あの子の卵かけご飯はわたしのよりおいしそうにみえる

私は毎日違う人だし、親の前と友達の前では違う人だし、友達によっても違う人だし、男の人の前では違う人だし、体調が悪いときは違う人だし、夢の中では違う人だし、休日は違う人だし、プリクラの中では違う人だし、アイスを食べているときは違う人だし、車を運転しているときは違う人だし、ピアノの先生の前では違う人だし、映画の前では違う人だし、すっぴんの私は違う人だし、私は数時間ごとに違う人かもしれないし、私は数秒ごとに違う人かもしれない。
一定の自分がいない。
だから覚えていないことが多すぎる。
違う人になった私は、その前の私を、笑うことができる。外側からだけ。客観的に。その時の自分に戻って内側から見ることができないから。自分なのに他人みたい。生まれた自分の殻の色を永遠に見ている私はいるけれど実体が見えない。どれが私とかじゃなくて、全部が私とかじゃなくて。書くことで、忘れてしまったことを思い出したい。思い出す前に忘れたくない。書くことで実体のない私に少しだけ近づくことができるかもしれない。もちろん、私の創造力と想像力の範囲内で。黄身の部分を、殻を割らずに覗き込める方法。私の優しさは自分を傷つけないためにあるから。ほんとうは私はいまのままではいられないから、中途半端な承認欲求を腰にぶら下げて、新しい試みをしようと思う。ほんとうはあの子が書いていたから、わたしも書いてみようと思う。


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