「帳簿現場猫」としてのColabo騒動

Colaboを巡る騒動について、住民監査請求が通り、不適切な会計があるので是正せよという勧告が出たようである。

本件については、監査を請求した側が提示していた「証拠」については、社会人の多くが「それやっちゃいけないって習うやつだ」という「帳簿現場猫」的な印象があった(自分がColabo寄りの解釈をしていた質問箱でも「一部不適切会計があった」ところまでは認めざるを得ないだろうと見ていた)。会社勤めで出張費や立て替えを請求する社会人1年生でも、自営業で税務署から直接指導が入る立場であっても、会計に関する知識がほとんどなくとも普通に社会人をやっていれば経験することで、いずれも身に染みるものだっただろう。

今回は「表現の自由戦士」の中でも青識亜論のように慎重派がいた一方で、普段はインターネット男女大戦に参加しないようなアカウントが参戦したのが目立った。例えば「からあげのるつぼ」という現場猫のアカウントがこの件をこすった際には、Colabo擁護派から「あいつは最近右翼的言動が……」といった怨嗟が聞こえていたが、「帳簿現場猫」案件である本件を彼がこするのは、私には当然のように思えた。こすりに回った側に滝沢ガレソやZ李といったアカウントもあったが、彼らのうち少なくとも一方はフリーライターか何かで経費や勘定科目で税務署からこすられた経験があるだろうから、「帳簿現場猫」のこれをこすりに行きたがるのも分かる。国税庁の中の人を名乗るアカウントもこすっていたが、それもその口だろう。

今回これをこすりに行っている人の多くは、以下のような感覚だろう――

「これ、普通の会社でも自営業者でも許されんわな」
「弁護団は何を見てヨシ!と言ってたんだ」
「これが問題ないのだとしたら法律や制度のほうがおかしいから、民業レベルまで基準を引き上げるべきだ」

この3行のセリフのうち、最初の行の感覚が欠如しているならば――例えば党派性や、あるいは帳簿付け経験がないことによって――、監査請求を支持する側が白を黒と言い張ろうとしているおかしな人たち、「暇アノン」に見えるのもやむをえないのかもしれない。

ただ、そういう人たちは、この件が少しでも社会人経験がある人にとって、「帳簿現場猫」レベルに突っ込みどころ満載で、そのために女性であっても社会人経験があれば「女性支援団体であってもこれは擁護できない」と感じている人が多い、という事情を呑み込めず、そのためにColaboを弁護・擁護する仕方が明後日の方向に向いているようにも見えるのである。

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