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【感想】バトルフィーバーJ 第33話

『バトルフィーバーJ』33話「コサック愛に死す」を見た。

謙作、凶弾に倒れる

 今回の御子・イーグル怪人や、強奪された設計図によるドリルミサイルなど、その死に際にはほとんど関与していない。サロメ率いるカットマンたちが乱射しているのは、日ごろから所持しているただの銃器である。生身の体で少女マユミを守るため、白石謙作は孤独な戦いを迫られる。

 マユミを人質に取られた彼は、ちらりと目だけを動かして進路を確認し、勢いよく身を翻すとおもむろに橋から身を躍らせる。狼狽えたカットマンたちがきょろきょろ下を覗いているうちに、死角を伝ってサロメたちのいる場所まで忍び寄った謙作は、横手から急に飛び出してイーグル怪人の隙をつき、マユミの身柄を確保。怪人を蹴り飛ばして距離を開ける。すかさずマシンガンを撃ってくるカットマン。マユミを庇いながら弾丸の雨を潜り抜けようとする謙作だが、あいにく撃ち手はひとりではない。反対方向から銃を構える二人組に、謙作はもはや無傷のまま逃げ切るのは不可能だと決心を決める。
 鬨の声をあげながら、謙作は二人組に突っ込んでいく。カットマンたちは動じることなく、謙作に銃弾を浴びせかける。背後からも別のカットマンたちが激しく銃を撃ち続ける。強化服を持たない謙作は、当然それを避けることも、はじき返すこともできない。
 後ろに大きくのけぞってから、謙作は前のめりに倒れる。神の助太刀により一度は何とか立ち上がったものの、それも長くは続かない。
 橋の袂から強化服を手にしたケイコたちが駆け寄ってくる。謙作は何とかそれに手を伸ばそうとするが、数歩無理やり進んだところで指先はむなしく空を切る。失血により平衡感覚も失ったのか、まるで踊るように身を回しながら、ゆっくりと頽れていく謙作。アスファルトに転がった彼の肉体は、もはや起き上がることすらままならない。
「かき氷食いてえなあ……体中がカッカするぜ……」
 マユミに楽しかったかと尋ね、駆け付けた仲間たちに後のことを頼み、謙作は悔しがりながらも息を引き取る。

 目の前で父を喪って傷心していた少女に、また目の前で死に際を見せつけるなんて! ばか! 生き返って!
 などと憤ったところで結果は覆らないし、「あともう少しだけ早く強化服が届いていたら」「あの時コーヒーを買いに行かなければ」なんて仮定の話をいくらしても詮無いことである。エゴスへの無念は尽きないだろうが、あとは神先輩に託して、どうか休息の時を安らかに過ごしてほしい。白井謙作、お疲れさまでした。


白井謙作という人間

 父の死を目撃したショックからか、バトルフィーバー隊の一員である謙作を「人殺し」「血のにおいがする」と拒絶したマユミ。幼い彼女にとって、サロメたちによる自宅襲撃は恐らく初めて目の当たりにした理不尽な暴力だっただろう。懐かしい匂いが記憶をよみがえらせるように、瞼にこびりついた強烈な印象もまた、当時のにおいを思い起こさせるのかもしれない。父親が死んだ現場には謙作も立ち会っていた。エゴスと「殺し合いをする」のが仕事である謙作の姿を見て、マユミが間近で嗅いだ父の血のにおいを思い起こしても不思議ではない。
 マユミの言葉にショックを受けた謙作は、基地に帰るとブラシまで使って念入りに手を洗っている。ケイコやトモコの口ぶりからするに、たまたまその日だけ手洗いをしたのではなく、マユミを見舞ってからずっと謙作の行動は続いているようだ。確かにいたいけな少女から「血のにおい」なんて罵られれば気になってしまうのも当然であるが、それにしてもやりすぎのような気もする。まるで、初めて人を殺して、その返り血を洗い流している人間のようだ。

 誰にとっても、人殺しは忌むべきものである。謙作にとってももちろんそうだ。
 謙作もまたマユミと同じように、子どものころに目の前で父(正確には父親代わりの神父)を喪っている。地元の暴力団員に射殺され、地面に倒れた神父に、謙作少年やほかの子どもたちは駆け寄って取りすがった。おそらくその場にも、濃厚な血と火薬のにおいが立ち上っていただろう。
 大きくなって国防省に入り、同僚と銃の腕前を競い合うような(おそらく荒事も厭わない)部署に配属されて、ついにはバトルコサックに抜擢された謙作。仕事だから、平和のためだから、疑いもせず彼は引き金を引いてきた。無論、やらなければ此方がやられてしまう。エゴスのカットマンを、御子を、彼や彼の仲間は数えきれないほど打ち倒した。
 マユミの「人殺し」の一言が、彼の胸に波紋を投げかける。
「人殺しは嫌いよ。帰ってよ」
 目も合わせずに言い放つマユミに、謙作は自分がバトルフィーバーの隊員であると弁解する。だが、マユミには取り付く島もない。
「殺し合いするんですもの。同じよ」
 正義の味方・バトルフィーバーだろうが、悪の秘密結社・エゴスであろうが、殺し合いをしていることに変わりはない。平和に生きて来たマユミにとってはどっちもどっち、彼女の日常を壊す殺人者でしかない。
 それに気付かされた時、自分とあの暴力団員たちが同じ直線の上に立っていることに謙作は気付く。マユミの父の仇を取って、設計図を取り返したい。でも、人殺しではありたくない。葛藤する心が、謙作に執拗な手洗いを強いたのだろうか。

 マユミとダムへ出かける前、謙作は九太郎から「武士の魂」強化服を携帯していないと指摘される。クリーニング中だとかなんとか言い訳をして、誤魔化しながら出かけてしまう謙作(そりゃ「服」なんだからクリーニングもするのか、というちょっとした驚き)。武士の魂、すなわち戦士としての心構えを自ら手放してしまった謙作は、もはや戦う意思を失ってしまっている。ともすれば、彼は遅かれ早かれダイアンのように引退の道を選んだかもしれない。バトルフィーバーはマスクを付けた匿名の戦隊であり、それゆえスーツをそのままに人員を補充できるのが利点なのだ。踊りの名手かどうかはともかくとして、国防省には神先輩のような優秀な人間が他にも存在しているだろう。
 しかし不幸にも、辞表を提出する前に、謙作は自らの最期を迎えることとなる。マユミの命を守るため、謙作は銃口に向かって無謀とも思える突撃を敢行した。そこにバトルコサックの華麗さはない。人間・白井謙作の泥臭さがあるばかりだ。
 そう思うと、謙作がイーグル怪人ではなくカットマンによって致命傷を負ったのも、なんだか必然のように感じられてくる。サタンエゴスの御子はバトルフィーバーと対になり、互いに「殺し合」う存在だ。その舞台を降りてしまった謙作に、御子が自ら手を下すのは不釣り合いである。『タイムレンジャー』で直人がひとりのゼニットによって命を奪われたように、ただの白井謙作もカットマンの手にかかってあっけなく死んでいく。

 しかし死の直前、謙作は強化服へ懸命に手を伸ばしていた。自分で置いてきたはずの「武士の魂」だが、今わの際になって、エゴスへの悔しさが再び彼の闘志を蘇らせたのだろう。人殺しと呼ばれようが、血のにおいがしようが、強化服が無ければ彼は女の子ひとり満足に守りきることも出来ない。神先輩が間に合わなければ、マユミともどもその場で殺されてしまっていたはずだ。
 謙作の胸元に置かれた強化服と傷だらけのマスクは、何よりの手向けである。謙作の中にある武士の魂を、ジャパンたちはしっかりと認めている。そして、その強化服をひっつかみ、イーグル怪人相手に敵討ちを果たした神誠もまた。
「エゴスの野郎、今度会ったら承知しねえぞ。今度会ったら……」
 謙作の遺志を引き継いで、神誠はバトルコサックのマスクをかぶる。謙介が死んでも、バトルコサックは死なない。バトルフィーバー隊は再び5人で怪人たちと相対していく。エゴスを殲滅する日まで、彼らの思いはどこまでも持ちこされていく。


余談

「コサックの弔い合戦だ!」とイーグル怪人の前に立ちはだかるジャパンたち。倒れた謙作の前で今にも泣きだしそうに顔に手をやり、誰よりも深く俯いていたフランスが、戦いながらしきりに鼻をすすっているのが印象的であった。戦闘中に感情を表に出すのは戦士らしくはないかもしれないが、悲しみながらもその思いを乗り越えるために剣を振るう姿には胸を打たれる。
 イーグル怪人は戦死したが、吶喊作業で行われていたドリルミサイルの製造はどうなったのだろうか。なんやかんやでうやむやになっていてくれるとありがたいのだが……。

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