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「ほんとうに人間はいいものかしら」(ゴセイジャー第38話)

 天装戦隊ゴセイジャー epic.38「アリスVSゴセイナイト」を見ました。

 長らく単身赴任で家を空けていた天知家の母親・裕子さんが一時帰宅する、という連絡から始まる今話。護星天使たちは彼女と直接会ったことは無いが、様々な「伝説」は聞いている。ちょっとおっちょこちょいで料理は苦手で、でも望と博士からはとても愛されている裕子さん。家じゅうを綺麗に整え、一張羅のタキシードを身につけて、博士と望は裕子さんを駅まで迎えに行こうとする。家族が久しぶりに帰ってくるというよりは、まるで賓客を迎えるような気合の入りぶりである。
 博士や天使たちはともかく、望まで母親である彼女のことを「裕子さん」と呼び、電話口でも敬語で話しているのがちょっと不思議だ。だが、他人行儀の距離感というよりは、単純に父の口調がうつっているだけのようにも見える。実際、電話を置いた望は大喜びで、小躍りしながら博士に母の帰参を伝えに行っている。盆と正月が一度に来たようなテンションだ。決して望は、裕子さんに壁を感じているわけではない。
 ただ、遠くにいる人と感じていることは否定できないだろう。望が護星天使たちへ「裕子さん」という偶像をことさらに面白おかしく語って聞かせるのは、彼女が今ここに存在しないからだ。些細な仕草よりも強烈なエピソードの方が印象深く思い出され、それを何度も繰り返すことで、「裕子さん」は望の中でよりキャラクター的になっていく。
 祐子さんの乗った特急が事故に遭うかもしれないと聞き、望はたまらずゴセイナイトに縋りつく。「お母さんに二度と会えないかもしれないと思うと怖い」と、彼は初めて裕子さんのことを「お母さん」と呼ぶ。望が本当に会いたいのは、キャラクターである「裕子さん」ではなく、生身の「お母さん」なのだ。
 ゴセイジャーとゴセイナイトの尽力により事故は回避され、特急は無事に走行を続ける。が、そこに一本の電話が入る。「お土産を見ていたら電車に乗り遅れてしまったからまた今度」と一方的に告げて軽やかに電話を切る裕子さんの声に、一同は少し呆れつつ、しかし裕子さんらしいと笑いながら帰路に就く。「お母さん」に会えなかった残念さはあるが、その寂しさは「裕子さん」が埋めてくれる。生きて元気にしているのだから、二度と会えないわけではない。

 さて。
 ゴセイナイトが「愛」を理解するに至り、特急事故の回避に全力を尽くしてくれたのは、護星天使や望との関わり合いによって、彼が人間に興味を持ち始めたからである。
 前半パートで、裕子さんが帰ってくることを望はわざわざゴセイナイトに報告に行く。その時はまだ、「母親が帰ってくる=嬉しい」という望の心の動きを、ゴセイナイトはうまく理解できていない。
 そんなゴセイナイトにハイドが手渡したのは、何冊かの本とDVDである。人間のことを知りたいというゴセイナイトに頼まれ、選んできたのだそうだ。ラインナップはかわいい動物や日本の歴史、子ども向け・大人向けの各種図鑑に、絵本「手袋を買いに」。

 もし自分が人間でない者から「人間のことを知りたい」と言われたら、どんな本や映像をセレクトするだろうか。
 先日配信の『仮面ライダー鎧武』では、ヘルヘイムの森の住人オーバーロードとコンタクトを取るため、戦極凌馬の命を受けた駆紋戒斗が森中にプレゼントをばら撒いていた。人類以外の知的生命体に向けて作られたパイオニア探査機の金属板と、言語や語彙を伝えるための国語辞書だ。この場合、戦極凌馬達はまず、オーバーロード側に自分たち人類の存在を知らせる必要があった。そしてゆくゆくは日本語での交流を図ることを目的としているのがわかる。
 翻ってゴセイナイトは護星界で作られたヘッダーである。人類という存在自体についてはすでに知っているし、流暢な日本語で会話をすることもできる。ゆえに、「人間について知りたい」とゴセイナイトが言ったとき、彼が本当に知りたいのは「人間」についてではない。
 ハイドが用意したのは、直接的に「人間」について書かれているような医学書や哲学書ではない。彼が腕いっぱいに抱えていた資料は、人間の作り出した物事や、営んできた文化社会を示すようなものばかりである。人間の側から見た「人間」の定義をそのまま学ばせるのではなく、人間が為してきた様々な成果を教えることで、ゴセイナイト自身に「人間」について考えさせようということだろう。
 そして、そのなかにラインナップされているのが絵本「手袋を買いに」だ。出版社は架空のものになっていたが、作者とタイトルはそのままなので、内容も我々の知るものと同一であろう。

「手袋を買いに」の主人公は狐の親子である。生まれて初めての冬を迎えた子狐は、雪にはしゃいで手をかじかませる。母狐は手袋を買うことを思いつき、子狐を伴って町へ行こうとするが、どうも途中で足が止まってしまう。母狐は昔人間に追いかけ回されたことがあり、そのトラウマを抱えているのだ。

「人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴まえて檻の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐いものなんだよ」

新見南吉「手袋を買いに」青空文庫

 已む無く母狐は子狐に硬貨を持たせ、はじめてのおつかいに出すことになる。教えられた店で子狐はうっかり狐の正体をばらしてしまうが、何とか買い物をすることには成功した。町中で仲睦まじい親子の会話を漏れ聞き、子狐は急いで母狐のもとへ帰っていく。

「母ちゃん、人間ってちっとも恐かないや」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、
「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。

新見南吉「手袋を買いに」青空文庫

「ほんとうに人間はいいものかしら」という母親のつぶやきでこの作品は終わる。その問いへの答えは文中には用意されていない。
 確かに子狐は手袋を売ってもらえたが、それは母狐が(木の葉でない)本物のお金を持たせたからだ。母狐が過去に人間に追い回されたのは、やめろと言ったのに友達が人間の家鴨を盗んだからである。人間は必ずしも狐に対して悪意を向けるわけではなく、狐たちのもたらした事象に対してそれなりの対応をしているだけだ。そして子狐が町で耳にした子守唄の歌声は、母狐が自分を寝かしつけるときの優しい声にそっくりである。狐であろうと人間であろうと、母と子の愛情には何ら変わりがない。月明かりと雪に照らされた静かな夜の中では、狐であることと人間であることに大きな違いなど無いのだ。

 ゴセイナイトは当初、人間という存在に価値を認めていなかった。むしろ地球を汚す存在であり、守る必要などないと考えていた。
 だが、幽魔獣たちの戦いや、望たちとの交流を通して、その考えは少しずつ変わっていく。地球を守ることが彼の絶対的な存在理由であるのには変わりないが、そこに住まう人間も地球の一部であるとゴセイナイトは知る。人間は地球を汚してきたが、同時にそれを何とかしなければいけないと考えてもいる。地球を大切に思う気持ちは、人間もヘッダーも護星天使も同じだ。
「ほんとうに人間はいいものかしら」。
 絵本を読み終わったゴセイナイトの視線は、山積みになった資料に向けられる。山の中からはみ出しているのは、先日望がプレゼントしたゴセイナイトの似顔絵だ。

 母親に会うのがそんなに嬉しいのか、と尋ねるゴセイナイトに、望はきちんと説明してくれる。「望が裕子さんに会える嬉しさ」は、「ゴセイナイトが望と会話をして好ましく思う気持ち」の最上級なのだそうだ。
 絵本の中でも母子は(狐も人間も)大変仲睦まじい様子である。自分が似顔絵を貰ったときのことや、望と会っている時の気持ちを思い出し、母子の姿と引き比べることによって、ゴセイナイトは望の嬉しさを理解することが出来たのだろう。ハイドの選書センス、抜群であると同時にタイミングが神がかっている。
 そしてその後、母親を心配するあまりしがみついてきた望の背中に、ゴセイナイトはぎこちなく手を置く。特急列車の事故を防ぎたいならいち早く護星天使たちを助けに駆け付けた方が合理的なのはわかっているが、彼はこのとき望のケアを優先した。「人が人を思う気持ち」を知ったゴセイナイトは、それを「自分が望を思う気持ち」に当てはめて行動したのだ。


 がっしりとしたゴセイナイトとスレンダーなメタルアリス、一見するとゴセイナイトの方が断然有利に思えるが、二人の実力は伯仲している。流石はマトリンティスのハイスペックマトロイド。張り出した肩の球体関節っぽさがいつ見てもセクシー!
 交通網を麻痺させ、変電所に爆弾を仕掛け、かなり首尾よく人間たちを混乱に陥れていったメタルアリスであるが、最終的には護星天使たちに敗れてしまう。幸いロボゴーグが彼女を組み立て直してくれたものの(意識はどこかにバックアップされているのか?)、それはメタルアリスを特別扱いしているからではなく、マトロイドの一人としてまだ使えると判断されたからにすぎない。ボディの傷を隠すようにつけられた懲罰用のパッチは、彼女の敗北を示す不名誉な勲章である。だが、そんな態度を取られてもなお、制作者のために尽くさねばならないのが被造物の辛いところ。切ないね……。

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