君に恋愛論を書けと言われた

隣の部屋では親が寝ていた。
電話越しだけれど、逢引みたいで、なんか背徳感。その一歩下がっているのに周りを見渡す余地もないような感覚が好きだった。心臓の音が漏れて、溶けて、流れて、空っぽの空気の中に少しずつ溜まっていく。わたしの心音でこの部屋の空気が満タンになれば、きっと飽和みたいになって、わたしの声の振動が奔流の如く空間を突き抜けて隣の部屋をノックするなんてことなく、誰にも盗まれない領域で慎ましく会話できるような、そんな気がしていた。そもそもデシベルが違うなんて、たぶんその時は気付いてなかった。
きっとミッドナイト。昨日か今日かはわからなかったけれど、沈黙に互いの息を潜めて数分後、君はわたしに問いかけた。

「『愛』ってなんだと思う?」

文豪が言っていたのを聞いた。少し格好つけたかった。わたしもずっと憶えていてほしい。思い出される人にはなりたくなかった。
だけど嘘はつきたくないのだ。

「ストーブみたいに温かさの感じられる距離」

嘘をつく時みたいに言葉がすらすらと出てきた。でもたぶんこれは嘘じゃない。嘘よりも尊いもの。
なぜか確信めいていた。
だってわたしは言い訳が得意だってこと、君はもう知っているでしょう?一回そうだと思い込んだら、若い頃の恋愛みたいに運命だと信じて疑わなくなってしまうところも。その場凌ぎの言い訳が正義になってわたしの血肉となる。
このあいだ、洗脳されやすいって心理テストの診断結果を君の目の前で読み上げたんだ。
わたしのこと好きなのは、きっと君がわたしに洗脳されているからだよ。
ね、全部言い訳。


「『愛』とは、ストーブみたいに温かさの感じられる距離のことだよ」

愛の核は常に揺れている。炎のように、熱を発して揺れている。わたしの内臓は、皮膚は、裸を隠すみたいに、それを必死に隠していた。浅はかな揺らぎが君に見つからないように。
常に何かを犠牲にして、燃やして、通りすがりの誰かを温めている。その誰かから与えられる温もりを期待して。お返しに同じ大きさのエネルギーを消費してくれれば、それでよかった。
カンケイがなければ、行き当たりばったりだ。存在を知っていても、目が合っているとき以外は思いやりについて考えることもない。
家族とか、友達とか、恋人とか、カンケイを作れるのは、わたしを少しでも洗脳できる、一部の人間。ただし、恒久的ではない。
カンケイを作ってしまえば、君からの温もりなんてあたりまえになってしまう。永いこと君に温められていたら、自分が温められていることすら忘れてしまうかもしれない。失って初めて気づくってやつはこういうことなんだと思う。
カンケイはわたしを中心に半径Xの円を描いて、君を閉じ込めてしまう。でもあくまで一時的なもの。
君は知っている。
常に終わりを考えていると君は言った。

「近づきすぎたら燃えてしまうじゃないか」

一度温もりを知ってしまえば、なかなか抜け出せなくなるものなのだろう。いっそ一緒に燃えてしまっても構わなかった。きっとそれが恋とかいうもので。恋はなんとなく終わりに似ている。

これは恋愛論ではないのかもしれない。どちらかというとバイブルのようなものだ。自分自身へ信じ込ませるための、作業。まずは、わたしがわたしを洗脳しなければならない。わたしは誰かの神様になりたい。

わたしには、わたしがわたしにかけた洗脳を解いてくれる人が必要だ。そしてわたしに洗脳されて、わたしを洗脳してくれる人が必要だ。

だからわたしはあなたのそばにいるのです。

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