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夢またの名を呪い



アイナジエンドに憧れすぎて、ついに彼女が夢に出てきた。



最近また長い夢を見るようになった。

眠りが浅すぎて、そこが夢なのか思考の続きなのかがわからない。



高円寺のアパート、穏やかな日本の午後の気温。

私は多分アイナさんの部屋に遊びに来ていた。



インスタの切り抜き動画などで流れてくる彼女が歌唱する短いショーに私は容易に魅了される。


アイナジエンドとか、羊文学とか、そういうジャンルに私はずっとわかりやすく弱い。

もしも10代の頃に出会っていたら、そのまま青春を丸ごと捧げていたことだろう。


ほんのたまに出会う、自分の心に届く音楽。


やばい、最悪だ、と思ってしまう。

これ以上知りたくない、深入りしたくないと愚直にそう思う。



実際に私は思春期の多感な時期に出会った音楽をただのカルチャーの消費として捉えることはできず、音楽と共に生きたいと本気で願い、レコード会社に就職までした。


朝から晩まで音楽のことを考えていたし、周りの人間も皆そうだった。

あの頃の彼氏も友達も職場の同僚でさえ全員、音楽に囚われた人間しか私の周りにはいなかった。


会社を辞め、SNSのアカウントを全部新しくして、オーストラリアにまで逃亡して、私の音楽への向き合い方は変わったし、多分きっと普通になった。

今はもう新しく出会った人に自分の過去の話はほぼしない。



あの頃の自分がなにをしていたのか、なにを夢見ていたのか、わざわざ思い出さなければもう忘れている。



その普段は忘れていることを、思い出させてくるような声。

私が憧れていたものの全て。



そういうコンテンツが今は簡単にSNSで流れてくるので注意が必要だ。


随分長い間音楽に毒されていたなと思う。



あのときもうひとつの選択肢を選んでいたらどうなっていたんだろう、そしたら私は今こんなところにはいないんだろうなと考えることもある。


だけど、今の私にできることを、自分で選んだことを、やっぱり明日も続けてもう少しここで生きてみたい。


あの夢の続きはいつかまたどこかで見れたらいい。







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