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NATOの東方拡大の駆動力と、ロシアの論理の個人的メモ

ロシアの軍事行動の理由付け――すわなちNATOの東方拡大について、最近以下のような論説が出ていた。一言でまとめれば、ドイツ統一時に旧東ドイツにもNATO軍を進駐させるか否かについて、進駐させないことで合意されたが、ロシアはそれを「ドイツを含め一切拡大させない」という合意だったと都合よく解釈して難癖をつけている、という状態ということのようである。

ドイツ再統一は1990年9月12日に東西ドイツ、米国、英国、仏、ソ連の6カ国外相が調印した「最終解決条約」で決まった。この条約には外国軍つまりNATO軍は東ドイツ地域に配備されないことが合意され盛り込まれている。しかし、それ以外の国への不拡大の約束はない。

小田健「独統一の際、NATO東方不拡大の約束はあったのか」2022

ただ、こういった言説は今の政治状況に「汚染」されているとも見ることができるので、もう少し過去に書かれた文献を掘りなおして、歴史的経緯およびそこからロシアの動機がどう出るかについて、個人的な確認行為を行った。主に参考にしたのは以下の2つの論文である。

藤森信吉. ウクライナとNATOの東方拡大. 1999. スラブ研究. No.47. pp301-325
金子讓. NATOの東方拡大―第一次拡大から第二次拡大へ―. 2003. 防衛研究所紀要. 第6巻第1号. pp55~69

NATOが東方に拡大しているのは、東欧諸国がロシアに不安を感じているから

プーチンだけでなく、彼に追随するかの如きわが国のメディア、政治家、専門家たちが考えるべきは、A・アルバトフの「冷戦終了後に、なぜ14カ国の東欧、旧ソ連諸国が、中立国ではなくNATO加盟を望んだのか」という問題だ。

袴田茂樹「NATO不拡大の約束はなかった――プーチンの神話について」2022

まず最初に検討すべきは、NATOの東方拡大の駆動力は何かという問題である。これに対して直球で答えれば、NATO構成国が積極的に働きかけているというより、新加盟国がNATOへの加入を希望したことで起きていると言えるだろう。

NATO自身は、冷戦終結直後は東方拡大は企図しておらず、東欧圏はNATOのオブザーバー的な組織である「平和のためのパートナーシップ」(PfP)に参加してもらうことで対応しようとしていた。しかし、東欧諸国はモスクワの影響力を不安視しそこから脱することを望んで、PfPではなく強い軍事同盟であるNATOへの加入を望んだ。NATO側は「力による現状変更を認めず、自由と民主主義と尊重する限り、来るものは拒まず」という門戸開放の姿勢でこれに応じた。

91年12月にNATOが創設した北大西洋協力理事会(North Atlantic Cooperation Council: NACC)もこのPfPも、彼らの期待には合致しな かった。旧東欧諸国の不安はNATO加盟以外に拭い去る方法がないように思われた。

金子讓「NATOの東方拡大―第一次拡大から第二次拡大へ―」2003

床屋政談の中には「ロシアとの緊張を緩和するためウクライナを中立化・緩衝国にしよう」という意見も見られるが、そもそもウクライナがNATO加盟を目指すようになったのは、自国を緩衝地帯にされるのはまっぴらごめんであり、ロシアとNATOの二択ならNATOのほうがマシと考えているからで、これは1990年代からずっと続いている話である。

ウクライナは…二ブロック間の地域は「グレーゾーン」、すなわち緩衝地帯として固定されてしまい、両ブロック間の抗争の場、もしくは利益分配の場となるおそれが出てくるからである…ウクライナは、ロシアからの経済的圧力を危惧しており、自国の非核化に際しては核大国による経済的圧力の不行使確約を求め、それは条約内において明文化されていた。こうしたロシアからの圧力に対する「保険」として、NATOとの関係強化がウクライナに必要となったのであった。

藤森信吉「ウクライナとNATOの東方拡大」2000

これを日本に置き換えれば、「日本は米中の緩衝地帯となり、日本の政治や資産は日本の自主決定権は削がれ米中間で取引されるトークンとして外部から決定される」となると、納得できない人のほうが圧倒的に多いだろう。こういった「緩衝地帯」という概念自体が19世紀的・帝国主義的なものであることは否めない。

冷戦後のNATOは陣取り合戦のための組織ではなくなった

NATOは冷戦期に設立された当初は、西側に属する国が集団で領域を防衛するための組織であり、パワーゲーム・陣取り合戦のための組織であった。冷戦が終結すると、もはや大国同士の戦争、パワーゲームが起きる時代ではなくなったとして、局地的な民族紛争やテロに共同対応するための民主主義国家の連合たる組織として改組されることになる。例えば、司令部は核シェルターの中から出て、紛争当事国の近くに移動式で設置されることになった。

クチマ大統領は、96年末のOSCEサミットにおいて「ウクライナは、NATO拡大に対して何ら弊害を感じていない。NATOは真の民主主義国家の共同体に変った」と述べ、NATOが単なる防衛機構から質的に変化したことを強調した。NATOの東方拡大は、ロシアにとって脅威にならず、「ヨーロッパにおける安全・安定圏の拡大」に他ならないとしたのである。また、ウクライナは、NATO拡大の門戸は常に開かれたものでなければならないと主張した。

藤森信吉「ウクライナとNATOの東方拡大」2000

…2001年9月の同時多発テロ以降…NATOの存立意義を…テロや大量破壊兵器が齎す脅威への対応の中に見出す…冷戦時代に構築された領域防衛を目的とした固定化された司令部を、危機管理型の移動式司令部へと改編する方向を打ち出したのである。

金子讓「NATOの東方拡大―第一次拡大から第二次拡大へ―」2003

NATOは存在意義、理念の変更に伴い、「テロ対策」というロシアと共通の「敵」を得たこともあり、ロシアそのものをNATO側に取り込む動きをPfPよりも進めることになる。その結果が、2002年のNATO・ロシア理事会の創設であった。この時代は、NATOとロシアが非常に接近していた時代であったと言える。

2002年5月下旬…NATO加盟諸国の首脳とプーチン大統領は…NATO・ロシア理事会を創設する宣言文書に署名した…NATO加盟19カ国に「対等のパートナー」としての地位を付与されたロシアを加えた20カ国が…意思決定を図るという、画期的な協力の枠組みとなった。こうしてNATOとロシアが共同し て新たな脅威や挑戦に対処する基盤が構築され…国連憲章を含む国際法や…パリ憲章の精神に盛られたに盛られた民主主義や協調的安全保障の原則に立脚した恒久平和を、欧州・大西洋地域に築き上げてゆく方向が明示されたのである。
…NATOはソ連に対抗するために築き上げた強固な領域防衛態勢を危機管理 型の軍事態勢へと改編する動きを速めているが…嘗てケネディ米国大統領が描いた大西洋共同体(Atlantic Community)の実現、つまり、NATOを従前の軍事同盟から自由と民主主義を育む価値共同体へと発展させる可能性を示唆している。…NATOが真の変革を遂げる時…ロシア人の意識からも冷戦のロジックが消える時、ロシアのNATO加盟が現実の政治課題として俎上に上ることになる のかも知れない。

金子讓「NATOの東方拡大―第一次拡大から第二次拡大へ―」2003

パワーゲーム的NATO観から脱せないロシア

ロシア国内には、NATOが冷戦的な陣取りゲームの戦略のままであり、ソ連の後継としてのロシアを仮想敵と定めていて、それがロシア近くまで進出するのはまずい、という見方が根強くある。2000年代の論文を読む限り、そのような被害者意識はロシア議会のほうが提出しており、プーチンは2002年のNATO・ロシア理事会創設などのように抑える側に回っているように見える。

NATOが拡大決定を行った同じ日、ロシア共産党のジュガーノフ党首はプーチン大統領に対し公開書簡を送り、ナチス侵攻以来の深刻な軍事的危機を静観するロシア政府を難詰した。

金子讓「NATOの東方拡大―第一次拡大から第二次拡大へ―」2003

ロシアは「東方拡大」やら「国境を接するなら……」等と発言するなど、冷戦期と同じくNATOを「陣取りゲーム上の領土」として捉えている節があり、結局それはロシア国内で自信が陣取りゲームをやりたがっていることと関係している、というのが袴田論説での意見である。

NATOの拡大や欧米とロシアの関係悪化は、ロシアの「大国主義の復活」「勢力圏拡大」に大きな関係がある。改革派だったA・チュバイス元副首相も、2003年にはソ連時代の大国主義を賛美して「リベラルな帝国主義」を主張し(『独立新聞』2003.10.1)、やはり改革派だったV・トレチャコフ『モスクワ・ニュース』紙編集長も、2006年には中央アジアなどの「民意に従う」ロシア併合などを唱えた(同紙2006.3.3-9)

袴田茂樹「NATO不拡大の約束はなかった――プーチンの神話について」2022

袴田論説では「プーチン……被害者意識について、90年代初期のロシア側当事者や関係者、また近年の露メディアなども、それが事実ではないと否定している」としているが、彼が引用しているのは「独立新聞」など反プーチン派の言説であり、金子(2003)で引用されている通り議会でNATO拡大を「ナチス侵攻以来の深刻な軍事的危機」を呼ぶなど、この世界観はロシアで広く共有されていると見てよいだろう。

ある言説では、「ロシアはそういうパワーゲーム的世界観で生きていると意識せよ」と呼びかけている。

……日本を含む西側とロシアの対立を「21世紀型の国家」と「19世紀型の国家」のロジックの対立であると捉え…「21世紀型」のロジックとは、国際社会の存在を認め、外交交渉や条約の公式性を守り、「国家の主権」と「領土の一体性」という原則を尊重し、民主的な手続きを遵守するアプローチをとることだ。アメリカをはじめとする日本を含めた西側の国家たちは、大枠ではこのロジックで動いている。ところがロシアは違う。今回の動きでもわかるように、ロシアは19世紀の大国のようなロジックで動いている。

奥山真司「ウクライナ危機で露見、「ロシアは悪くない!」論者が無視する21世紀の国際規範」2022

「19世紀型のロジック」についてもう少し補足しよう。厳密には、このロジックは、第一次世界大戦まで続いていた。しかし大戦の悲惨な結末により、勝者も敗者もなく大国間の戦争はもはや封印すべきで、力による現状の変更を認めない、パワーゲーム否定論が台頭し、国際連盟(後の国連の前身)が結成された。日本はこの国際連盟の常任理事国になったにも関わらず、パワーゲームロジックからの変更に国内世論が付いて行けず、自らが「五大国」というパワーゲームのプレーヤーになったと勘違いした。これによって起きた過ちが第二次世界大戦であり、WW1以前の戦争が免責されているのに対し、「ロジックが変化していたとわかっていたのにやった」WW2は日本の責任は今でも免責されていない。

アメリカがこの件に積極的に干渉するのは、力による現状の変更を認めないという21世紀の国際社会の原理原則からのものであって、アメリカの直接的な利益のためにやっているわけではないのだが、ロシアにはそれが分かっていないと思しき発言がロシア外務省からも見られる。

「ロシア軍が自国の領土に駐留することはアメリカの基本的な利益に影響を与えるものではない」

ロシア外務省
ロシア 「ウクライナへ侵攻ない NATO加盟なら武力衝突」NHK 2022年2月18日

「自由と民主主義を奉じる共同体」としてのNATOに参加できないロシア

90年代に当時のウクライナ大統領のクチマ氏が「NATOは[冷戦的軍事同盟から]真の民主主義国家の共同体に変った」と発言していることから、少なくとも建前としてNATOが冷戦時代の組織から衣替えを果たしたことは当時から認識されていた。

ここだけ取りだせば、ロシアは単に時代の流れについて行けずアナクロな帝国主義を振りかざしている、というように見えるだろうし、実際、そのような面も大いにあるだろう。

…NATOとロシアが進める協力の具体的対象として、テロ対策、危機管理、大量破壊兵器の不拡散、軍備管理及び信頼醸成措置、戦域ミサイル防衛、海難救難活動、軍の相互協力と組織改革、民間緊急事態への対処、新たな型の危機への対処、の9項目が掲げられていた。
…協力の対象から巧みに外された対象、端的には、NATOが「同盟」の根幹部分として重視する戦略概念の策定や共同防衛態勢の構築を巡る審議に、ロシアが関与できない点にあった。

金子讓「NATOの東方拡大―第一次拡大から第二次拡大へ―」2003

当時ロシアは西側諸国にとって敵ではなく、彼らの同盟国やパートナーとなると期待されていた。必然的に、ロシアがリベラルな民主主義の路線から離れれば離れるほど、ロシアにとって「NATOは敵」というイメージが強まるのだ

露紙『独立新聞』(2015.12.15)が掲載したN・グリビンスキーの論文の一部
袴田茂樹「NATO不拡大の約束はなかった――プーチンの神話について」2022

ロシアの「意趣返し」とその雑さ

2/21にプーチン大統領がスピーチを行ったが、その中では「民族紛争の発生→人道上の介入→独立承認」「大量破壊兵器を所有している疑いがあるので軍事制圧」というロジックが用いられており、これはコソボ紛争やイラク戦争の意趣返しという意見が見られた。

ただロシアのやっていることは「雑さ」のレベルにおいて米国のコソボ・イラクでの対応とは比較にならない。

コソボ紛争での国連の承認を得ないNATO軍の介入は、NATO加盟国にとって直接の利害がない(コソボが独立してもアメリカには特にメリットが全くない)状況での人道を理由とした介入であり、セルビア側がボスニア紛争で民族浄化を行っていた前歴と、スレブレニツァの虐殺の時点で国連軍が数が不十分だったためにその場にいながら虐殺を防げなかった(むしろ半ば人質として扱われた)ことに対する批判があった、という下敷きがあったうえでの実力行使であった。

一方、ウクライナ東部では、武力紛争発生直前での世論調査(a, b, c)で(NATO加盟希望の中部や西部はともかく)東部州やクリミアでさえも「ロシアへの併合は希望せず、ウクライナがNATOにも加盟せず中立を望む」という程度の結果という状況であって、武力衝突はロシアの特殊部隊が関与した軍事騒乱が発端となったことからロシアが直接的責任を負うべきものであった。また、これらの争乱地域は「独立」後にロシアへの併合を求めるなど、直接的にロシアの利益に関与しており、力による現状の変更をワンクッション挟んでやっているだけと言えるだろう。

核兵器については、アメリカがイラク戦争開戦時に核兵器開発をしているとした"証拠"は虚偽であったが、その"証拠"はイラクが湾岸戦争期に核兵器を開発していた証拠を剽窃して提出したもので、それらは90年代にIAEAの査察をもとに破棄が進められたという経緯があるし、フセインが武力について虚勢を張るため大量破壊兵器を持っているかのようにほのめかすことも多く、決して「火のない所」ではなかった。

一方で、プーチンが2/21のスピーチ中に含めたウクライナの核兵器開発の企てなるものは荒唐無稽もいいところである。ソ連時代の核兵器はIAEAの協力のもと手放しているし、ウクライナ政府はそのような計画を口にしたことすらない。この無根拠振りは、あおり運転犯の「あっちがメンチ切ってきたから」のほうがまだ言い訳としてマシというレベルである。

コソボ空爆やイラク戦争におけるNATO/アメリカの問題点は、すでに炎上した場所で火事場泥棒的に「燃えさしがくすぶってるかもしれないから予防的に」として手続きを無視して武力行使をしたことだが、ロシアがやっているのは火の手のなかったところで放火(リトルグリーンメンを送り込む)と強盗(自国への併合)をやっているのであって、罪のレベルが全く違うということは留意すべきだろう。



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