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【牙狼】第17話~第21話

第17話「水槽」

 何話おきかに訪れる、怖気の走る回である。小さな金魚に魅入られた青年が、それの望むままに血肉を与え、美しい人魚姫へと育て上げる。人魚・ハルは彼の唯一の理解者であり、恋人であり、大切な存在だ。ハルを完全な姿にするためには、他の人間の命など、青年にはどうでもよいのである。
 戸沼青年がパソコン関係の仕事をしているような描写もあって、ハルというホラーの名前からはなんとなく「HAL 9000」を連想してしまう。残念ながら『2001年宇宙の旅』は履修していないので深入りはしない。すべての創作物が古典をゆりかごとしているならば、自分にはそのゆりかごを理解するための土台があまりにも足りないと痛感。
 閑話休題、ホラーの元へたどり着くために、鋼牙はしぶしぶカオルを餌として利用する。本来の目的だろうと言われてしまえばぐうの音も出ないのが辛いところ。しかしその利用の仕方が悪手であった。鋼牙は公園にカオルを連れ出し、「絵を描いてほしい」と頼むのである。絵を! 1話でカオルと鋼牙をつないだのも一枚の絵であった。そうでなくとも、画家を目指すカオルにとって、絵の手腕を求められることは嬉しく誇らしい事なのだ。言い訳や嘘の理由で触っていい場所ではない。
 怪我を負い、殺されかけ、さらに信頼していた鋼牙の裏切りを敵であるホラーから暴露される。これでは参ってしまっても仕方がない。

 三神官も「あの程度のホラーをけしかけたところでガロはやられまいから後々に支障はない」と思ってのちょっかいだろうが、「別に死んでも構わない、最近はゼロもうろちょろしているし代わりは効く」の可能性も十分ありうるのが恐ろしいところ。


第18話「界符」

 阿門法師は殺され、番犬所から過去に倒したホラーたちが盗み出される。下手人は邪美、鋼牙とは古い知り合いで、第16話の回想シーンにもちらりとその姿が映っていた。まさか敵対する形での登場とは。
 鋼牙に比べると自分の感情に正直なのが零の良いところだが、同時にそれは弱点にもなりうる。さらに、恋人の事を持ち出されると感情が高ぶり、正誤の判断を棚上げしがちでもある。

 かつて龍崎先生の家はカオルにとって心安らぐ場所であったが、今では龍崎先生の与える安心感をホラーの恐怖が上回っている様子だ。カオルにしてみれば、いくら龍崎先生であってもホラーが襲ってくれば勝ち目はないし、自分が守られる保証はないどころか、逆に先生を巻き込んでしまう可能性もある。ホラーと戦える力がある者と言えば魔戒騎士である鋼牙だが、その鋼牙と決別した時点で、カオルはすっかり行き場をなくしてしまった。

 絵を描くという行為について、肉体的にもメンタル的にもダメージを受けたカオルである。それでも鋼牙はカオルのスケッチブックを拾い上げ、彼女が再び絵筆をとることを願う。傲慢で身勝手で、思いやりに溢れ、なんと優しい行動だろう。例えばこれが零だったら、スケッチブックを完全に燃やしてしまうなどの「優しさ」を見せたかもしれない。


第19話「黒炎」

 カオルを浄化するためのヴァランカスの実を、鋼牙はずっと探し求めていた。その方針はカオルと決裂してしまった今となっても変わらない。カオルの心情など関係なしに、鋼牙は己の責任を果たすつもりでいる。

 邪美は番犬所に反旗を翻し、鋼牙も番犬所には強い疑義を抱いている。同じ方向性のようだが、鋼牙は邪美とは一緒に行けない。鋼牙が今まっすぐに見つめなければいけないのはカオルである。それをわかって、それでも力を貸してくれる邪美である。頼りの阿門も亡くし、パートナの勧誘には失敗し、一人きりになってしまった彼女だが、それでも己のなすべきことを成し遂げようという強い意思を持っている。それでこそ一人前の魔戒法師というものだ。

 コダマ、どうしても音から「小玉」を連想してしまいがちなのだが、全然小さくないので多分間違い。谺と一文字にすれば、鋼牙や銀牙と同じく彼の名前にも「牙」の文字が隠れているのがわかる。コダマもまた、戦うための牙を与えられし存在なのだ。

 義父による魔戒騎士としての教育が光る。名前を捨てても三つ子の魂までは捨てきれなかったか。

×魔道具 → 〇魔導具

 ザルバは鋼牙に助言や諫言を与えながら、じっくりと彼を導いていく。大河の傍らにあった時から鋼牙の成長を見守ってきた、という事情も多少は含まれているのかもしれぬ。対するシルヴァはしばしば、零に迅速な決断を求める。零の判断力に信頼を置いているこその問いかけか。
 シルヴァは女性を象った魔導具である。魔導具に性差があるのかは謎だが、同じく女性であるカオルが言葉による意思表示を鋼牙に望んでいたように、シルヴァも零から言葉で指針を示してほしかったのだろうか。

 ボスのお出ましである。とうとう!


第20話「生命」

 自然公園とか保護特区みたいな単語が連想される。野生のホラーを根絶やしにすることがかなわないために、あえてそこで飼っているのか?

 股下入場、名古屋のナナちゃん人形のようでもある。ニュースなどでしか見たことが無いが、実際その場に行ったら結構な圧がありそう。

 自分の内心に思いを馳せることは、立ち止まっている時にしかできない。鋼牙は常にホラー探しだの修行だのと忙しくしている。戦いのさなかに問答を求められて、初めてそこで足を止め、自らについて考えるいとまを得たのだろう。
「遥かな古から受け継いだ使命」であるホラー狩りと、カオルを守るためなし崩しに発生するホラー狩りとで、鋼牙はきちんとその意味の違いを感じ取り、戦いに向き合っている。かつてザルバが願っていた「愛とか夢とか希望とか」も、完全に消し去られたわけではなく、また拾い直すことができそうだ。

 あくまでも敵討ちが零の最終目標なので、関係ないと分かればさっさと一方的にわだかまりも解除してしまうのであった。鋼牙にはない器用さ。

 グラウ龍がホラーを倒すと、倒されたホラーの恐怖心が集まり、凝縮してヴァランカスの実となる。今まで倒してきたホラーはおよそ恐怖心なんて持ち合わせていなさそうに見えたものだが、森に棲んでいるものと街へ出てくるものとではまた性格も違うのかもしれぬ。
 届けられたヴァランカスの実は速やかにカオルに与えられ、浄化は完了する。これでもう、カオルと鋼牙が無理に一緒にいる必要はなくなったわけだ。ここからさき二人がともに時間を過ごすというのならば、それは仕方無しの一時しのぎではなく、それぞれの選択の結果なのである。鋼牙はカオルを選び、カオルも鋼牙を選び直した。


第21話「魔弾」

 役者さんのはまり役とか、新たな一面を見せつけられると、なんだかうれしくなってしまうものである。温厚な顔をしていながら容赦なく敵を始末するタイプの敵役はいつの時代でも一定の人気を誇ることと思うが、それを絵に描いたようなキャラクターが今回の神須川(演:森本レオ氏)である。すごい迫力であった。
 今回は平和なひとときからスタート。鋼牙とカオルのデートはともかくとして、ゴンザも含め三人でわざわざ記念写真を撮っているのが、新たな家族という感じでとてもぐっとくる。どこかの写真館にみんなで出向いたのか、それとも家まで出張に来てもらったのか、いずれにせよ大張り切りのゴンザの様子が目に浮かぶようだ。

 魔弾製のホラーはゾンビのような出で立ちである。前回ホラーにも恐怖心がある事がわかったばかりだが、このゾンビホラーたちに果たして自我や意識はあるのだろうか。
 そして美理=モロクの封じられた短剣を、神須川はまるで娘そのもののように捧げ持つ。「人間の屑」で作ったホラーは使い捨ててもよいが、自分の娘が同じように切り捨てられるのは納得いかない。そういう美理も猟奇殺人鬼ではあったわけだが、それについてはどう思っているのだろうなあ。

 魔戒騎士はホラーの遺族の気持ちを考えない、と糾弾しておきながらも、魔戒騎士であれば罪なき人々の命を無下にはしないだろう、と信頼をしてもいる。魔戒騎士が正義の味方であることは神須川も十分承知で、だからこそ魔弾なんてものに頼るしか気持ちのやりどころがなかったのだろう。正義を叩くためには自ら悪に堕ちるほかない。

「魔弾の射手」と聞くと機甲都市を思い出すのだが、元ネタはオペラらしい。

原題は、ドイツの民間伝説に登場する、意のままに命中する弾Freikugel)を所持する射撃手(Schütz)[注 1]の意である。この伝説では7発中6発は射手の望むところに必ず命中するが、残りの1発は悪魔の望む箇所へ命中するとされる。

魔弾の射手-出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 何となく寓意的な様にも見える。三神官、最終的に神須川も始末しようとしていないか?
 ともあれ、さきに零が手のひらで転がされたように、今度は神須川が三神官に踊らされている。死んだ人間をダシに使うのがお得意なご様子だ。

 魔戒騎士による虐殺の被害者だと思っていた娘が、実は魔戒騎士によって耐えがたい苦痛から救われていたのだと知り、その事実を抱えながら神須川は娘と同じところへ逝く。ホラーを狩ることが喰われた人間の救済につながるのなら、人間を守る者たらんという鋼牙の理念にも通ずるところがある。

 鋼牙に「人間」としての一騎打ちを望む神須川は、魔戒騎士ではない素の鋼牙から娘への詫び言を聞きたかったのだろうし、他方で自分自身が人間の一線から外れかけている事にも気づいていたのだろうと思う。だが、鋼牙にとって魔戒騎士であるということは呼吸をすることくらい自然な、分かちがたい事実である。魔戒騎士としての彼の振る舞いが、そのまま人間らしい鋼牙の姿なのだ。だから鋼牙は一騎打ちをしない。ホラーを狩るという自らの信念を、自らの行動で汚したりはしないのだ。

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