メンデルやピカソのように生きたい

 今日は休日でした。
 暇だったので、何か考えながら過ごそうと思っていましたが、見事に家族とともに録画ドラマを観て、もう夕方になってしまいました。
 本当は、計算のアプリをしたいけど、計算問題が少しずつ難しくなって来ていて、ついつい理由を見つけては避けてしまいます。
 学生時代の方が、よく考えていたような気がします。現在の方が、消費行動に使う時間が多いかもしれません。

 なぜ突然考える話になったかというと、別のSNSでつながっている知人が、考えることが好きだからです。
 彼女と話していたら、私も久しぶりに頭を使いたくなりました。
 私が学生時代を賭けて見つけた法則は「人間は考える生物である」ということでした。
 まあ、ぶっちゃけ当たり前なのですが、その当たり前のことを自分自身の力で理解できた時はとても嬉しかったです。
 そんなこんなで、私も人間なのだから何か考えたい。問題は「何を考えるか」だとモヤモヤ過ごしているうちに今日が終わりそうです。

 考えるテーマは、実用的なものと哲学的なものに分けられるような気がします。
 学問も現代ですぐに役に立つものと、社会的に地位の低い学問があるような感じです。
 私の学部は経営学部でしたから、どちらかというと即物的な学問でした。
 でもここは敢えて、私に合っている哲学的な問いの方を考えたい気がします。
 先ほどからアプリとかないかな~と調べているのですが、なかなかピンと来ません。そもそも他人から与えられたテーマを考えるという行為自体が、哲学的ではないのかもしれません。

 さて、それでは「何を考えるか」を考えなくてはなりません。とりあえず何かきっかけになる問いを探して、そこから「なぜ」で掘り下げてみましょうか。
 問い「私は知的好奇心旺盛である」→なぜか?
 理由1「私が小さな学者だからである」→なぜか?
 理由2「私は学者を職業としたかったが、経済的な理由から実現しなかったからである」→なぜか?
 理由3「経済的な理由は建前で、怖気づいたからである」
 主張「それぞれの立場を乗り越えた発信ができるようなヒトになりたい」

 理由3から主張への飛躍がありますので、補足説明をしておきましょう。
 私はいわゆるスペシャリストではなく、ジェネラリストです。つまりは浅く広くの型です。
 私は、大学で経営学部に所属し、公務員試験の勉強をしていました。
 ざっくり言えば、経営学部が民間で、公務員が公務員です。
 この2者は、常に対立しています。
 私は、会計年度の立場ではありますが、両者を体験しました。
 ヒトはしばしば、対立した時に立場の違いを理由に否定することがあります。
 公務員だからぬるま湯だ、とか。会社員だから全体が見えない、とか。
 それらは、ある種ひとつの真理であり、全否定はできません。
 でも私は両方経験したから、言えることがあるのではないかと思うのです。
 もちろん、一方を極めた人は、その人にしか見えない景色があるでしょう。
 しかし分業して極めた人が集まった組織が、調整役をなくして無理解の塊となり、崩壊することもあると思うのです。
 本来であれば、私はバリバリ働いてお国の役人となって、世界を変えるべきだったのでしょう。
 でも私にはそんな力はない。そんな力はないけど、日本語でつづることはできる。これを読んでくれたあなたに、ただの一般人の一主張だけれど、届けることができる。
 私は、例え現代の社会で評価されなくても、自分自身が胸を張れるような人生を歩みたい。
 私は、倫理を勉強するべきなのかもしれませんね。

 ちょっと書いてみて、整理がついて来ました。
 ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。
 もし倫理関係の本でオススメがありましたら、コメントお待ちしております。
 とりあえず、倫理の勉強ができる無料アプリでも落とそうかな。


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