【マジレンジャー】41~44話
Stage.41「先生の先生 〜ゴール・ゴル・マジュール〜」
魁の白タイツがまぶしいクリスマス回。
ぐちゃぐちゃになってしまった無残なケーキを前に、とにかく何でもいいから動き出そうとする魁と、様子を見てから慎重に行動しようとするヒカル先生。どちらの意見も尤もであり、一概に良い悪いが決められるものではない。攻めるのも勇気なら、守りを固めるのもまた勇気だ。だが、その守りはいずれ攻撃に転ずるための、いわば準備運動としての守りであるのが望ましい。ただただ日和見をしているだけではジリ貧に陥るだけである。
そのあたり、今日のヒカル先生は少し及び腰だ。先日マルデヨーナ世界において、ドレイクに手も足も出なかったことが尾を引いているのだろう。恐怖の記憶は体をすくませる。それでいて、自分がすくんでいる自覚は無いので、魁の行動がまるで無謀に見えてしまう。スノージェルもそのあたりを感じ取って発破をかけたのだろうが、どうも事態は悪い方へこじれてしまったようだ……。
そしてとうとう変身するスノージェル。普段の赤子のような姿からすくすくと手足が伸びて、小柄な天空聖者の出来上がりである。小回りも効きよく健闘するが、さすがに復帰戦が冥府神とのタイマンというのは荷が勝ちすぎる。五色のひよっこ魔法使いたちには助力を求めるのに、信頼と実績のマジシャインの参戦は拒むあたり、相当ヒカル先生のことが頭に来ているらしい。置いてきぼりの先生が切ない。
Stage.42「対決!二極神 〜ゴール・ルーマ・ゴル・ゴンガ〜」
硬い装甲でもどこかに隙があると信じて、がむしゃらに攻撃を放つマジシャイン=サンジェル。華麗でかっこいいいつものマジシャインの戦い方とは違う、どちらかと言えば泥臭いようなごり押しだ。だが、その勢い任せこそがヒカル先生に足りなかったものであり、プロミネンスシャワーの包み込むような連打によってとうとうドレイクの急所を見つけ出した。執念の勝利だ。
闇の戒律を破ってまで派遣されたスレイプニル。狙いはウルザードをおびき寄せ、発信機代わりの鱗を取り付けること。命よりも大事なン・マ様の魂を抱えているのだから、ウルザードは絶対に姿を見せてはいけない局面であった。それでも飛び出してしまったのは、彼の父としての姿が、天空聖者としての姿を凌駕してしまったからに相違ない。家族の絆は守られたが、それによってウルザードの進退は危うくなってしまった。まさに捨て身である。
×(ン・マ様の復活9 → 〇(ン・マ様の復活)
直前の魁とヒカル先生とのエピソードがあるために、余計にダゴンが「勇気ある」魁に、頭の固いスフィンクスがヒカル先生に、それぞれダブって見えてくる。スフィンクスはいずれ自らの頑なさに足をすくわれてしまうような気がしてならない。
Stage.43「茨の園 〜マジ・マジ・ゴジカ〜」
トードの口ぶりからするに、「母さん」という言葉が何を指しているのかすら理解しているか怪しい雰囲気である。他の冥府神たちが常識として知っていたとしても、トードは魂コレクションにしか興味がなさそうなのでやむをえまい。
ずらりと並べられた魂のコレクションたちは、茨の小さな籠の中で色とりどりに光る球のかたちをしていた。生きているがゆえに姿を保っている深雪さんとは異なり、完全に死んでいる者の魂を捕まえてきたということか。
トードの「ゲーム」はすごろく、ただしゲームマスターが勝手に出目を変えるなど、やりたい放題の妨害付きである。自分たちそっくりの敵に襲われ、魁たちをソフビに変えられてしまうなどの苦難はあったものの、なんとかゴールへたどり着く麗と翼。やけに早く着いたのは番組の編集上の理由ではなく、ただただサイコロの目を増やすことでショートカットしてきたからであった。ここまで潔いといかさまもあっぱれ。
Stage.44「母さんの匂い 〜ジルマ・ジルマ・ゴンガ〜」
「鳴かぬなら殺してしまえ」とばかりに、取り返されそうになった「レアたん」こと深雪さんの魂を破壊して逃げ去るトード。二度も母の死を眼前に受け、打ちひしがれる一行であったが、ここで翼が粘りを見せる。夢の中でかいだ母の匂いをヒントにして、光となって漂っているはずの母の粒子を見つけることを思いつくのだ。
麗が見つけた光に向かって、翼が真新しい呪文を唱える。「あらゆるものを一つにまとめるすごい呪文」によって、光の粒と化した母の身体は再構成され、蘇る。
かくして深雪ことマジマザーは死の淵からの復活を遂げる。マジレンジャーは家族の力を「一つにまとめ」て、トードを倒したのであった。
ところで最後に蒔人が食べたがっていた「温野菜のママサラダ」、おそらくアニキサラダの元ネタであろう。麗ばかりが母の代わりをしようと背伸びしていたように見えたが、蒔人も蒔人で母のいない穴を埋めようと必死だったのだ。他のきょうだいのように子どもらしく……とは言わないが、せめて長男としての肩の荷を少しは降ろせればよいと思う。