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ナゴルノ・カラバフ紛争難民100人取材〜荒野のオーロラ〜

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2020年にアルメニア とアゼルバイジャン間で勃発したナゴルノ=カラバフ紛争により故郷を追われたナゴルノ・カラバフ難民の人たちのへの取材
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いつか帰る場所 ナゴルノ=カラバフ紛争難民100人取材 エンディング

ナゴルノ=カラバフ難民100人取材が終わった。俺は今日このナゴルノ=カラバフ難民100人取材の拠点にしたゴリスの街をマシュルートカ(旧ソ連園の乗合バス)で去り、首都エレバンに向かう。そこから飛行機を乗り継ぎ日本に帰らなければならない。 ナゴルノ=カラバフ難民100人取材、、、本当に自分一人でゼロからコネを作りやり遂げられるか最初は不安だったが、何とかやり遂げた!!。そんな充実感に、取材をやり切った昨日は包まれていたが、、、、帰る当日になり、とても虚しい気持ちになった。見

荒野のオーロラ〜戦争の傍らの学校〜ナゴルノ=カラバフ難民100人取材最終回

”この娘達には今年の冬の温かい靴がないの。” ナゴルノ=カラバフ100人取材中盤。戦争で故郷を追われただけでなく、誰よりも悲しい体験をした赤い服の少女をインタビューした時、彼女の祖母はそういっていた。 誰よりも残酷な経験をして、世界の理不尽に故郷を奪われたにも関わらず誰よりも素敵な笑顔をする赤い服の少女を見て、あのシリアの国境で出会った仲良くなったシリア難民の子供達のことを思い出した。 シリア内戦で故郷を壊され、追われて、それでもキラキラした笑顔で笑っていた兄弟との

世界に見捨てられた涙〜最果ての村での誓い〜 ナゴルノ=カラバフ難民100人取材

その最果ての村で銃撃に怯え、故郷も家を追われ、涙を流していた彼女との誓いを俺は忘れない。その優しいお母さんの流した涙と彼女との誓い、その誓いだけは忘れてはならないのだ。 アルメニアとアゼルバイジャンという2カ国の戦争の最前線に最も近い村クハァナツァク。その村に続く道には広大な美しい丘が広がっている。最前線という言葉から思い浮かぶのは荒野や荒れ果てた廃墟だが、その最前線への道はイメージと真逆のとても美しい道であった。 そんな美しい道の途中にアルメニア 国旗が掲げられた、

元兵士の世界への問い〜戦争の勝者は誰か?〜 ナゴルノ・カラバフ紛争難民100人取材

”戦争が怖いわけじゃねえ。ただ誰が勝者か誰が敗者か知りたいねえ。誰にもわからねえからよ。30年も戦ってる。だけどよ、誰にもわからねえんだ。わからないまま戦ってる。とにかく決着を知りたいね。”元兵士の男性は飄々とそう語った。 、、、そりゃそうだろう、、30年も戦って、、人々は苦しんで、、、なんのために、、、勝利も敗北もないまま、、。ある人は家族を亡くし、ある人は故郷を奪われたというのに。未来はもちろんのこと、誰が勝者か、誰が敗者か、それすらも誰にもわからないのだ。それでも

敵軍からの銃撃が普通、そんな残酷な世界で美しく生きる人々 ナゴルノ・カラバフ難民100人取材

メリカシャン村に住んでいた女性は”夫は戦争に行き亡くなった。子供は先に避難しており、私は一人で村にいたわ。”そう絶望感に満ちた表情で語った。 今現在彼女には、、、、、、もう戻るべき暖かい故郷も、守ってくれる夫もいない。絶望しかない状況。それでも、進むしかない。帰る場所はもう無いのだ。彼女はそんな覚悟を決めた強い人だった。そんな強い難民の人に何人かこの取材で出会った。彼らはとてもかっこよく、美しく見えた。でも、そんな絶望に打ちのめされた人々にそんな悲しい覚悟を強いるこの世界は

ウクライナのYouTuberと出会った話〜兄弟君は今何を思う?〜

”なあ兄弟!!”ゴリスでナゴルノ=カラバフ難民取材をする直前、ガルニ村の宿で陽気なウクライナ人旅Youtuberと出会った(当時2021年10月)。俺のことを兄弟と呼んでくれた陽気な君は今どこで、何をして、何を思い、Youtubeで何を叫んでいるのだろうか? (今回書くエピソードは難民取材のように取材メモをガチガチにとっていたわけでもなく、このエピソードを他のSNSにもあげたわけでもなく、彼の写真以外記録が残っていなく、完全にうろ覚えでこんなことあったなと思いながら書い

自分の家を燃やした男性の場合 ナゴルノ・カラバフ難民100人取材

”平和にはならないさ。平和は何よりもと素晴らしいものだ。私だって平和を望んでるさ、、、だが、無理だろうな、、、、。”自分の家を焼き、家畜をアゼルバイジャン軍に奪われたその老人はため息混じりにそう語っていた。 戦争状態にあるアルメニアとアゼルバイジャン国境に3方囲まれた、アルメニアの国境沿いに在るクハァナツァク村。4日前(取材当時2021年11月20日)11月16日アゼルバイジャン軍によりクハァナツァク村に70〜80発の銃撃が行われた。それだけでなない、ここに住む村人たち

〜ウクライナの影に隠れたもう一つの戦争〜アルメニアとアゼルバイジャン

2月24日ロシア軍がウクライナに侵攻を開始したのは前世界中の人の知るところである。そんな2月24日以降、ロシア軍が平和維持軍として停戦を監視するのナゴルノ=カラバフ(アルメニアとアゼルバイジャンの係争地域)のアルツァフ共和国(アルメニアが主張する未承認国家、アルメニア人が住んでいる)のKHRAMORT村をはじめとする近辺の村はアゼルバイジャン軍に砲撃を受け、KHRAMORT村の住人は「村を出て行け、出なければ武力を使う」と拡声器でアゼルバイジャン軍に脅迫を受けている。アメリカ

美しい夢を戦争に奪われた家族の場合 ナゴルノ・カラバフ難民100人取材

”アルツァフは夢だった、、、、。そして、心地よい夢は終わりを迎えた、、、。”難民のおばあさんは涙を流しながらそう語る。 アルツァフ共和国、アルメニアとアゼルバイジャンが領土争いを行う、ナゴルノ=カラバフの未承認国家。未承認国家とはとはなんだろうか?。2020年44日間戦争、死者5600人以上を出したこの戦争で、多くのアルツァフ共和国の人が故郷や家を失い難民と化した。 世界にはたくさんの未承認国家が存在する。最近話題の未承認国家といえばウクライナ内のドネツク人民共和国や

子供好きな知人が戦争に行った話 だから私は戦争に反対で、平和を願う

”亡くなった同僚もいる、生きているだけで僕は幸運だったんだ、、。” アルメニアで同じ宿にいた青年は英語も上手でマッチョ、宿のオーナーの子供とよく遊んであげる子供好きの完璧な爽やか青年。そんな、彼は人生で辛いことなど何もなく幸せな日の当たる場所で生きてきた人なのだろうそう思っていた。しかし、彼は俺などよりよっぽど壮絶で悲しい過去があったのだ。 彼の話は自分がナゴルノ=カラバフ難民100人取材を本格的に始める前に聞いた話だった。いつか、noteに書こうかなとは思っていたが

〜故郷を追われ100キロ歩いて逃げ延びた牛と人〜ナゴルノ・カラバフ難民100人取材

”私が牛たちを連れて5キロほど村から移動した後、アゼルバイジャン軍が12回にも及び爆弾をザフゥカベルト村へ投下した。村の洞窟で飼われていた牛たちは皆亡くなったわ。”そうお母さんは真剣な眼差しで語る。 アルメニアとアゼルバイジャンの国境近くのバガドゥル村。次に話を聞く難民の家族の家の近くに車が着くと目の前から軍服を着たおじさんが出てきてすごい勢いで運転手に話し出した。尋常な様子ではない。なんだ?次に話を聞く難民の家族の人か?てか、キャラが濃いな。 ”この人次にインタビューす

ボロボロの小屋に住む父の願い〜失われた子供達の平和〜

ゴリスの街から北へ進むと壮大な山の景色が広がる。映画のような景色に感動しそうにもなるがあの美しい雪山の向こうには2021年11月16日に44日間戦争以来最大のアルメニア軍とアゼルバイジャン軍の戦場になったセヴ湖がある。 険しいガタガタの山道をひたすら車は進んでいく。壮大な山に囲まれた世界の果てのような美しい景色をの先にはアルメニアとアゼルバイジャンの国境が存在する。その敵対する国境に程近い谷間にバガドゥル村が在る。 村の周りは牧草に覆われ、木がそれなりに生えている。川

ナゴルノ=カラバフ紛争難民 100人取材 note創作大賞 応募作品

父が自ら命を断ち、全てに失望した筆者は現実逃避の世界放浪の旅に出る。そんな、筆者が出会ったのは中央アジアの3000mの高地にある秘境の湖で暮らす、少年と少女の無邪気な笑顔だった。少年と少女と触れ合い生きる意味を取り戻した筆者を待ち受けていたのはシリア内戦で国を追われた難民の少年少女、悲劇の民クルド人、戦争間際のイラン、そして、ナゴルノ=カラバフ戦争の難民たちの過酷な現実と逞しい生き様であった。 ナゴルノ=カラバフ難民 100人取材をnote創作大賞に応募しようと思います。一

戦争ではなく対話を望む家族の場合 〜The answer〜

”トルコの友達をどう思う?若い人たちなら話が通じて、戦いを止めることができるかもしれないという人もいるかもしれないが本当か?君はどう思う”お父さんは真剣な眼差しで俺に問いかける。俺は、、、、 家の前にたどり着くと感じのいいお母さんがニコニコと出迎えてくれた。優しそうな人だ今回の取材はやりやすそうだとホッとした。この家に来る前の取材はとても内容がある話が聞けて有意義だったものの、家族の悲惨な状況や平和維持軍(ロシア軍)駐留の現実など重苦しい話が多く、かなり疲れていたからだ。