣みたいだなあと。助詞「が」に挑戦してみたところが個人的ポイントです。
余談ですが、先日新宿駅の階段を下りながら足を踏み外し、両すねに大きな痣を作りました。痣ってなかなか癒えませんね。(更新をさぼっている間に治りました、治癒力すさまじい)

カンバスの中かもしれず大向日葵

表題作であり、神野紗希さんの「カンバスの余白八月十五日」に影響されて作った句です。紗希さんは母校の先輩にあたり、私の所属していた俳句部を立ち上げた人です。あるいは、小林賢太郎 TV6のなぞなぞ庭師を想起したニッチな方もいるやもしれません。お仲間です。

ふるさとは花火とどかぬあたりです

私のふるさとは愛媛・松山なので、東京で揚がる花火はまず見えないし聞こえません。とかそういうことではなく、心理的距離の問題です。「ご出身はどちらですか?」という問いかけの応対に使うと粋かと思います。
なお、だけど同じ太陽系の中に生きているよ、広い広い世界の中であなたが今いる此処が特別、二人で並び立つ此処が特別、というのが次句「揚花火太陽系の此処にひらく」。これはこれで、池田澄子に影響を受けています。初めて買った句集が神野紗希「すみれそよぐ」と池田澄子「此処」でした。

応募作品30句連作「カンバス」

エッシャーの絵をさまよへるごとき蝌蚪

補助輪ががごがごついて来たのどか

チューリップをこぼれてきたのしあはせは

初夏の雲から雲へプロペラ機

カルミアの花は五月のまるみかな

白服のつとめて笑ふ見舞かな

甘酒の底に終末思想あり

緑蔭をケーキの箱をまつすぐに

ジーンズの濃淡並びゐる円座

ゆはゆはと琴柱あはする夏座敷

白き香のたとへば泰山木の花

幾層をなす葉擦れかな桜桃忌

夏川に触るる足趾のしなりかな

くちなしの花の終りのいろが痣

血管をなぞる遊びや夏の風邪

歯ブラシのひらいてきれい夏の夜

葉脈か夜明けを伸びきらぬ蝉か

わんぱくの集ひて扇風機不動

片蔭へ入れてくださるガードマン

カンバスの中かもしれず大向日葵

ふるさとは花火とどかぬあたりです

揚花火太陽系の此処にひらく

炎天を被爆ピアノの蓋の影

そぼちたる夏菊散華乙女の碑

洗顔の泡の真白き今朝の秋

島々にゆたかなるかげ盆帰省

糸瓜忌や本に凭るる本に本

吊革に慣性秋のゆふべかな

名月や大地を影絵めくわれら

終業のサドルを悉く夜露

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