#エッセイ
前に『優しい人は環境を信頼しすぎる』というつぶやきをした。だけどやっぱり僕はそういう人が好きだ。
優しい人は美しい花に似ている。周りの環境も優しいと思い込んでいるから、儚い形状で花を咲かせ、そして厳しい環境によって散る。だけど、その生活環で見せる切ない美しさは他に類を見ない。
どんなに経験を積んでも、知識や教養や技術を身につけても、その人の本質的な部分は変わらないままだと最近よく思う。
ではなぜ人は学ぶのだろうか。
認識できる範囲を広げるため。そして楽しいから。
ただそれだけだと思う。だから図に乗らないよういつも自戒することは大事だと思っている。
小さな頃、電車の中で、窓のすぐ外にある電線の動きが気になって堪らなかった。
固定されていたはずなのに、なぜ電車が前に進み風景が後ろに流れると、それは高くなったり低くなったりして動くように見えたのだろうか。
物理学や数学で解決できそうな話だけど、幼心に不思議な現象だった。
僕の近くの優しい人の多くは、『他のどの人も自分と同じぐらい優しい』と思っている節がある。
それは素晴らしい考えだけど、優しい人が『世間には全然優しくない人も大勢いる』ことに気付いて愕然とするケースも多い。正直者が馬鹿を見る世の中、したたかな考え方も必要なようだ。
お洒落な純喫茶の番組があった
そうだな、いつものスタバとかのチェーン店でなくて、たまには少し勇気を持って個人の喫茶店に行こう
静かに落ち着けるカフェで、寛ぎながらコーヒーと本を楽しみたい