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酒は人生の子守唄

朝の10時にレゲトンが鳴り響く。

南アメリカの地域の音楽だ。
サンバのような情熱的なリズムに合わせて
人々が歌い踊る。

コロンビア出身の家のオーナーが
朝っぱらから大音量でレゲトンを流して
踊りながら家中を掃除している。

愉快な家だ。
私はここが大好きだ。

けど、
今日に限っては迷惑なのだ。

何故ならば私は今
今世紀最大の二日酔いを迎えている。

(わりと毎回が今世紀最大ということは置いといて)

昨夜は大量に酒を飲んだ。
それはもう吐くまで飲んだ。

自分を押さえながら
少しずつ酒を嗜むということが
私には一生できない。

目の前にグラスがあったら、
何も考えずに全て飲み干してしまう。

ただ単に酒の味が好きなんだと思う。

ウイスキーとビールを混ぜた
罰ゲーム用の飲み物だって
私は涼しい顔で一気する。
3~4杯くらいまでならいける。

ギリシャ神話で酒の神にあたる
バッカスは私を讃えてくれるだろうか。

それとも冷ややかな目を向けて
やりすぎだよと言うだろうか。

きっと後者だ。

人に迷惑を掛けてまで
酒なんて飲むものではない。

思い返せばたくさんの人に
迷惑を掛けながらここまで来た。

行けるとこまで行っちゃって
と私の泥酔した姿を
一緒に楽しんでくれる人もいれば

まじでありえない
やばすぎるでしょこの女
と拒絶反応を起こす人もいた。

いい感じだった男の人の前で
泥酔して恋が終わったことだって何度もある。

それでも私は酒を飲むのだ。

自分でも何故なのかわからない。

昨夜はクラブに行く予定だった。

家でワインを2本空けた。
ビールも梅酒も日本酒も飲んだ。

この時点で
私はもう完全に出来上がっていた。

タクシーに乗って夜の街へ繰り出す。

土曜の街は大混雑で、
クラブのエントランスにも
すでに人々が列をなしていた。

私達もそこへ並ぶ。

列はまだ長い。
私に今必要なのは水だと思った。

水を買いに行くと言い残し、
私はひとりコンビニへ向かう。

それが運の尽きだった。

水を買って戻ろうと思ったけど
道がわからない。

自分が今どこにいるのかもわからない。

そしてクラブの名前も
一生思い出せなかった。

友達に電話をしようと思ったけど
電話も見当たらない。
きっとどこかに落としてしまった。

結局電話はバックの奥底に
あったのだが、泥酔していた私は
それを見つけることすらできなかった。

そう、私は酔っ払うとこうなってしまう。
本物の酒クズなのだ。

千鳥足で街を歩く。

いろんな人が私に話し掛けるけど、
(そのほとんどが「大丈夫?」という
親切からくるものだが)
泥酔した私は
何故かめちゃくちゃガードが固いので
ニコリともせずに全員をかわしてしまった。

酔っていると
帰省本能のようなものが
働くときがあると思う。

結果がどうであれ
とにかく帰らなくてはと
どこかへ帰ろうとする本能のことだ。

(友達はその本能に従って
電車に乗って東京から長野まで行ったことがあるので
やたら滅多行動すればいいわけでもないが)

私の場合はそれに加えて
危険察知能力が無駄に高くなって、
近寄ってくる男の人が全員敵に見える。

迷惑な話だと思う。

冷静に考えれば
酔った女がひとりでフラフラと歩いていたら
何事だ?大丈夫か?と声を掛けるのは
別に普通のことなのかもしれない。

私はそれに対して心の底から
は?きも。
と思ってしまうのだ。

時にはそれが口から出ることだってある。

善意を悪意で返すとはこういうことだろうか。

多分私は、男の人という生き物のことが
どこかでうっすら全員嫌いなのだ。

触られたくない。
構われたくない。

もはや生理的なものだ。

そういう女子は
実は普通に多いと思う。

意外かもしれないが
私もその中のひとりだ。

男の人という生き物のことは
はなから全く信用していないし、
心を開くまでにかなり時間が掛かる。

そしてそれを悟られないようにするための
上っ面だけはやたら良い。
そうやって私は今まで生き延びてきた。

こんなことをここで暴露してしまって
大丈夫なのだろうか。

なににしても私は
男の人が発するあの
「あわよくば感」が無理だ。

目の奥にキラリと光る
あわよくば感を察知した瞬間、
私の心は鎖国する。

例えそれがどんなにイケメンでも冷める。

私はそういう人達を
「あわよくばおじさん」と呼んでいる。

人々がイケメンという地位から
あわよくばおじさんへと
転落するスピードの速さたるや。

酒の神バッカスもびっくりだ。

彼らだってこんな泥酔女に
そんなことを言われる筋合いはないだろうに。

けど、これだけは私の酒飲み人生で
唯一人に誇れることとして掲げたい。

例えどんなに酔っていても、
私があわよくばおじさんに
お持ち帰りされたことは
これまでの人生でただの一度だってない。

もちろん意気投合した人とは
連絡先を交換したりはするけど
その場でどうこうなったりはしない。

まあこの世には
あわよくば女もたくさんいると思うので
そういう人達同士で楽しんでもらえたらいい。

その手の友達が私の周りには五万といる。

彼女たちはいつも話が早い。
自分の本能のままに生きている。
そしてエピソードがもれなく全て面白い。
愛すべきビッチたちだ。

私はというと、異常なまでに
あわよくばおじさんに対する
嫌悪が激しいのでそのへんに
置いてってもらって結構だ。

ただ派手な場所で
楽しく酒が飲みたいだけなのだ。

そのあとは
あわよくばないおじさん達か
あわよくばない女友達と
富士そばに行って健全解散がしたい。

夜遊び全盛期、私は渋谷にいた。

あの頃は箱のスタッフも演者も
ほぼ全員顔見知りの環境で、
例えどんなに私が酔っても
絶対に仲間に守られているグルーヴがあった。

懐かしい。

彼らのおかげで私は渋谷という街で
あそこまで開放的に
酒を飲めていたんだと思う。

そしてそれに甘えすぎた結果がこれだ。

2021年のこんな夜更けに
私はひとり異国の歓楽街を彷徨っている。

私を守ってくれる人はこの街のどこにもいない。

ブリスベンのことを
ブリスベンの人を
私はもっと知りたいと思う。

今までにはなかった感情だ。

そうして少しずつここが
私の居場所になればいい。
あの頃の東京みたいに。

それにはあと何年掛かるだろうか。
70年で足りるだろうか。
寿命が尽きてしまう前に
私はどうにかできるだろうか。

そして気が付いたら
レゲトンがけたたましく鳴り響く家の
ベットで私はひとり寝ていた。

生還に成功したのだ。

なんて素晴らしいんだ。
世界が私におはようと言っている。

ひどい二日酔いだが
そんなことより今日という日を愛したい。

ただもし願いが叶うなら
今はもう少しだけ寝かせてほしい。

私がどうやってここへ帰ってきたのか
その過程は全く思い出せないが、

そして水を買いに行くと言ったまま
一生戻って来なかった女として
友達には迷惑を掛けたが、

私は今日も生きている。

ありがとう大地。
ありがとう太陽。
ありがとう酒の神バッカス。

これが先日私の身に起きた話だ。

こんなしょーもない話を
よくもここまで長々と語れたもんだ。

歴代の酒クズ仲間は
「あの頃死ぬほど暴れ回っておいてよかった
今はもう絶対に無理」と私に言う。

いや確かにあの頃と比べたら
私もマシになったよ。

けどまだ酒には勝てなくない??????
というか一生勝てる気がしないんだが???

というのが私の本音だ。

すると彼女は無言で一枚の
写真を私に送ってきた。


「酒は人生の子守唄」

なんという破壊力。
圧倒的なメッセージ性。
もはやこれを肴に酒が飲める。

酒とは、戦う対象ではなかったのだ。

神すら宿る神々しい存在、

こんな我々を子守唄であやし
包み込んでくれるもの、それが酒だ。

一生あなたについてゆきたい。

できればもう少し
まともな状態を保ったままで。

聞けばこの写真は
遠い昔に私が撮影したものらしい。

そんなの記憶からすっぽりと消えていた。

こうして記憶にない記憶が
きっと私にはたくさんあるのだろう。

そういうものを拾い集めながら
これからも酒と共に生きてゆく。

どうか見放さずに
しょーもな。と側で笑っていてほしい。


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