偏食すぎた私は大人になってどうなったか。

小さい頃、今思うと偏食な子でした。

おにぎりと鮭、トマトととうもろこし、枝豆、きゅうりと夏野菜で生きているような。

出前のラーメンも炒飯も匂いだけでダメで
1人おにぎりを食べてたし、
煮物もおでんもダメ。

味噌汁は、汁だけ飲んでました。
ピーマンをどんなに小さく切っても、
探しだして外してました。

肉まんは皮だけ食べてました。
唐揚げもトンカツも母が揚げるのは好きでしたが
お惣菜のは、匂い、味、すべてがダメでした。

母は私が食べれるものだけ、皿に盛りつけてくれました。残しても何も言いませんでした。

給食は、イヤイヤ食べてました。
その頃の給食は減らすこともできず、
食べきるまで椅子から立てないシステムだったので(今思うとひどいですね。食べるのが遅くて掃除の時間中食べてる子もいました。)

とにかく食べてました。
給食には揚げ物とかでなかったような
気がします。

‥そんな偏食大魔王だった私。
今はどうか?

「好き嫌いない?」と聞かれて
「ありません」と答えられるくらい
なんでも食べられます。

辛いものも、煮物も、ラーメンも、
紫蘇も、ネギも、パクチーも。
揚げ物も。

きっかけは、なんだったか?

大人になるにつれて味覚が変わり、
友達との外食も増えて、
いろんなものを食べる機会がありました。

家では頑なに食べてなかったものも、
友達の前で「これ苦手」とか、
「食べれない」とか、
言うこと自体が苦手だった。

いろんなものを食べているうちに、
「苦手だった」ものも食べられるように。

そして、歳を重ねていくにつれ、
私のカラダが求める栄養が、変わっていったのかなと思います。

だけども、1番よかったのかもと思うことは、
親に「食べなさい」と言われなかったこと。
なのかもしれない。と思います。

嫌いなものを泣きながら食べた経験がありません。イヤ!と言うと母は困った顔をしながらも、
残すのを認めてくれてました。

滅多にいない父が晩酌をしながら食べるつまみを、一緒に食べるのが好きでした。

「食」に対して
自分なりのスモールステップで、
「食べられるかも?」が増えたり、
「あれ?おいしい」が増えたりしました。

食事=苦手・苦痛ではなく

食事=好きなものを食べる・楽しい

のイメージを持ったまま大人になりました。

自分もそうやって、子供を育てたいなと
極力食べられないものは、食べられる食材に交換して出したりするのですが、

まったく手をつけずに終わったり、
一口食べてイヤそうな顔をされると

気持ちがどんよりして作りたくなくなっちゃいます。

「あの頃の私ひどかったね。お母さんごめんね。ありがとう」と心の中でつぶやいてます。

そんな息子も娘も、学校の給食は何とか食べたりしてるようで、家で「食べられない」を主張するのは、私には甘えられるんだなーと思います。

それでも、たまに「おやつ食べ過ぎじゃない?」なんて言ったりします。

理想と現実、育児ってむずかしいですね。

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