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『一回きりの解放系』

『一回きりの解放系』(2018.08)

※2018.08.21 Instagramに投稿時の文章をそのまま掲載。

『一回きりの開放系』
つめたい太陽もあたたかい月も本当は同じだろうから、「もう一度」なんてきっとない。

全ての事象は同じであるということを描いた絵です。
※軽い生殖表現があるので、苦手な方は注意して下さい。

林檎の断面の片方に月があり、もう片方には人がいます。この人は、頭・首・胴は少年、腕・下半身は少女の容姿を持っています。
性別不詳の彼は、ガラス張りの床の上にいて、彼の下には白い風船がたくさん詰まっています。この風船は精子です。彼がいるのは胎盤で、これから命が産まれる可能性を持っています。この絵では、彼自身がこれから産まれる命です。
林檎は子宮を模しており、また太陽の意味も持ちます。
「月満ちて、玉のような子を産む」という表現を古文で見たような気がしたので、月は彼がいる胎盤と同じく命が産まれる可能性を持つものを意味します。
林檎の中心には背骨があり、月と胎盤を分けています。
林檎は「あわじ結び」と呼ばれる結び方の水引で結ばれています。
水引の白い方は蛇になっており、これは「旧約聖書」に出てくる“アダムとイブ”のお話から想起しました。アダムとイブのお話では、林檎は善悪の知識の実として描かれています。

林檎の周りには、紙、うさぎ、りんごうさぎ、林檎の葉、本があります。
うさぎは、昔から月に住んでいると言われているので。
りんごうさぎは林檎とうさぎから。
右下にある本は「旧約聖書」を模しています。旧約聖書によると、神様は7日間でこの世界を作ったそうです。本にはその日数と同じく七つの四角い穴が空いています。左から1,2,3,…,7枚分の本のページが切り取られ、切り取られた紙は林檎の葉と一緒に周りに散らばっています。(多分合計で28枚あると思います)

林檎は、外側は赤く内側は黄色い果実です。別々のものだと定義されることだけが正しいことではなくて、実は私たちの世界は全て同じもので出来ているのもしれないと考えることがあります。元を辿れば、全てのものは一つのものから生まれたと思います。
彼が少年でも少女でもないのは、どちらかに分別されないものとして描きたかったからです。
別々のものでも、世界はお互いに干渉しなければ動かない。だから、もう一回とか次とかではなく、ただ一つのことが連続的に変化している時間軸の上で、私たちは生きているのかもしれません。
題にある「開放系」とは、エネルギーや物質を交換するという意味です。相互に関係しあいながら廻るこの世界に近い言葉だと思って選びました。
林檎を結んだ水引の結び方は「あわじ結び」といいます。この結び方は一回きりのお祝いごとに使い、出産や入学などの複数あるお祝いごとには使いません。本来、この絵ではあわじ結びは使われなかったはずです。しかし、彼は自分が自分として産まれることは二度とないと知っていました。だから、この絵ではあわじ結びが正しくそこに存在しているのです。

始まりと終わりとか、生きることと死ぬこととか、きっとそんなには違わなくて、等しい価値を持っているものなのだと思います。
この絵は、始まりや誕生を描いているように見えるけれど、もしかしたら終わりの絵かもしれません。なぜなら、うさぎは死んでいるから。林檎の葉だって、落ちてしまっては朽ちていくだけだから。
私はこの絵についての全てを書ききれないだろうけれど、この絵はそれを含めて意味を持つのだと思います。
あなたが、この先の物語を感じてくれたら嬉しいです。(2018.8.20)

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