見出し画像

運命の家と出会った話

酒を飲むのが好き
人と話すのが好き、

そう豪語しておきながら
私という女には
ひとりの時間もそれなりに必要だ。

派手な場所に派手な格好で
出掛けるのが好きな反面、

イベント事が終わった翌日は
ベットの中でひとり
ゆっくりと本を読んだり
文章を書いたりしていたい。

バランスが全てだ。

人とばかりいても疲れるし
自分とばかり向き合っても疲れる。

通っているスクールが休校日な今日、
私がするべきことなんて数えるほどしかない。

メイク用の筆やパフを洗って
ハイキングで汚してしまった靴と帽子を洗って
シミを着けてしまった服の漂白をする。

洗ってばかりではないか。

ちなみに溜めに溜めた
洗濯物の山を片付けるべく
洗濯機も今や
フル稼働で働いてくれている。

遊び尽くした週末を
精算してる気持ちになれるので
これはこれでいい。

冷蔵庫の中身も整理して
死にかけの野菜を救出すべく
適当にスープにしてランチを済ます。

ひとりの食事は気楽だ。

あるものでパパっと、
例えその彩りが悪くたって
具材のバランスが偏ったって
誰に負い目を感じることもない。

けどだからといって
永遠にひとりで食事が
したいわけでもないので
これもたまにだからこそ感じる
いいバランスの一貫なのだと思う。



そういえば私はやっとこさ
重い腰を上げて引っ越しを完了させた。

West Endという街に
こだわって住んでいた私にとって
ここを離れるには
よっぽどの理由が必要だったが、
それは突然私の身に降ってきた。


以前車で通った道に
すごく印象的だった場所がある。

助手席に座って
ぼんやりと窓の外を眺めていたとき、

急に視界に広がった
公園沿いの一本道が
私はずっと忘れられなかった。

これは私が旅行に行く度に思うことだが
その土地にはその土地の光の差し方がある。

ハワイにはハワイの光があるし
LAにはLAの光がある。

そしてこの公園沿いの道に差す光は
なんとなく私が知っているものだと思った。

初めて来たはずの場所なのに
何故か懐かしい感覚になる場所が
皆さんにもきっとあると思う。

私にとってはこの道がそうであったのだ。

「あ、私この場所知ってる」

とあの日私は
助手席に揺られながらそう思った。

当時はまだこの街に来たばかりで
私の中に土地勘というのもは存在せず
この道がどこだったのか
あの公園はなんという名前だったのか
わからずじまいで時は過ぎたが、

先日知人を訪ねて訪れた場所が
まさに未来の引っ越し先となる
この公園沿いの一本道に佇む一軒家だった。

坂を登りきって視界が開けた瞬間
この道があの道だということに気が付いた。

「私ここに住みたいってずっと思ってた」
と冗談半分、本気半分で
知人に訴えてみたところ
偶然にも一部屋空きがあるとのことで
速攻入居を決めた。

迷いは1ミリもなかった。


木曜日にこの家と出会って、
次の木曜日にはもう入居していた。

オーナーはアートに明るくて
若いアーティストを応援するための
ギャラリーを自ら建ててしまうほど
それに熱心な人らしい。

彼の自前のギャラリーからやってきた
作品がこの家には山ほどある。

もはやこの家自体が
ひとつのギャラリーと呼べるレベルだ。

アートと呼ばれるものを目に入れながら
生活できるのはすごく心にいい。

窓からは例の公園が見えるし
風通しのいい一軒家の二階を
私は今ひとりで占領している。

やっと見つけた私だけの
秘密基地のような場所。

いつか嫁に行くその日まで
ここに居座りたい。

というか一攫千金して
この家を買い取りたい。

そのくらいの心意気で
私は今楽しく日々を送っている。

「その後こんな事件が起きるなんて
あの頃の私はまだ知る由もなかった」

というような結末にならないことだけが
今の私の願いだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?