NATOの東方拡大の駆動力と、ロシアの論理の個人的メモ
ロシアの軍事行動の理由付け――すわなちNATOの東方拡大について、最近以下のような論説が出ていた。一言でまとめれば、ドイツ統一時に旧東ドイツにもNATO軍を進駐させるか否かについて、進駐させないことで合意されたが、ロシアはそれを「ドイツを含め一切拡大させない」という合意だったと都合よく解釈して難癖をつけている、という状態ということのようである。
ただ、こういった言説は今の政治状況に「汚染」されているとも見ることができるので、もう少し過去に書かれた文献を掘りなおして、歴史的経緯およびそこからロシアの動機がどう出るかについて、個人的な確認行為を行った。主に参考にしたのは以下の2つの論文である。
NATOが東方に拡大しているのは、東欧諸国がロシアに不安を感じているから
まず最初に検討すべきは、NATOの東方拡大の駆動力は何かという問題である。これに対して直球で答えれば、NATO構成国が積極的に働きかけているというより、新加盟国がNATOへの加入を希望したことで起きていると言えるだろう。
NATO自身は、冷戦終結直後は東方拡大は企図しておらず、東欧圏はNATOのオブザーバー的な組織である「平和のためのパートナーシップ」(PfP)に参加してもらうことで対応しようとしていた。しかし、東欧諸国はモスクワの影響力を不安視しそこから脱することを望んで、PfPではなく強い軍事同盟であるNATOへの加入を望んだ。NATO側は「力による現状変更を認めず、自由と民主主義と尊重する限り、来るものは拒まず」という門戸開放の姿勢でこれに応じた。
床屋政談の中には「ロシアとの緊張を緩和するためウクライナを中立化・緩衝国にしよう」という意見も見られるが、そもそもウクライナがNATO加盟を目指すようになったのは、自国を緩衝地帯にされるのはまっぴらごめんであり、ロシアとNATOの二択ならNATOのほうがマシと考えているからで、これは1990年代からずっと続いている話である。
これを日本に置き換えれば、「日本は米中の緩衝地帯となり、日本の政治や資産は日本の自主決定権は削がれ米中間で取引されるトークンとして外部から決定される」となると、納得できない人のほうが圧倒的に多いだろう。こういった「緩衝地帯」という概念自体が19世紀的・帝国主義的なものであることは否めない。
冷戦後のNATOは陣取り合戦のための組織ではなくなった
NATOは冷戦期に設立された当初は、西側に属する国が集団で領域を防衛するための組織であり、パワーゲーム・陣取り合戦のための組織であった。冷戦が終結すると、もはや大国同士の戦争、パワーゲームが起きる時代ではなくなったとして、局地的な民族紛争やテロに共同対応するための民主主義国家の連合たる組織として改組されることになる。例えば、司令部は核シェルターの中から出て、紛争当事国の近くに移動式で設置されることになった。
NATOは存在意義、理念の変更に伴い、「テロ対策」というロシアと共通の「敵」を得たこともあり、ロシアそのものをNATO側に取り込む動きをPfPよりも進めることになる。その結果が、2002年のNATO・ロシア理事会の創設であった。この時代は、NATOとロシアが非常に接近していた時代であったと言える。
パワーゲーム的NATO観から脱せないロシア
ロシア国内には、NATOが冷戦的な陣取りゲームの戦略のままであり、ソ連の後継としてのロシアを仮想敵と定めていて、それがロシア近くまで進出するのはまずい、という見方が根強くある。2000年代の論文を読む限り、そのような被害者意識はロシア議会のほうが提出しており、プーチンは2002年のNATO・ロシア理事会創設などのように抑える側に回っているように見える。
ロシアは「東方拡大」やら「国境を接するなら……」等と発言するなど、冷戦期と同じくNATOを「陣取りゲーム上の領土」として捉えている節があり、結局それはロシア国内で自信が陣取りゲームをやりたがっていることと関係している、というのが袴田論説での意見である。
袴田論説では「プーチン……被害者意識について、90年代初期のロシア側当事者や関係者、また近年の露メディアなども、それが事実ではないと否定している」としているが、彼が引用しているのは「独立新聞」など反プーチン派の言説であり、金子(2003)で引用されている通り議会でNATO拡大を「ナチス侵攻以来の深刻な軍事的危機」を呼ぶなど、この世界観はロシアで広く共有されていると見てよいだろう。
ある言説では、「ロシアはそういうパワーゲーム的世界観で生きていると意識せよ」と呼びかけている。
「19世紀型のロジック」についてもう少し補足しよう。厳密には、このロジックは、第一次世界大戦まで続いていた。しかし大戦の悲惨な結末により、勝者も敗者もなく大国間の戦争はもはや封印すべきで、力による現状の変更を認めない、パワーゲーム否定論が台頭し、国際連盟(後の国連の前身)が結成された。日本はこの国際連盟の常任理事国になったにも関わらず、パワーゲームロジックからの変更に国内世論が付いて行けず、自らが「五大国」というパワーゲームのプレーヤーになったと勘違いした。これによって起きた過ちが第二次世界大戦であり、WW1以前の戦争が免責されているのに対し、「ロジックが変化していたとわかっていたのにやった」WW2は日本の責任は今でも免責されていない。
アメリカがこの件に積極的に干渉するのは、力による現状の変更を認めないという21世紀の国際社会の原理原則からのものであって、アメリカの直接的な利益のためにやっているわけではないのだが、ロシアにはそれが分かっていないと思しき発言がロシア外務省からも見られる。
「自由と民主主義を奉じる共同体」としてのNATOに参加できないロシア
90年代に当時のウクライナ大統領のクチマ氏が「NATOは[冷戦的軍事同盟から]真の民主主義国家の共同体に変った」と発言していることから、少なくとも建前としてNATOが冷戦時代の組織から衣替えを果たしたことは当時から認識されていた。
ここだけ取りだせば、ロシアは単に時代の流れについて行けずアナクロな帝国主義を振りかざしている、というように見えるだろうし、実際、そのような面も大いにあるだろう。
ロシアの「意趣返し」とその雑さ
2/21にプーチン大統領がスピーチを行ったが、その中では「民族紛争の発生→人道上の介入→独立承認」「大量破壊兵器を所有している疑いがあるので軍事制圧」というロジックが用いられており、これはコソボ紛争やイラク戦争の意趣返しという意見が見られた。
ただロシアのやっていることは「雑さ」のレベルにおいて米国のコソボ・イラクでの対応とは比較にならない。
コソボ紛争での国連の承認を得ないNATO軍の介入は、NATO加盟国にとって直接の利害がない(コソボが独立してもアメリカには特にメリットが全くない)状況での人道を理由とした介入であり、セルビア側がボスニア紛争で民族浄化を行っていた前歴と、スレブレニツァの虐殺の時点で国連軍が数が不十分だったためにその場にいながら虐殺を防げなかった(むしろ半ば人質として扱われた)ことに対する批判があった、という下敷きがあったうえでの実力行使であった。
一方、ウクライナ東部では、武力紛争発生直前での世論調査(a, b, c)で(NATO加盟希望の中部や西部はともかく)東部州やクリミアでさえも「ロシアへの併合は希望せず、ウクライナがNATOにも加盟せず中立を望む」という程度の結果という状況であって、武力衝突はロシアの特殊部隊が関与した軍事騒乱が発端となったことからロシアが直接的責任を負うべきものであった。また、これらの争乱地域は「独立」後にロシアへの併合を求めるなど、直接的にロシアの利益に関与しており、力による現状の変更をワンクッション挟んでやっているだけと言えるだろう。
核兵器については、アメリカがイラク戦争開戦時に核兵器開発をしているとした"証拠"は虚偽であったが、その"証拠"はイラクが湾岸戦争期に核兵器を開発していた証拠を剽窃して提出したもので、それらは90年代にIAEAの査察をもとに破棄が進められたという経緯があるし、フセインが武力について虚勢を張るため大量破壊兵器を持っているかのようにほのめかすことも多く、決して「火のない所」ではなかった。
一方で、プーチンが2/21のスピーチ中に含めたウクライナの核兵器開発の企てなるものは荒唐無稽もいいところである。ソ連時代の核兵器はIAEAの協力のもと手放しているし、ウクライナ政府はそのような計画を口にしたことすらない。この無根拠振りは、あおり運転犯の「あっちがメンチ切ってきたから」のほうがまだ言い訳としてマシというレベルである。
コソボ空爆やイラク戦争におけるNATO/アメリカの問題点は、すでに炎上した場所で火事場泥棒的に「燃えさしがくすぶってるかもしれないから予防的に」として手続きを無視して武力行使をしたことだが、ロシアがやっているのは火の手のなかったところで放火(リトルグリーンメンを送り込む)と強盗(自国への併合)をやっているのであって、罪のレベルが全く違うということは留意すべきだろう。
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