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【響鬼】第40話~第41話(師弟交々編)


四十之巻「迫るオロチ」

桐矢、弟子入り行脚

 前話でヒビキさんに弟子入り志願をするも、けんもほろろに断られてしまった桐矢。学校を休む程度にはダメージを負っているようだが、風邪でもひいているのかと心配して見舞いに来てくれた明日夢の前ではいつもどおりに元気そうだ。いつかのようにリビングに通され、ジュースをごちそうになっている明日夢。大きなテーブルの上にはいろんなお菓子のごみが散乱している。森永製菓、スポンサーかしら。エンゼルパイはうまいよな。というか、一人暮らしの桐矢はもしかしてやけ食いをしていたのだろうか……。というか、最初に家に御呼ばれしたときに出てきたフルーツ盛りは、あれもしかして一人暮らしの桐矢がわざわざ注文してどこかから取り寄せてくれたのか……。てっきりお手伝いさんとかがいて用意してくれたものかと……。気遣いと見栄の張り方が斜め上である。が、そこから考えると今の桐矢は随分明日夢に心を開いているのだなあ。
 ともあれ、弟子になることは諦めないと明日夢に宣言する桐矢。いずれヒビキさんの跡を継ぐのだと自信満々な桐矢の態度に、若干思うところの有りそうな明日夢である。
 さて、正攻法で行って断られたのだから、次に頼み込むときには何かしらの作を練らねばならない。とにかく誰かの弟子になって鬼への足がかりをつかもうと、桐矢は次々に関係者のもとを訪ね歩く。

<Case.1>ヒビキさんの場合→失敗
 前回は二人きりの密室で頭を下げたが、真っ当に言い返されてしまったうえ勢地郎の邪魔も入ってしまった。というわけで、今度はランニングしているヒビキさんの後を追い、道のど真ん中で土下座をする作戦である。衆目の前でこれだけすれば無碍に断ることもできないだろう……と思いきや、頭を下げている隙に逃げられてしまった。おまけに桐矢は気づいていないが、一連の流れを明日夢に目的されてしまうというおまけ付き。
<Case.2>イブキの場合→失敗
 学校の前で佇んでいたイブキさんを偶然見つけ、声をかける桐矢。あきらの様子を心配しているらしい(当のあきらは欠席のようだが)。
 この際ヒビキさんを越えられれば誰の弟子でもよいと、桐矢はイブキにも弟子入りを申し込む。「あきらなんかより優秀でお買い得」とぐいぐい売り込んだが、それが却って地雷を踏んでしまい、静かに怒られてしまった。というか、この間もあきらの話題で怒られたばかりであろう。学習しろと言いたいところだが、共通項があきらの話題しかないので、コミュニケーション下手な桐矢では仕方ないといえば仕方ないのか。まさかイブキに勝負を挑むわけにも行かないものなあ。
<Case.3>トドロキの場合→失敗
 たちばなで報告を終えたトドロキとザンキのもとに勇ましく乗り込む桐矢。すっかり馴染みのような気分でいたが、そういえばこの二人とは初対面なのか。「貴方も鬼の一人だ。調べはついてるんです」とまるで取調べ中の刑事みたいな掴みから入り、トドロキを「先生」とおだてて取り入ろうとする桐矢。「先生」という響きにうっかり恍惚となるトドロキ。このところヒビキさんやイブキが弟子問題に汲々としているし、自分も晴れてザンキさんからの心理的自立を果たしたばかりのトドロキであるから、自分が弟子を取るということについて少し身近に感じられるようないいタイミングではあったのかもしれない。一瞬うまく行きかけるかのように見えたが、そこへザンキの咳払いが横槍を入れる。やっと目を覚ましたトドロキは、自分の経験不足を理由に弟子入りを断ったのであった。穏当な結末である。振られた桐矢はもしやザンキにも弟子入りを頼むのかと心配したが、さすがにそうはいかなかったようだ。引退した鬼についてはさすがに調べもつかなかったか。
<Case.4>あきらの場合→OK!?
 とうとう現役の鬼どころか鬼見習いのあきらに弟子入りを頼みだした桐矢である。正式に鬼になることよりも、鬼としてのスキルや知識をいち早く手に入れることを優先したようだ。ある程度実力を身に着けてから再度鬼たちへ弟子入りを頼みに行けば、今度は一考してもらえるかもと考えたのかもしれない。
 自身が鬼になるかどうかを迷っている状態のあきらだし、当然吉野が認める正式な弟子というわけには行かないだろうが、自分の教わったことを伝えるくらいなら、と桐矢の申し出を了承するあきら。桐矢は必死に頼み込んでくるし、学友のよしみも一応あるし、純粋に「私で良ければ」という雰囲気だ。ファーストコンタクトは散々だったが、きちんと礼を尽くして頼めばあきらだって無碍にはしないのである。やさしい……。
 こうして桐矢はやっと鬼関係者の末席に連なることとなった。長い片思い生活であったなあ。ついでに明日夢も勢いであきらに弟子入りしたので、桐矢にとっては両手に花というか一石二鳥の状態である。これでまた明日夢と友情チャレンジができるぞ!

明日夢、弟子入り志願?

 見舞いの際、桐矢の揺るがぬ弟子入りの意志を聞いた明日夢は、そのことをあきらにこぼす。密会場所はたちばなでも学校でもなく、レトロな雰囲気の喫茶店だ。学校にもイブキのもとにも姿を見せないあきらだが、明日夢の呼び出しには応じてくれるようだ。休んでいる間のノートの受け渡しなどもあるものな。たちばなに足が向かない以上、別の場所で受け取る他ない。
 明日夢のもやもやを聞いたあきらは、ヒビキさんが桐矢の弟子入りを断ったことを指摘する。もしかしてヒビキさんは明日夢を弟子にするつもりなのでは、というのが彼女の推測だ。
 ヒビキさんの弟子になり、鬼となることについて、「正直何度も考えたことはある」のだと明日夢は言う。そもそも一目惚れに近い形でヒビキさんと知り合った明日夢なのだから、無理もない話である。だが第1シーズンでは、あくまで明日夢は「鬼にはならない」と主張していた。自分の世界とヒビキさんの世界との間に線引きをし、その線を越えようとはしなかった明日夢。線上ギリギリの場所から違う世界を眺め、出島のようなたちばなで異文化交流に勤しんできた。明日夢には明日夢のやるべきことがあり、目の前の色々を一つ一つこなしていくことが彼にとって一番大切だったからだ。そして、明日夢が明日夢の世界を生きていくことを、他ならぬヒビキさんが後押ししてくれていた。
 しかし、前回のみどりの後押しや、今回のあきらの台詞、桐矢への対抗心なども合わさり、明日夢の天秤は一気に弟子入りの方向へ傾く。懸念の母も、明日夢の進路希望を尊重してくれるらしい。過去の弟子たちの中には、家族の反対でリタイアした例もあったものな。外堀を埋める慎重さ。
 勢いづいた明日夢は家を飛び出し、一路たちばなへ。ヒビキさんが走りに出かけたと聞いて、待ちきれずに探しに行く。橋の上からやっと見つけたヒビキさんは、神出鬼没の桐矢に突然土下座をされて困った様子である。なりふり構わぬ桐矢の姿に明日夢の焦りは高まり、同時に困惑しているヒビキさんの姿が明日夢に期待を抱かせる。もしかして本当に、ヒビキさんは自分を後継者にしようと考えているのだろうか、と。それならば明日夢に拒む理由はなく、喜んで弟子入りをするつもりだ。
 いつものように並んで河川敷に座り、川を眺める明日夢とヒビキさん。少し照れくさそうに、しかし意を決して、明日夢はヒビキさんに切り出す。
「もし、僕がヒビキさんの弟子になりたいって言ったら……」
「おいおいどうしたんだよ少年までさあ」
 ところが、ヒビキさんはそのセリフをまともに受け取ろうとしない。それどころか、即座に笑ってはぐらかそうとする。桐矢を脅かしたときと方向性は逆だが、一部の隙もなく却下したという点では同じだ。
 ヒビキさんの返答に、「少年……」と心の中で繰り返す明日夢。弟子入りを断られたことよりも、少年呼ばわりのほうがよほどショックのようだ。前話でヒビキさんに「明日夢」と名前で呼ばれたことが嬉しく、舞い上がっていた明日夢。ひとみにも「一人前として認められたのでは」と言われ、それが弟子入りを申し出るひとつの理由にもなっていた。だが、呼び方が「少年」に戻ってしまった以上、認めてもらえたはずの成長は無かったことになってしまう。
「少年はさ、少年のままでいいんだよ。なっ」
 明日夢の方を向き、同意を求めるヒビキさん。明日夢を肯定し、ありのままを認めてくれるヒビキさんの言葉だが、今の明日夢にはそれが恨めしい。一方ヒビキさんも、明日夢が今までどおりの明日夢でなくなることを少し恐れて、そうならないように否定しているようにも見える。

 あきらのことを考えるイブキは、ヒビキ・トドロキとの打ち合わせ中にもどこか上の空である。あきらの気持ちとイブキの気持ちの両方に理解を示しながら、「俺もちょっと困ってることがあって」とヒビキさんは切り出す。「少年と少年の友達に、弟子になりたいって言われてさ」。
 一人で特別遊撃班を任せられるほど経験も実力もあるヒビキさんは、しかし未だに弟子を一人も取っていない。自分が未熟だからとかなんとか言い訳をして、頑なに弟子取りを嫌がるヒビキさんに、ぴしゃりと正論を叩きつけるのはイブキである。曰く、弟子を育てることも鬼として大事な仕事だし、弟子を取って自分自身が悩むことも大切なのだと。宗家の人間として、また今まさに悩みの中にいる者として、これ以上なく筋の通ったご高説だ。
 ここで、イブキが自分の悩みを自らの成長に必要なものとして向き合っていることがわかり、少し嬉しい。あきらが迷いながらも手探りで歩き出したように、イブキも立ち止まることをやめて再び進み始めたのだなあと思う。じっと停滞していればそれまでだが、動き始めればいつかまたどこかで道が交わる時がくるはずだ。
 口の滑りが良くなったイブキは更に続ける。弟子を取るということから、ヒビキさんは逃げているのではないか。弟子を取るのが怖いのではないか。反論できず、黙って茶を飲み込むヒビキさん。夏前にはトドロキに太鼓をビシバシ教え込んでいたヒビキさんであるから、誰かに何かを教えることが(大得意ではないにせよ)できないというわけではないはずだ。弟子を取るための資格は十分あるはずなのに、それをしようとしないのは、イブキの指摘通り、ヒビキさんの内面に理由があるからだろう。
 確かに「少年は少年のままで」と明日夢に語りかけるヒビキさんの声は、どこか懇願しているようにも聞こえた。明日夢は明日夢のまま、ヒビキさんにとって「少年」のままでいてほしい、と。
 ヒビキさんが明日夢の人生の師匠でありたいと思っていたのは、明日夢が線引きの向こう側、日常の世界に軸足をおいた人間だったからだ。鬼として厳しく鍛え上げるのとは少し違う、緩やかで温かな絆の連帯。ご近所づきあいと下町人情をベースにしたような、優しく癒やされる関係性。いみじくもみどりが指摘していたように、明日夢が暗い顔をしているとヒビキさんも調子が出ない。明日夢がヒビキさんと触れ合って勇気や元気をもらっていたように、ヒビキさんも線の向こう側にいる明日夢と交流することで、鬼の世界から一時的に離れ、心を和ませていたのではないか。
「少年」が越境し、ヒビキさんたち鬼の世界に入り込んできたとき。ヨブコ攻略の端緒を見つけ、戦闘をアシストしてくれた明日夢を、ヒビキさんは「明日夢」と名前で呼んだ。同じ世界にいる人間を、代名詞で呼ぶことはできない。
 弟子を取るとは、そういうことだ。名前を呼び、寝食をともにし、生き様のすべてを教え込みながら、それでいて違った個体を育て上げなければならない。当然、自分の弱いところも、格好悪いところもさらけ出していく必要がある。自分の内面をさらけ出し、腹を割って付き合っていくことや、何かのきっかけで関係性が壊れてしまうことへの躊躇は、いくら鍛え上げたヒビキさんといえども完全に克服できるものではない。逆の懸念ももちろんあって、明日夢や桐矢が自らの本心を全てあらわにすることに耐えられるかどうか、という心配も出てくる。結局ここでもコミュニケーションの問題なんだよなあ。

鬼になるということ

 明日夢たちはそれぞれ、自分の立場から「鬼」に向き合っている。アギト風に言うなら、鬼になりたい者、鬼になってもよいと思う者、鬼になるべきか迷う者、といったところだろうか。ただし、三者の目指す「鬼」はそれぞれ異なっている。
 桐矢は真剣に鬼になりたいのだと言うが、鬼になることは彼にとって手段に過ぎない。最終目標は飽くまでも亡父を超えること。だから弟子入りの対象は最悪ヒビキさんでなくてもいいし、正式な鬼ではないあきらでも構わない。
 逆に明日夢が鬼になりたいのは、あきらに語ったように、ヒビキさんみたいになりたいからだ。ヒビキさんみたいになることこそが彼の目的である。だからもしほかの鬼から弟子入りを打診されても、明日夢はすんなり頷きはしないだろう。ザンキに心酔するトドロキにも似ているかもしれない。しかし、トドロキはもともと警察官で、正義感が強い体育会系の人間だ。仮にザンキに出会わなくても、いずれ鬼になっていたかもしれないし、鬼以外のやり方で世界を守っていたかもしれない(例えばライフセーバーとか)。明日夢にそこまでのモチベーションがあるだろうか? なお、モチベーションについて同じことは桐矢にも言えるが、彼は熱意だけはあるのだ。
 あきらにとって鬼の力は、両親の仇を討つための希望であり呪いでもあった。自らと同じ思いを抱えていたシュキが自分を裏切るようにして消えたこともあり、あきらは自分が鬼にふさわしい人間なのかずっと悩んでいる。純粋に「鬼」になりたいと願ったことがあるのは、3人中あきらだけである。だからこそ彼女は若くして弟子入りを許されていたのかもしれない。
 鬼になって魔化魍と戦うということは、目的と手段が人生に分かちがたく結びつき、一つの生き方になるということだ(だから、宗家の人間として生まれたときから生き方の決められていたイブキは、悩んだり挫折したりすることなく鬼としての人生を歩んでこれたのだ)。重大な決断である。焦っても仕方がないし、自分自身で結論を出すしかない。ヒビキさんが折りに触れて言うとおりである。ただ、ひどく思い悩んでいるときこそ、ふとしたきっかけで光が見出だせたりもするものだ。例えば、仲間のピンチに出くわして、体が勝手に動いてしまうとか。

コダマの森

 田んぼの真ん中やあぜ道の途中、あるはずのない場所にこつ然と現れ、またいつの間にか消えていく森。迷い込んだものは森に捕らえられ、その養分とされてしまう。それがコダマの森だ。中に分け入ったトドロキももれなくその餌食になりかける。両足をそれぞれ蔓に引っ張られ、股裂き寸前で木にぶつかりそうになったところ、音撃弦を幹に突き立て、ギリギリで動きを止めて難を逃れる。危ないところであった。ところで監視の任務をザンキと一緒に行うことができて、トドロキはやっぱりとても嬉しそうだ。前回大見栄は切ったけれども、「猛士の一人として」サポーターは続けてもらえてよかったね……。
 ヒビキさんが屋久島の森でバチを作ったり、自然の中に身を置いて心身をリフレッシュしたりしているように、元来森や自然は鬼たちと(そして魔化魍たちとも)馴染みのあるものである。無論自然のものだから、常に優しく包み込んでくれるとは限らない。崖もあれば急坂もある。それでも、森は良き隣人であり、どちらかと言えばポジティブな印象を与えるものであったはずだ。だが、この幻のような森は明らかにこちらと敵対している。フィールドそのものが敵というのはなかなかやりづらそうだ。
 出現している謎の森がコダマの森だと気づき、童子たちの親玉たる男女はどうやらそれを危険視しているようだ。魔化魍や傀儡を支配下においているような彼らにとっても、コダマの森は手に負えない代物なのだろうか。トドロキたちの報告でその消退を悟り、勢地郎も血相を変える。どうやらそれは、絶対に入ってはいけない森らしい。
 だが、それを知らないイブキたちはどうやら森に踏み込んでしまったらしく、連絡がつかなくなってしまう。心配する日菜佳は、今の微妙な師弟関係を知りつつも急ぎあきらに連絡を取る。他に動けるものがいないのであれば、まだ弟子のままであるあきらが一番の適任だ。
 入ってはいけないと聞いてはいるものの、あきらたち3人はこわごわ森に踏み込んでいく。心配して勝手に入ったのかもしれない。あきらのあとをくっついていく新弟子たちのちょっぴり場違い感。そしてそこで3人は、今にも森の魔の手に掛かりそうな威吹鬼たちの姿を目にする。今師匠や友達を助けられるのは、彼女一人しかいない。走り出しながらあきらは笛を吹き、額に近づける。迷っている暇などもうどこにもない。清冽な風があきらの体を包み、一人の若々しい鬼の姿が今にも現れようとしている。


四十一之巻「目醒める師弟」

あきら、最初で最後の変身

 苦境の威吹鬼たちを救うため、あきらはおもむろに笛を吹き、走り出す。その身体は師匠によく似た黒っぽい色に変化し、今にも剣を振り上げようとしていたコダマを体当たりで突き飛ばす。変身したあきらが走るシーンはほんの一瞬だけなのだが、膝を内側に入れるように足を運んでいるのがいかにも女子っぽくて職人技を感じる。
 ただ、ろくな準備もなくいきなり変身した彼女がまともに戦えるはずもない。コダマに振り払われたあきらは勢いよく木にぶつかり、そのまま変身も解けてしまう。とはいえあきらの作り出した一瞬の隙のおかげで、響鬼は威吹鬼を救出し、そのまま一同は森を離脱することに成功した。
 だが、師匠の許可もなしに鬼に変身するのはやはりルール違反だ。桐矢と明日夢を勝手に弟子にしたことも含めて、イブキはあきらから本心を聞き出そうとする。薄暗い空に濡れたウッドタイル。先ほどまで降っていた雨が一時降りやんだ、といった雰囲気の川べりである。あきらは流れる川をじっと見つめ、イブキはそのあきらに身体を向けて歩み寄る。
「僕にだけは本心を話してほしい。君は僕の弟子じゃないか。……まだ弟子のはずだ。そうだろ?」
 優しく見守るようなイブキの台詞だが、後半はやや早口だ。微笑の下に隠した焦りといら立ちが、ほんの少し透けて見えている。聡いあきらもそれを感じ取っているはずだ。だからこそ、余計に言葉に詰まる。自分でも消化しきれていない感情を、うまく言葉に乗せられなくなる。
 しびれをきらしたイブキはあきらの肩を掴み、無理やり自分の方を向かせる。「どうして話してくれないんだ!」と声を荒げるイブキに対し、あきらは俯いて「すいません」と呟くのみである。
「……それだけか」
「すいません」
「……そうか、わかった」
 あきらの肩を離し、イブキは川に向き直る。師弟の目線の方向はどこまでも食い違ったままだ。ここで「わかっ」てしまうのがイブキのおぼっちゃまらしいお行儀の良さであり、あきらとの間に一歩踏み込めない原因ではないか、と思う。そして、「わか」られてしまったあきらはそれ以上歩み寄ってこようとはしないだろう。

 自分を元気づけようとする香須実とのデートの最中、どこからともなく漂う濃い霧に包みこまれるようにして、イブキはまたしてもコダマの森に閉じ込められてしまう。香須実は太い蔓に攫われ、イブキは攻撃により気を失う。偶然通りかかったトドロキが起こしてくれるも、すでに香須実の姿はなく、目の前にはコダマがゆらりと現れる。揃って鬼の姿になる二人。真剣な表情のアップが写るのだが、強い光に照らされて目の虹彩が淡く色飛びし、瞳孔だけが黒い点のように見えている。なんだか人知を超えたような、いかにも鬼らしい雰囲気である。
 さて、変身したはいいものの、獲物を携えて走ってきた轟鬼と違い、いきなり森に巻き込まれた威吹鬼は手ぶらである。そこへ音撃管を抱えてやってきたのがあきらと弟子たちだ。日菜佳の連絡を受けた彼女は、勢地郎からの伝言を携えて師匠のもとへ走る。頼まれもしないのにわざわざ寄り道して音撃管を持ってきたのは、オフのイブキが得物を持ち歩いていないことを一瞬で判断したからである。教えが身についている証拠だ。
 ピンチの威吹鬼をディスクアニマルで助太刀し、あきらは音撃管を放る。受取った威吹鬼はすかさず構え、「よし」と呟いて駆けだす。とはいえ、すぐに形勢逆転とはいかない。足元を払われて地面にのけぞり(くるりとひっくり返る時の滞空高度がすごく高くてびっくりした)、獲物を胸元に構えた手ごとぐりぐり踏みつけられるなど、やはりコダマの手ごわさは一筋縄ではいかない。物陰から見守るあきらも思わず息をのむ。前回はこのような状況で思わず変身し、飛び出してしまった彼女である。
 だが、大元の木がダメージを受けたことで不意に苦しみだすコダマ。すかさず轟鬼の飛び蹴りが炸裂し、踏みつけから逃れたイブキは息つく間もなく清めの音を叩き込む。まともに攻撃を食らったコダマはやっと爆散し、この場の戦いはお開きとなる。
 森が消え、一同が立っていたのは美しい花壇のある公園である。明るい光の差し込むその場所で、あきらはイブキにそっと歩み寄り、告げる。
「最後のサポートが出来て、嬉しかったです」
 久方ぶりに目と目を合わせた二人の間には、穏やかな空気が流れている。師弟関係は解消されたが、ようやくあきらとイブキはまっすぐに互いを見ることが出来たのだなあ。シュキが死んだときからあきらに降り注いでいた土砂降りが、やっと晴れてくれたような気がする。
 イブキの薫陶を受けて知識も経験も豊富、短時間とはいえ鬼への変身も果たしたあきら。実力は申し分ないが、しかし気持ちがそれについてこなくては、鬼という生き方に人生を捧げることはできないのだ。そして、それは責められることではない。弟子が悩みに悩んで出した結論を、師匠は静かに受け止めるだけである。
 最後にひとつ、あきらはネタばらしをする。明日夢と桐矢を弟子にした理由だ。どうやら桐矢に弟子入りを頼まれた時点で、あきらの気持ちはリタイアの方向へ強く傾いていたらしい。いずれ鬼になれるかもしれない二人に、イブキから教わったことを伝えたかったのだと彼女は言う。
「そうすれば、私が弟子だった時間も無駄にならないと思ったから」
 先人の教えを受け継ぎ、次代に伝えていくのが師弟という制度なのだと定義すれば、確かにあきらは二人の師匠であったというわけだ。イブキの教えはあきらにとって、そうするだけの価値があるものである。たとえ鬼にならないとしても、彼女がイブキと過ごしてきた時間は決して無価値ではないのだ。

ヒビキさん、弟子を取る

 イブキに挨拶を済ませて去ろうとするあきらは、「最後にお願いがあります」とヒビキさんに頭を下げた。大方の予想通り、内容は明日夢と桐矢のことだ。二人を弟子にしてあげてほしい、とあきらはヒビキさんに頼む。イブキも口添えし、一緒に頭を下げてくれる。

 あきらの弟子になったふたりを「気持ちがあればいいってもんじゃない」と説教し、さらには「弟子にしてやるから鬼のことは忘れて普通の高校生に戻れ」などと詭弁を弄してまで遠ざけようとしたヒビキさん。何故弟子を取らないのかと日菜佳たちに尋ねられ、彼は少し考えるように視線をさまよわせる。
 さきにイブキたちに同じことを聞かれたときには、自分がまだ師匠の器でないなどと言い訳をしていたヒビキさん。それも一つの本心であろう。だが、日菜佳や香須実に打ち明けたのはまた別の理由だ。それは、桐矢たちが「単に強さに憧れてるだけ」なのではないか、という危うさである。二人ともまだまだ高校一年生だ。同い年のあきらは鬼になろうとするだけのはっきりとした理由を持っていたし、彼女自身淡々として大人びた性格である。が、明日夢や桐矢には明確な動機がない。そこが何とも頼りなく、ふわっとした気持ちに見えてしまっているようだ。
 だが、湯呑を啜りながらヒビキさんは「もうちょっとあの二人のことを見ていたい」と続ける。正式な弟子にするとは言わずとも、明日夢たちと関わりを持ち続けたい意向はあるらしい。それはきっと、明日夢を「少年」、桐矢を「少年の友達」と呼び表すような関係性のことをさしている。前途ある若者たちを時に優しく、時にユーモラスに見守る近所のお兄さん。今までだってそうして来たし、これからだってそういう風にやっていくことはできるはずだ。弟子入りしたくて仕方ない桐矢にとっては生殺し状態だろうが……。

 そんなヒビキさんだが、コダマの森での出来事をきっかけに、二人に対する認識を改めることになる。
「師匠」であるあきらにくっついて、再びコダマの森に足を踏み入れた明日夢たち。イブキの戦いを見守るあきらの後ろで、彼らは香須実の悲鳴を聞きつける。顔を見合わせ、走り出す二人。
 森の奥に鎮座していたのは一本の大木、そして太い蔓でそこに縛り付けられた香須実だ。この大木こそがコダマの森を支配する大元なのだ。近づこうとする二人を容赦なく弦が襲う。うかつに歩みを進めれば、すぐに同じように捕まってしまうだろう。
 明日夢と桐矢は、今まで何度か魔化魍に襲われたことがある。明日夢が屋久島や山中で魔化魍に出くわしたとき、尻餅をついた彼のもとにはすぐに響鬼が駆け付け、ピンチを救ってくれた。廃校で童子と姫に行き当たった桐矢は、情けなくもその場を遁走してひとり窮地をやり過ごした。
 だが今、大木の前にいるのは二人だけだ。目の前で苦しむ香須実を放って逃げ出すわけにはいかない。
 そこに飛んできたのが轟鬼の音撃弦だ。コダマとの戦いの最中に弾き飛ばされたのである。ちょうど駆けつけたヒビキさんが木陰から様子をうかがう中、明日夢たちは協力して重たい音撃弦を持ち上げる。そして息を合わせると、うねうね襲い来る蔦を必死によけながら大木へ走り込み、その幹に音撃弦の鋭いエッジを突き立てる!
 一撃で大木をやっつけられるとは二人とも思っていない。だが、大木に確かなダメージを与え、香須実を救い出すことには成功した。なんだか嬉しそうに笑みを浮かべ、鼻をこするヒビキさん。力のために力を欲するのではなく、誰かのために果敢に走ることのできる二人の覚悟を見て取ったのだろう。イブキたちにしていた言い訳はおためごかしでしかなく、香須実たちに語った不安も今ここで解消された。彼らの人柄や熱意は知っての通りである。となれば、もはやヒビキさんには躊躇う理由はない。明日夢たちが腹を決めたように、ヒビキさんも腹をくくるだけだ。そしてそれは三人にとって喜ばしい変化でもあるのだ。

 木の幹で鳴らした音叉を額に当て、香須実たちの前に割って入る響鬼。鬼神覚声で大木を両断し、コダマの森は幻のように消えた。
 明日夢たちを弟子にしてやってくれ、とあきらとイブキに頼まれ、勿体ぶるように弟子希望者たちを見つめるヒビキさん。驚いたように見つめ返す明日夢と、じっと睨みつけるように視線を寄こす桐矢。そのまま無言で踵を返したヒビキさんは、桐矢の呼びかけに立ち止まり、いつもの飄々とした表情で言う。
「どうした、ついてこないのか? 明日夢、京介」
 眉を上げた笑みは、ヒビキさん流のちょっとした照れ隠しか。「はい!」と顔を輝かせた明日夢たちはすぐにヒビキさんのもとへ駆けていく。走る途中、あきらとイブキにちゃんと足を止めて一礼していく姿が、爽やかで気持ちの良い若者という感じ。ヒビキさんに追いついた二人はその左右に肩を並べ、笑みを交わしながら歩いていく。三歩下がって後ろについていくのではなく、横で顔を見合わせているのがなんとも良い雰囲気だなあ。めでたい!

勢地郎、導かれる

 師弟たちがわちゃわちゃしている裏で、勢地郎はひとり険しい顔をして和綴じの古書をめくっている。入ってはいけないコダマの森、その出現はオロチなる敵の登場を予告するものであるらしい。
 窓のない地下室であるはずのブリーフィングルームに、一匹の蝶がひらひらと飛んでくる。一度紙の姿をあらわし、自らが式神であることを明かしたその蝶は、まるで道案内するかのように勢地郎を外へといざなう。誰にも告げず護衛もつけず、蝶を追って出かけていく勢地郎。
 蝶を放ったのは例の男女である。鬼たちが金属製のディスクアニマルを使っているのに対し、男女の式神は古式ゆかしき紙製なのがなんとなく対比っぽい。「君たちか」といつになく低い声を出す勢地郎は、男女をかなり警戒している様子だ。
 だが、彼らはそんな勢地郎の様子など気には掛けていない。細ぶちの眼鏡をはずし、男はまっすぐに勢地郎を見つめる。そして、オロチの出現に備えて鬼を集めよ、と宣託のように告げるのだ。「さもなくば、すべてが滅ぶ」。一瞬言葉を切って俯く男の表情はどこか痛ましげですらある。
 魔化魍があり、それを育てる童子と姫があり、童子と姫を生み出す傀儡があり、傀儡を生み出す男女がある。男女は魔化魍の育成を促進してはいるが、魔化魍そのものを生み出しているわけではない。魔化魍は人を喰い、男女はそれを許容している。が、すべてを滅ぼすというオロチの存在は、男女にとっても恐るべきものらしい。男女の目的とオロチの役割は相容れないのか。ならば彼らは何のために魔化魍を育て、童子たちを強化しているのか。謎は深まるばかり……。

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