夏のマザーグース、わたしに向けて

夏だ。纏わりつくような暑さ。また帰ってきたのねと思い出す匂い。いきなり降ってくる夕立。夏だなあ。夏休み。よく働いてよく遊びに出かけた。と思う。女子高生が足を運ぶ先なんて全くわからなかったけど、自分なりに色んな景色を見て、虚しくなったり侘しくなったりして。死ぬほど泣いたし、でもそれよりも沢山笑った。
わたしは元々情緒が不安定な人間だけれど、ひとりでいるときはそれをくっと堪えられるようになってきたのかもしれない。今日を楽しむ為に生きようと思えるようになった。少しだけ余裕を持ててきた。大人の階段のーぼる、いうやつだ。自分の全体を少しずつ把握していく。わたしという人間が何でできているかを思い知る。それでも大人になってきたって、結局堪えられないところがある自分にやっぱりな、となったりもする。しょうもない自問自答を何千回と繰り返す。そうすると、今まで生きてきて、わたしが出会った人や音楽、文章が頭の中に浮かぶ。出会いがわたしの全てなんだよ。この16年間、大切な人がたくさんできた。この人の為なら死んでも良いと思った人もいる。だから怖かった。どう考えても、何にも取るに足らないわたしが、大切な人とに差が出来ない訳がない。どんどん離れていくように感じる。ひとりで人を遠ざけてしまう。わたしはあなた達のように綺麗な絵を描けない。必死になれないないままの自分がすごく、情けなくなる。折角愛してもらえたり、褒めてもらえたりしても、こんなわたしの何が、と卑屈になってしまう。愛されないことは死ぬより寂しいことだけど、でもそれより、愛される方がずっと脆弱で怖い。見透かされてるような気がする。そうやって、どんどん嫌いな自分が浮き足立って、息苦しくなるんだな。大好きな人の大事に仕方が分からない。大好きな人が大好きな人を汚していく。大好きな人が大好きじゃなくなっていく。わたしは指をくわえて見ている。そんなことが、16の夏はたくさんたくさんあった。悔しくて、寂しくて、悲しくて、救ってやりたいのに、大切でどうしようもなくて。「きっと人は一人しか愛せないようにできてるよ」、と嫌味を言うようにまでなった。けれど本当にそうだといいなあと思うし、その嘘を盲信してくるくる回る毎日の中で、ひとりだけを愛せたらやっぱり、すごく素敵だ。ありふれた幸せがいい。偶にInstagramやTwitterのダイレクトメッセージに、このブログについて感想を下さる方がいる。その方達は、わたしの文章について救われた、苦しいとき、貴方の言葉を思い出す、と言ってくれた。こんなことを言ってくれる人がいるから、わたしは思ったままの文章を書けるのだと思う。苦しくても、生きる価値を自分で作るのはとても大事なことで、会いたい人を探したり、少し高い買い物をしてみたり、とにかくなんでも良いから言い訳をして、嫌いな自分にちょっと贅沢してもいい理由づけをする。子供みたいだけど、これって大事なことだ。わたしは好きに文書を書いてもいいことが、とても贅沢であると思う。それに同じような想いの人が少しでもいてくれた事実がとても幸福。夏はいっぱい幸せで絶望してしまったから、秋は何も怖がらないように、自意識なんて捨てて、大切な人が隣に居る自分を一番に愛せるように、永遠なんてなくてもあったかいままで居られるように、文章を綴りたいなと思う。今年の夏が恋しくならないくらい良い秋にすべきだ。そしたら冬のバニラアイスはもっと美味しく感じるかな。お鍋はさぞかし美味しいだろうな。おやすみ。

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