【トッキュウジャー】31~32話

第31駅「ハイパーレッシャターミナル」

 少女アリスを不思議の国へと誘うのはチョッキを着て懐中時計を持った一匹のウサギである。かたやレインボーラインのウサギ総裁は、ライトたち5人をイマジネーション溢れる戦いの世界へ導いた。アリスの冒険はすべて夢で、最後にはお姉さんと一緒に子猫の待つおうちへ帰ることができるが、ライトたちの冒険は残念ながらすべて現実で、昴ヶ浜に戻れるかどうかも今のところはわからないのだ。
 そして明くんはバスも運転できることが明らかに。レインボーラインには自動車教習所もあるのかもしれない。

 自分の中のグリッタを消化しきれていないことについて、皇帝は「自分では持てないキラキラを持ったグリッタを保持することにより、自分が間接的にキラキラを持っていることになるからまあいいや」とか思っていそう。


第32駅「決意」

 トッキュウジャーとして戦うため、闇への抵抗力を高めることは必須事項であった。それゆえにライトたちは大人の姿を与えられ、自分が子どもだということを忘れて今まで戦ってきた。
 しかし元が子どもであるがゆえに(大人がそうでないわけではないけれども、伸びしろが多いという意味で)、彼らは戦いを通じ闇を知り、成長してしまう。いわば子どもとしての鈍行列車から一足飛びで大人の特急列車に乗り換えているようなライトたちだから、目指す方向が同じであるうちはいいが、特急の進路がこれ以上変わってしまえば、同じ行先にたどり着けなくなる。そうなれば再度鈍行に乗り換えることはできず、彼らは特急に乗ったまま、本来行くはずではなかった時間へ進み続けるほかないのだ。
 これ以上の成長を止めるためには、「何もしない」が最善である。総裁はトッキュウジャーの解散と、次なる戦士がシャドーラインを殲滅するまでのターミナル内待機を指示する。ライトたちの未来を考えれば、確かに理にかなった命令だ。ターミナルの中でじっとしている限り、ライトたちはこれ以上闇に出会わないし、成長もしない。そこにあるのは無限の停滞だ。
 だが、ライトたちはそれを選ばない。
 逡巡の末、彼らは改札を飛び出し、踏切を越えていく。おとなしく大人のいうことを聞いているには、彼らはもう成長しすぎてしまったのだ。視聴とはすなわち、これまでの経験と記憶だ。それをなかったことにはできないし、これからもシャドーラインを見過ごすことはできない。
 今までは流れに身を任せるように、何の疑いもなく戦いへ向かっていた彼らが、改めて戦う意味を問い直し、自らにそれを告げ、決意をもって変身する。この形のストーリー運びを見ると、どうしても『涼宮ハルヒの消失』を思い出す。劇場版では踏切や電車の音が効果的に利用されており、キョンが自らの決意を表明する重要なシーンでも、改札を通るという演出がされていた。行先を自分で決めて、改札の内から外へ/あるいは外から内へ行くことは、「新たな一歩を踏み出す」のわかりやすい視覚的表現であり、それゆえに視聴者も彼/彼女の決意をすとんと腹に落とすことができるのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?