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【感想】岸部露伴ルーヴルへ行く

前書き

『ジョジョ』4部について、というか『ジョジョ』シリーズ全般について、当方はあまり語る言葉を持たない。いろいろつまみ食いだけはしているのだが、4部に限って言うならば、原作は冒頭をちらっと読んだだけ、アニメはトニオさんの回だけ見て(一番平和な回だからと人に勧められた)、実写映画についてもノータッチ。オタク基礎教養として各種の固有名詞などは漏れ聞いているものの、ストーリーについては門外漢もいいところだ。
 そんな『ジョジョ』初心者ではあるが、ドラマシリーズ『岸部露伴は動かない』については一応ひととおり目を通しているつもりだ。なんといっても「脚本:小林靖子」である。当初は「でもジョジョは知らないしなあ」と二の足を踏んでいたのだが、第1期の評判を後から聞き、再放送でしっかり心を掴まれ、そのまま2期・3期と視聴してきた。原作『ジョジョ』の代名詞と言っても過言ではない「スタンド」、それをあえて「スタンド」という言葉は使わずに、変人である露伴先生が持つただの特殊な能力(矛盾した表現ではあるが)として描いているため、初学者にもとっつきやすい。同じく『ジョジョ』を知らない高橋一生ファンの家人も、そこまで戸惑うことなく楽しんで視聴していたようだ。原作準拠するところはきちんと守りつつ、必要に応じてあえてスケールダウンさせることで間口を広げる懐の深さ。
 しかも露伴先生は「特殊能力を持っているから変人」なのではなく、「変人がたまたま特殊能力を持っている」のである。彼のキャラクターは単体でも十分個性的で、ヘヴンズドアーはそこに拍車をかけるためのアイテムだ。だから、たとえヘヴンズドアーを使ったところで事態はすんなり解決しない。あくまでも露伴先生は自らの知恵と工夫で数々のピンチ(大半が自らによる藪蛇である)を切り抜けていく必要がある。
 3期の最後で泉編集がルーヴル美術館の名を口にした時には、すわ4期への布石か、それとも「行ったこと」にしてナレーションで消化するのか、と気をもんだものだ(原作「岸部露伴ルーヴルへ行く」の存在については知っていた)。それがまさか、しっかり本物のルーヴル美術館でロケをして劇場版を作るとは!
 家人と都合を合わせ、映画館へ足を運んだのは封切り初日であった。平日にもかかわらず席は8割がた埋まっていた。売店にはまだグッズが豊富に並んでおり、露伴先生とおそろいの表紙付きノートを購入するかどうか最後まで迷ったのだが、数日のうちにすっかり在庫は掃けてしまったらしい。とはいえ、大変読み応えのあるパンフレットは購入できたので良しとする。マットで真っ黒な表紙に光の加減で浮かび上がるタイトルが美しい。


奈々瀬のこと

 若かりし露伴の前に現れ、陽炎の様に消えた、鴉の濡れ羽色をした美女。 
 かつて露伴青年は、漫画の中に奈々瀬(を元にしたキャラクター)を登場させようとした。美しい髪の質感を表現するために、彼はどこまでも黒のインクを塗り重ねる。蔵にあった仁左右衛門の絵の影響もおそらくあるだろうが、それだけではなく、モチーフとした相手へのひたむきな情熱や思いも込められていた様に見える。
 大人になった露伴先生は、記憶をたどるきっかけとして奈々瀬の横顔を描く。鉛筆画の素描はいかにもさらりと描かれたもので、髪の毛も服も塗りつぶされておらず、黒というよりは白っぽい印象だ。かつて奈々瀬に言われた通り、彼女を「忘れる」ことで、露伴は仁左右衛門の呪縛から逃れていたのだろう(意図的に「忘れる」ことであやかしのもたらす災いから逃れた例を、我々はすでにこのドラマシリーズで目撃している。セルフ・ヘヴンズドアーはたいそう便利だ)。だが、テーブルを蠢く一匹の小さな蜘蛛は、わずかな手掛かりから蘇らんとする感情を不穏に予見させる。
 ラストで大人になった露伴先生の前に再登場した奈々瀬は、薄い羽織物や額を出したロングヘア―、複雑な笑みの表情がなんだかモナ・リザっぽい見た目だなあと思う。パンフレットのコラムを読んだら同じような感想が書かれていたので、あながち的外れでもなさそう。
 そう思ったとき、ルーヴルでのワンシーンがふと蘇る。「モナ・リザ」の実物を前にした露伴は、さっとそれを眺めただけで、次の瞬間にはあっさりと背を向けてしまった。
 泉は「露伴先生はちょっと「モナ・リザ」に似ている」と述べていた。先祖である奈々瀬が「モナ・リザ」に似ているのだから、子孫である露伴が「モナ・リザ」に似ていても不思議ではない。露伴先生、もしかして鏡でも見たような気分になったのだろうか。そんな妄想をすると、背を向けた後の先生の表情がなんとも味わい深く見えてくる。


仁左右衛門のこと

 露伴の遠い先祖であり、露伴によく似た顔をした絵師である。妻である奈々瀬の美しさを画紙に写し取るため、彼はあくなき探求心で最高の黒を追い求めた。奈々瀬の見つけたご神木の樹液によってその目的は果たされたが、ほかならぬそのご神木を傷つけた咎によって夫婦は悲しい結末を迎える。
 仁左右衛門の怨念を取り込んだ樹液は、無数の蜘蛛の姿となって絵に染みこんだ。露伴青年/先生のもとにはしばしば様々な大きさや色の蜘蛛が現れ、視界の隅でぞわぞわと蠢いている。特に露伴青年が過ごした祖母宅で、薄暗い廊下に活けられた立派な百合に、一匹の大蜘蛛がゆっくり脚を這わせているシーンが印象的であった。奈々瀬の意味深な態度もあって、まるで露伴青年をからめとろうとしている女郎蜘蛛を暗示しているかのようである。……実際には蜘蛛の巣に捉えられているのは彼女自身であるのだが。仁左右衛門が最期に遺した絵の中、一面に広がった美しい黒髪は、まるで隙間なく張り渡された蜘蛛の巣のようである。

 モリス・ルグラン(言うまでもなく元ネタはモーリス・ルブランであろう)は模写の腕前により絵画泥棒の一味となっていたが、最期に遺した「無題」は模写ではない。蜘蛛の巣と髪の毛のモチーフこそあれ、本物の仁左右衛門が遺した絵とは似てもつかないものだ。日本画は油絵具では模写できなかったからだろうか? それとも、彼の見た「後悔」はあの一面の黒だったのか。樹液が潜んでいたキャンバス裏の空間は、モリスがいつも「本物」を隠していた場所であった。それを思えば、彼はかの絵の「最も邪悪」な性質を見事に写し取っていたのかもしれない。


湿り気のこと

 過去はいつも湿り気を帯びている。
 露伴の回想シーンに現れる、みずみずしい和風建築の中庭。活けられた生花。濡れ縁から見上げた、洗濯物を広げる女。打ち水から立ちのぼる蜃気楼のように、「すべてを忘れなさい」と告げる奈々瀬。
 初めて奈々瀬の「本」を読もうとしたとき、彼女は涙を流して露伴青年に縋りついた。露伴は顔に触れかけた手を途中で止め、そっと彼女の背中に回す。濡れたページを強引に捲ってはいけない。水分でもろくなった紙はそこから破れてしまうから。
 どんよりと暗く曇り、今にも雨の降りだしそうなパリ。異国の地に降り立った時点で、露伴と泉は過去からの因業に足を踏み入れてしまったとも言えよう。ルーヴルは泉を彼女の父親と結びつける、特別な場所である。そして露伴は天気も悪いというのに、祖母の遺品である小さな色玻璃の眼鏡をかけている。
 露伴だけではない。公園の池で溺れたピエールには常に重くわだかまる水のイメージが付きまとう。絵画の偽造にかかわっていた警備員は、かつて消防士を生業としていた。贋作づくりのアトリエになっていた「記録にない倉庫」は、美術館の施設であるにもかかわらず、あまり空調の効いていなさそうな、いかにもじめっとした雰囲気だ。パンフレットによれば、その雰囲気を作り出すため、水を撒き続けながら撮影が行われたとのことである。

 水はしばしば、生命や生命力のモチーフとして提示される。「邪悪」は目に見える湿度となって物語の全体に蔓延し、まるで生きて意志を持っているかのように呪詛を吐き出し続けている。

 対する現代。ドラマから引き続き、見慣れた露伴の邸宅である。作業机の一帯は大きな窓から明るい光が射しこみ、しらじらと邸内の輪郭を際立たせる。天井から吊り下げられた染色用のドライフラワーや、ガラスの入れ物に収められた干し草のような染料のもろもろが、画面から重たい湿気を拭い去り、なんだかからっとしたような雰囲気を与えている。イカの水槽だけが異色だが、透明な水にイカがたゆたう姿はなんともユーモラスで、周りのディスプレイと引けを取らないかろやかさを感じる。
 冒頭、カイガラムシの染料(綿に染みこませ、乾かしたもの)に対し、泉が「骨董品だから干からびている」とコメントする。だが、露伴は千切った綿に水を加え、鮮やかな赤色を蘇らせた。湿らせることにより、染料は過去に忘れてきたような元の色彩を取り戻す。逆に言えば、乾燥させることで過去は現在から切り離され、その役目を終えることが出来るのだろう。
 ご神木の樹液もその例に漏れない。かつて仁左右衛門が手斧を叩きつけた時、漆黒の樹液は噴水のように勢い良く噴き出していた。だが、すべてが終わって露伴がご神木のもとを訪れた時、奈々瀬は琥珀のように固まった樹液をご神木の根元に還している。水分を失い、呪いは静かに終焉を迎える。悲劇はようやく清算されたのだ。


後書き

 さきに何度かパンフレットの話題を出しているが、とにかくパンフレットの読みごたえがある。キャストインタビューや監督・脚本家のお話だけでなく、音楽や衣装デザインや美術の方のお話、ルーヴル美術館に関するコラムなども読むことが出来て、とても興味深かった。活字好きに有難い一冊。
 エアコンの効いた快適な映画館で見るのもよいが、梅雨時の肌に張り付くような湿気を感じながら家で鑑賞するのもまた違った味わいがありそうな作品であった。ただし、その際には蜘蛛にご注意を。目の前を横切られでもしたら、うっかり現実との境が曖昧になってしまうかもしれない。それは本当に、本物の蜘蛛ですか?

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