見出し画像

★「NALU」2013年1月号"ROBIN KEGEL LIVE IN FRANCE"


午前中の雨がうそのように雲の切れ間から光が差し込んできた。バスク地方特有の白い外壁を利用したフィルム上映の準備をしているニューヨーク在住のカメラマン、ヤンと最近フィルマーとして頭角を現しているジョージにとっては好都合だ。ヤンは昨年のガトヘロイのダイナミックエンデバー「SURFAR」を8ミリカメラで追いかけ、1年の歳月をかけ編集を終えていた。ジョージはジョエルがプロデュースする「クークボックス」のプロモーションビデオを仕上げてきた。もちろんガトヘロイとは関係ない映像だが、たくさんの人が集まるし、何しろこのビデオを上映すればジョエルが来ることも計算に入れてある。そしてもう1本はロビーのフランスでのパートナー、ギュエムのアライア映像である。当然このシーンでは地元の人が盛り上がる。ロビーのプロモーション能力はさすがだ。


9月28日から30日まで3日間、フランス南西部のビアリッツでは「ダクトテープインビテーショナル」が開催されていた。ご存じのとおりジョエルチューダーが16人のサーファーを招待し、世界最高のシングルフィンロガーを決める大会である。ただしコンテストという形式はとっていても実際にはシングルフィンロングボードの楽しさを広めるお祭りのようなものだ。その期間中の29日、フランスに移住したロビーの新しいファクトリーでお披露目パーティが開催された。もちろんその日はダクトテープ主催者も一切の予定を入れず、全員でロビーのお披露目に駆け付けようという粋な計らいをみせた。

正午を過ぎた頃には千本のビールと十ダースのワインが届けられ、大鍋には地元名物のスープ「ガルビュール」が仕込まれていた。ファクトリーはいつも以上に整然と片づけられシェープルームには白黒のロビーのライディングの写真が飾られ、完成したばかりの新しいボードが入り口付近でライトアップされていた。

夕刻が近づきアレックス、ジャレッド、ピックルらの幼いころからともにサーフシーンを盛り上げてきた友人たちに混じりハリソン、マイキーらのコンテスト出場者、イベントでビアリッツを訪れていた次世代を代表するショートボーダーのジョン・ジョン・フローレンスら錚々たる顔ぶれも集まってきた。そして陽が沈み上映会が始まるころには大御所ジョエルが登場し盛り上がりは最高潮に達した。

数年前からことあるごとに「カリフォルニアのサーファーには未来がない」と口にしていた。それはサーフィンの歴史に目を向けず物まねか思いつきの奇抜なデザインのボードで人目を引くことだけの若いシェーパーたちに対して主に向けられていた。また友達よりも彼女や家族を優先することへの反発は彼の複雑な家庭環境に原因があったのかもしれない。とにかく彼は新天地を求めていた。

3年前、ロビーは「FREAK WAIVE TOUR]を立ち上げ、冬のカリフォルニアからハワイ、日本、オーストラリアを周った。その夏の終わりにはイタリア、フランスを周り現地でサーフボードを作った。

その頃、ヨーロッパではサーフィンといえばショートボードがメインで特にシングルフィンロングボードは発展途上のさらに前の段階に過ぎなかったが、時を同じくしてスペイン、フランス、イタリアではシングルフィンロングボードのイベントが開催され始めオールドスクールが注目を浴びつつあった。地元の食事やお酒とともに、未開の波が無数に点在するアフリカへのアクセスが容易なことにロビーは惹きつけられた。そしてシングルフィンロングボードのヨーロッパでの将来性を確信し、翌年には観光ビザで滞在できる最長期間の3か月を2回にわたって過ごした。年末には世界中から集められたカメラマンを伴いダイナミックエンデバー「SURFAR」が敢行され、未開のウェスタンサハラで新しい人生の扉を開けた。

その旅ではそれまでのロビーの最大の理解者であり、親友として10年以上苦労を共にしてきたクリスを失うことになってしまった。「ここに残って誰も乗ったことがない最高の波をあてよう」と最果てのキャンプ地で意気込むロビーに対し、新しくできた彼女や両親とクリスマスを過ごしたいとクリスは言ってしまった。家庭に恵まれずに育ったロビーが一番嫌悪しているカリフォルニア的な言い訳にロビーは憤り、その旅が終わっても彼らの関係が修復されることはなかった。代わりに登場したのはギュエム。2年前、ロビーがビアリッツの南部にあるギタリーを訪れ一人でサーフィンをしていた時に初めて声をかけたフランス人だ。「もしかしてロビー・キーガル?」「そうだよ」「信じられない。ここでサーフィンしているなんて。一緒にサーフィンしていい?」「もちろん、ここは君の地元だろ」「ずっとあなたのファンだったからすごくうれしい。ここにはいつまで?」「来週にはもう帰らなきゃいけないんだ」「カリフォルニアに行くのは僕の夢なんだ」「じゃあ来週、俺と一緒にカリフォルニアに行かないか?俺のファクトリーに泊まればいいさ。」9月29日にお披露目をしたその手作りのファクトリーこそロビーとギュエムの新しい城だ。

ロビーは現在、近年になくサーフボードづくりに専念している。それは新しい環境を得たことに対する喜びと同時に、異国で正式なパートナーができた今、責任を果たさなければならないという現実に向き合っているからだ。ここ数年、最高のボードを追い続けてきた結果、極度にボリュームを絞り込んだボードが多くなっていた。しかしこれからはユーザーに目を向けなければならないと自覚している。自分のスタイルに興味を向けてくれる一部の人たちのサーフボードだけでなく、ビギナーから上級者までのすべての人たちが満足できるボードを作ろうとしている。

「今、十種類のモデルを作っているんだ。みんなが自分にあったタイプのボードを選べるようにね。それを持って春までに日本に行くよ。だから楽しみにしていて」と言っている。「これから1か月間モロッコに行くんだ。今回の旅は二人の日本人と一緒に始めるんだ。一人は長年俺を撮り続けてくれているペロ。独自の視点で最高の写真を撮るよ。そしてもう一人は中村さん。あの清太郎の親父さ。日本で初めてサーフィンをしたグループの一人で、サーフィンだけでなくアートやカルチャー、音楽の知識がすごいんだ。それにあの歳でモロッコのでかい波にチャージするクレージーなところもいいしね。彼らとの旅は刺激的さ。俺は国籍や年齢なんか気にしないし、実際、今はフランスに住んでいるし。後半は世界中からフォトグラファーが集まるんだ。いい映像を残したいんだ。誰かが作ったものじゃなく、自分たちの手でね」

フランス南西部からスペインの北西部の地域、いわゆるバスク地方はビーチとリーフのサーフスポットが無数に点在し、ASPコンテストも開催される。その中心であるビアリッツの空港は大手サーフブランドの巨大な看板がひしめいているほどサーフィンのメッカだ。しかしローカルのコアなサーファーたちはそういったポイントに目もくれない。バスクの男らしく壮絶で過酷なサーフトリップを好む。近所のサーフスポットに行くような調子で車から降ろしたサーフボードとウェットスーツを片手に歩き始める。15分、20分は当たり前。丘を登り、森を抜け、砂丘を下り、ときには1時間を超える道のりだ。最終的には崖をロープにつたわって降り、やっと海に入ることもある。この時点で帰りのことを冷静に考えればサーフィンにすべての体力を使うことは無謀といわざるを得ない。しかしここはバスク。ヨーロッパ中を震え上がらせる最強の男たちだ。­­­ロビーも負けていない。カリフォルニアのあるレジェンドサーファーが「あんなに足腰が強い奴を見たことないよ。ロビーの脚力の強さはあのフィル・エドワーズ以来だ。あのボトムターンとカットバックの豪快さは誰にもまねできないだろうな」という。だから、その脚力でいつかはバスクの男たちを制するときが来るかもしれない。

カリフォルニアが大嫌いだと飛び出し、ついにフランスで城を構えたロビーに、カリフォルニアの仲間たちはパーティの夜、盛大な祝福とエールを送った。翌日の大会のために早めに引き上げた選手たちに代わって、最後までビールやワインを平らげ、大声で「サンテ(仏語で乾杯の意味)」と叫んでいたのは地元のサーファーたちだ。カリフォルニアのスターのロビー・キーガルがこの地にファクトリーを構えたことを盛大に歓迎した。
ロビーはカリフォルニア嫌いでありながら、今もカリフォルニアの友人たちに強く支えられている。フランスのサーファー達も彼のスタイルに憧れている。なんたって今でもロビー・キーガルは正真正銘、生粋のカリフォルニアのロングボーダーなのだから。