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★「NALU」2020年4月号・・・"The Sprit of Craftmanship"『デーンピーターソン編』



「本職はフォトグラファー。シェープは遊びさ。だから何本作らなければならないとか、いくら儲かるとか考えながらボードを作る必要はない。最高のものだけを作ることに没頭できる」
シェープルームでボードをチェックしながら早口でまくしたてるデーンピーターソンのボードを心待ちにしているファンは多い。そのリストには一般のサーファーだけではなくアレックスノストを筆頭に名の知れたサーファーたちが名を連ねている。興味深いのは彼らも一般のユーザーと同様にお金を支払い、ボードを購入していることである。「商売じゃないから宣伝する必要もない。だからチームライダーも必要ない」というスタンスがより強固にファンたちを引き付けている。サーフボードを半ば自由に手にすることができるスターたちがお金を支払ってまで乗りたいボードを作るデーンピーターソンとは何者なのか。
1999年、トーマスキャンベルによってリリースされた「The Seedling」はハイパフォーマンススタイルに違和感を持っていた世界中のロングボーダーたちを虜にした。印象的なはにかんだ笑顔とスムースなトリム&グライドでボードを自在に操る若き日のデーンピーターソンはロングボードシーンに変革を与えた影響力のあるサーファーの一人に数えられることとなった。それ以来カリフォルニアではロングボードと言えばシングルフィンを指し、その影響でアレックス、ロビンキーガルのようなニュージェネレーションが排出され今に続いている。その頃すでにデーンは生まれ育ったカリフォルニアからオーストラリアに移住していた。そして再びその地において彼は変革者となった。オーストラリアのサーフシーンをハイパフォーマンススタイルからシングルフィンロングボードへと一変させたのは間違いなく彼の功績である。その後もデーンの影響力はとどまるところを知らず「ハイパフォーマンスピッグ」という新たなカテゴリーを創出し、今度はノーズライディング一辺倒となりつつあったロングボードを倦怠期から救い出し、三度変革者となった。それは現在世界中で行われているシングルフィンロングボードのイベントを見る限り明らかだ。ノーズでの爆発的な加速と波のポケットを飛び出したボードを急激にスイングさせるカットバックのコンビネーションで見る者たちを圧倒するライディングはロングボードの楽しさと可能性を倍増させ、アレックスノストはデーンのボードを駆って圧巻のパフォーマンスで優勝を重ねた。
その後、6年間にも及ぶ背中の故障から復活を果たし、再びデーンピーターソンはメインストリームに舞い戻ってきた。


《インタビュー》

-----サーフィンを始めた頃のことを教えてください。
1982年、12歳のときに父親に連れられて初めてサーフィンに行った。すぐにハマったけど、その頃は海から少し離れたところに住んでいたから毎週末は自分でピーナッツバターサンドを作ってビーチに行ったんだ。その後マリブに通うようになりジミーガンボアやマットハワード、ジョシュファブローたちと出会った。

-----シングルフィンロングボードの傾倒していったきっかけは?
最初はあらゆるタイプのボードに乗っていたけど、特にシングルフィンロングボードに乗るジミーのサーフィンがとても好きだった。彼のサーフィンは楽しくてクールでスタイリッシュだった。そして初めてサンオノフレに行ったとき、そこのメローな波にはゴーイングファストなシングルフィンロングボードがベストマッチすると確信した。

-----オーストラリアへ渡るきっかけは?
 幼い頃から私の家族は決して円満ではなかったのでそこから離れて暮らしたいとずっと考えていた。ジミーとマットから海外の話をよく聞かされていて、特にオーストラリアにはたくさんのいい波があるって。すぐに行くしかなと思ったね。

-----あなたはオーストラリアのサーフシーンを激変させた張本人と言われていますが?
 自分より前にトムウェグナーがすでに移住してたよ。当時オーストラリアのサーフシーンは90年スタイルのロッカーの強いボードによるハイパフォーマンスが全盛期だった。そこでスムースにシングルフィンログを操る私とトムのスタイルはすぐに地元のサーファーたちにリスペクトされるようになったんだ。彼らはロングボードの歴史もよく理解していたからね。そういう意味ではオーストラリアにシングルフィンロングボードを広めたっていうことではとても貢献したね。なぜなら今ではオーストラリアはカルフォルニアに次ぐシングルフィンロングボード大国だから。

-----オーストラリアとカリフォルニアのサーフカルチャーの違いについてはどうですか?
 単純にオーストラリアはアグレッシブでアクティブなサーフィンを好み、カリフォルニアではリラックスした遊び的なサーフィンで、チルアウトもサーフィンの一部として重要視していることかな。

-----オーストラリアではプロサーファーではなく写真家の道を選び、そして再びカリフォルニアに戻ったのはなぜですか?
 もともとはサーファーとフォトグラファーの活動を両立させていたんだけど、だんだんファッション誌の依頼が増えて、同時にカリフォルニアでの撮影が多くなって。それにお金の手段のためにサーフボードを作るよりも、趣味でシェープするほうが自分に合っていると感じたんだ。

-----カリフォルニアに戻った後、怪我をしてサーフィンから遠ざかっていましたが、その頃サーフィンとどのように関わっていましたか?
 自分から行動を起こすことはまったくなかったんだ。ただその状況を見かねてジャレッドやハリソン、ユータ(瀬筒雄太君)たちが私の家を訪ねてきてくれたり、撮影と称して海に引っ張り出してくれたんだ。それでサーフィンとの関わりを継続できたよ。

-----シェープを再開する気になったのは?
怪我をしている間にたくさんのアイデアが湧き出てきた。コンセプトは明確だったからエンジョイしながら徐々にそれを検証しようと思ったんだ。

-----あなたのボードはアレックスノスト、デボンハワードなどの一流のサーファーの間でも人気が高いのですが、その理由をどう考えていますか?
 自分の作るボードはビギナーには少し難しいかも知れないけど、トップサーファーたちが求めるベストスポット、ハイポケットにおいて最高のパフォーマンスをすることができる。彼らが求めるのはノーズだけではなくスピード、マニューバー、ターンをシングルフィンのロングボードで可能にすること。私のボードは彼らのあらゆる要求に対応するように作られている。

-----現在の世界のロングボードシーンを席巻しているハイパフォーマンスピッグというタイプのボードはあなたによって考案されたと言われていますが?
オーストラリアに渡ってすぐの頃、古いサーフボードに出会った。それはボブマクタビッシュやミジェットフェアリーが使用していたキャットスタイルといわれるボードだった。私はオーストラリアにカリフォルニアのシングルフィンロングボード文化を持ち込んだといわれているが、でも実際はオーストラリアには置き忘れたようなシングルフィンロングボードの歴史があったんだ。そこで私はキースポーによって作られた1967年のボードを元に、少しだけモダンなロッカーを加えた。そのボードがカリフォルニアスタイルのノーズライディングとハイパフォーマンスを融合し、シングルフィンロングボードのスタイルを一変させたんだ。

-----現在、新しいボードのアイデアはありますか?
 たくさんあるけど今は言えないよ。なぜなら私が作ったハイパフォーマンスピッグは今や世界中のシェーパーによって作られてるんだ。アイデアは秘密。最新作は次世代ガールズの中心のローラミニョーに作った「ピッグペン」というモデル。ストレートなアウトラインでレールに少しエッジを入れ軽量のガールズにも簡単にコントロールできるボードに仕上げた。女の子がシングルフィンに乗っている姿はとてもセクシーでクールだよ。

-----最後に将来の夢は?
 自分専用のシェープルームが欲しいな。写真の仕事が一段落したときにシェープルームにこもってサーフボードのことをもっと考えてみたいよ。