「いい親」なんてカテゴリ、本当に存在するのかな??

 今日は、モヤモヤを吐き出したくて、ちょっと書いてみます。
 私には、いとこが居ます。このいとこは結婚していて、幼稚園に通う子どもが居ます。
 最近、私のラインの中で相談というか、愚痴を聞きました。彼女曰く「マナー違反の子どもを放置する親が居ると、酷い世の中だと思う」という事らしいのです。

 まあ、そりゃ、マナー違反の子どもが居たらうるさいですし、私としても親に注意して欲しいなとは思います。
 でも、マナー違反であることを放置されてその責めを負う(問題児として扱われる)のはその子どもなのだし、その親だって(問題児を育てた)というレッテルを貼られることで責めを負うわけで、いとこが気にすることはないと思うのです。他人の課題に踏み込んでいると思うのですよね。

 なぜ、いとこは他人の課題に踏み込むのかといえば、本人には言えないけど、たぶん自分の子育てに自信がないからだと思うのです。そもそも「親」というカテゴリーは確かに存在するけれど「いい親」と「悪い親」というカテゴリーは後から自分で作るものだと思うのですよね。
 いとこは、自分のことを「いい親」のカテゴリに入れたくて、だから「悪い親」カテゴリに皆が入れてくれそうな親の例を集めて「悪い親=こういう親だ、私はこういうことはしない、だから私はいい親だ」という論理で自分を納得させたいのじゃないのかなって思うのです。

 いとこがその悪い親をどうにもできないように、私にもいとこの考え方を変えることはできません。せめて、私はこう思うよって伝えるのが限界です。
 だから他人の課題に踏み込むことを強くは止められないけど、今は刃先が他人に向いているからいいけど、これっていとこに刃が向く可能性もある危ない考え方だと思うのですよ。 
 つまり、もしいとこが自分の中で「悪い親」にカテゴライズされる行動を起こしてしまったときに、一気にひっくり返ると思うのです。
 例えば、つい手をあげてしまった、とか。子どもがいうことを聞かなくて(子どもが)悪いことをしてしまった、とか。
 そういう時に、いとこは自分を「悪い親」に分類せざるを得ないし、そうならないためにもっと強硬な手段で子どもに接してしまうかもしれない。

 いとこは「子どもが悪いことをするのは、親のしつけが悪いからだ」と思っているように感じるけれど、そこに大した因果関係はないのではないでしょうか?
 例えば、私は30歳にもなって結婚できない女ですけど、もし私が「私が結婚できない原因は、親の教育が悪かったからだ!」と主張したら、皆さん(それはちゃうやろ……)って思いますよね。
 もちろん、親の教育は大きく影響を与えるかもしれないけど、それだけで子どもが「いい子」になるか「悪い子」になるかを決めてるとは、ちょっとおこがましいというか、なんというか。 
 そもそも、「いい子」と「悪い子」のカテゴリも大人が勝手に後から作るもので、子どもカテゴリの中には「その子」とか「Aちゃん」とか「B君」とか個人が居るだけではないのかな?

 まあ、結婚もしていない私がいくら何を言っても説得力ないと思いますし、あくまで学問的な考え方でキジョーのクーロンであることは認めますが、ちょっと心配な私なのでした。
 もちろん、いとこがどんな子を育てようが、いとこがどんなに苦しもうが、私には関係ないことなので、やっぱり私も他人の課題に踏み込んでいると言われれば、そうなのかもしれないですけれども。
 私にできることは、こんな考え方もあるよって、提案するまでかな。その考え方を採用するかどうかは、いとこが決めることなのかも。

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