2022.06

自分の居場所というものを最近よく考えていて、「ふるさと」ってよく考えると意味がわからないなと思った。見慣れた街、思い出のある街。精神的な意味での「ふるさと」は、私も感じることはあるけれど、もしも日本が戦争をはじめても、命を捨ててまでその「ふるさと」を守ろうとは絶対思わないだろうと、今のわたしは思っている。(誰かのことを否定しているわけではないです)

「世界はみんなのものだよ」と誰かが言っているのを聞いた。それは、嘘だと思った。

高校生の頃、友達が誕生日プレゼントに月の土地をもらっていて、月でさえ所有とか、領土とかがあるのだから、世界はなおさらみんなのものではないと思った。何かを叫べば捕まるし、誰かの土地に一ミリでも入ったら罵声を浴びる。山とか森にも所有者がいて、寄る辺ないホームレスはまるで、人間ではないような扱い。なんか、国単位で戦争しているし。

私の日本、私の山形、私のふるさと。私がずっといても問題のない場所なんて、せいぜい私の家、150㎡くらいなのに。そして、その家も本当に私のものだろうか。私の親がその土地をお金で買っているだけで、私はこの土地に永遠に住んでいたわけではないし、きっと昔、この土地で誰か死んだりしてる。言わば世界中が事故物件だし、心霊スポット。お金の上に建つ幸せ。

いろいろなものを「わたしのもの」みたいな顔して生きてきたけれど、もしもこの世界に本当に「わたしのもの」があるのなら、それは私と私の言葉と私の映画だけだと思った。

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