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20211021『狐憑』稽古場日記

2週間ぶりの稽古だ。
長谷川は静岡に出張し、僕はさっぱりと髪を切った。
横川はPCを自力で組み立てた(!?)。

僕たちは集まれる時間が限られているので、かなり密度の高い稽古をしなければならない。
ひとりでできることは、なるべくひとりで。
俳優の作業の大変さはお互いに分かっている。

残念ながら台詞の入り具合は惨憺たるものだったけれど、前回の稽古で俳優に設定した課題はそれぞれの仕方で模索した跡が見えた。

問いを立て、仮説を立てる(正解を見つけるのとは違う)。
実際に試してみて、ひとまずの結論を得る。
そこから発展したり、ぶっ壊したりして最初に戻る。
これを僕たちの稽古の基本構造にしたい。


戯曲の言葉について。
『狐憑』の戯曲は長谷川が書いているので、演じる際もニュアンスを外すことは少ない。
彼の課題は、自分で設定した枠を、どれだけ形を崩さないまま外して演じられるかというところだと思う。
優等生的にきれいにやりすぎないように、泥臭く逸脱していく方法を探る。

一方横川の方は、ニュアンスや意図を捉えるところから始めなければならない。(役者の作業としてはこちらの方が一般的だ。)
声や身体に素直に出る人なので「あ、この言葉は捉えられていないな」というときはすぐに分かる。
文脈の飛躍や複数の役が混線する長谷川戯曲。
これが成立する条件のひとつは、その複雑さを俳優の身体の中に共存させることだと思う。

実際に、戯曲を読むよりも演じられることで明らかに意味が(そして無意味が)立ち上がる瞬間がある。
読み物で十分という作品ではないことは確かだ。
この瞬間のひとつひとつを、しっかりとつかまえていきたい。


少人数体制なので、衣装、小道具、美術、照明、音響も自分たちで設えなければならない。
(あとは制作も!超重要!)

ビジュアの方は、今は雑多なイメージをなんとなく共有していく段階。
『狐憑』の空間を成立させるのに必要な、最低限のオブジェクトは?音や光は?装いは?
稽古を進めるうちに余分な要素は削ぎ落とされるはずだけれど、最初の手探りの段階は検討することが多くてなかなか大変だ。
最終的にはひとつの作品にまとめてアウトプットするわけだけれど…可能なのか?
ちょっと怖い。


ウミウシのタクシー 塗塀

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