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【RX】23~26話

第23話「ブタになったRX」

 かわいいかよ(2回目)
 ジョーはブタイメージであのジェスチャーをしていたのか、それとも光太郎イメージで演じていたのか、返答によっては友情にひびが入りかねない絵面である。

 入力規則もなさそうな日本語平文で命令を理解し実行する機械、その時点でなかなかすごい発明ではないかと思うのだが(Siriとかgoogleみたい)、如何せん引き起こされる結果に対してセキュリティーが緩すぎることだけが弱点。パスコードロックの大切さが身に染みる。
 リモコン運搬係のチャップ達、葉巻を吸ったりラジカセをいじったり地上界を全力で謳歌していて楽しげ。上司の目が無ければ彼らも案外自由にやっているのかもしれない。それだけに、飛び出してきたボールで事故を起こしてしまうのはなんだかかわいそうですらある。事故を引き起こした張本人であるところのマサオは一目散に逃げだしていたが、あれがチャップだったからよかったものの(よくはない)、一般通行車両だったら大惨事になっていたところだ。猛省を促したい。


第24話「パパはドラキュラ」

 ドラキュラと言えば朝日を浴びて灰になるのがセオリーである。ドラキュラと化していたお父さんだったが、怪魔異生獣リックバックを倒したことでその効力も消え去った。朝が来て目を覚ます、それだけのことがこんなにも嬉しい。
 RXは太陽の子だ。瀕死の光太郎を蘇らせたように、太陽は莫大な生命エネルギーをひとびとにもたらしてくれる。そのエネルギーはあまねく降り注ぎ、カミラ族のお父さんにとっても例外ではなかったというわけだ。たとえクライシス人であっても、太陽の恩恵を受けることはできるのである。

 コンプレックスを乗り越えるための父殺しではなく、ただただ悪に染まった父を見ていられないがためのやむを得ない父殺し(未遂)である。それを成し遂げたところで子に得るものはなく、ただ深い悲しみのまま自らの命を絶つことになってしまっていただろう。父親を救うことで、結果的に光太郎は二人分の命を救ったのだ。

 ジョー自身が子どもっぽいという点もある。小学生の茂と社会人の光太郎との段差をシームレスにつなぐためのキャラクターとして、このような性格が生み出されたのだろうか。茂では光太郎の補佐をするには幼すぎるが、かといって滝さんのようなかっこいい大人ばかりを出していては視聴者の感情移入がやりにくい、とかなんとか理屈がつけられそうだ。


第25話「さそり座の花嫁」

 ボスガン回前編。謎の電気信号で届く怪魔通信、敵に読み取られる心配がない代わりに味方の方でも意味をとれるものは数少なそうだ。
 クライシス皇帝に献上する花嫁はたったの5名でよいとのこと。いまだ正体のつかめない皇帝だが、少なくとも、乙女を何百人も集めて生き血を浴びるようなタイプの悪役ではなさそうだ。

 ノリノリの玲子をおとりにしてガイナカマキルをおびき出そうとする光太郎たち。当然、式場を出たタイミングで玲子はジョーと入れ替わっている。敵を欺くためとはいえ、車を運転しながらイチャイチャする演技をつづけた光太郎の精神力よ……。うっかり笑ってしまいでもしたらすべてがご破算になる中で、見事にガイナカマキルを罠に引っ掛けることに成功する。
 本当であればそのまま花嫁たちの幽閉場所まで案内してもらう手筈だったのだろうが、ドレスの裾からにゅっと突き出した足のために、花嫁が偽物であることがバレてしまう。霞流変装術もムダ毛処理までは気が回らなかったものと見える。次回はぜひ気を付けてほしい(次回があるのか?)


第26話「ボスガンの反撃」

 ボスガン回後編かつジョーが活躍して嬉しい回。
 バイトの接客はがさつでやる気が無いのに対し、こと光太郎のこととなると甲斐甲斐しく看病をして食事まで作ってやる。よっぽどアニキに心酔しているのだろうなあとは思いつつ、そのアニキのメンツをつぶさないためにもアルバイトの方ももう少し身を入れてやってほしいところ。ウエイターとしてはともかく、用心棒としてはそれなりに役立っているようでもあるので、それを見越して光太郎がバイトを斡旋したのならばGJ。

 子どもたちを盾に取られては、おばさんもあんな態度をとるほかない。頭の中ではちゃんと理解しつつ、それでも寂しげにドアを振り返る光太郎が切ない。やっと見つけた安息の地である佐原家を追われ、光太郎はボスガンの目論見通り「一人ぼっち」になろうとする。
 だが、当の子どもたちや、弟分たるジョーがそれを許さない。玲子も怪我さえしていなければ、光太郎の元へ駆けつけただろう。ありがたいことに、光太郎は当分孤独にはなれそうにない。そして、大切な仲間を危機にさらされたとき、悲しみと怒りを原動力とするRXの各フォームは恐るべき勢いで敵を薙ぎ払う。
 マイナスの感情でパワーアップがなされるというのも因果な話だが、その分現状の光太郎が幸福であるとも言い換えられる。満ち足りた状態からなにかが欠けた時、それを取り戻すために最大のパフォーマンスを発揮する。今が幸せであればあるほど、何かを欠いた時の悲しみや怒りは深くなり、光太郎のさらなる力を引き出すのかもしれない。

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