額縁

12月に入った。本格的に寒さも増してきて、こたつや布団から抜け出せない、みたいな日が続く。これが冬の醍醐味なのだけど、何をするにも寒くて億劫になる。鍋とか雪見だいふくがとんでもなく美味しい。コートを1着卸した。そんなこんなで、"また今年も終わってしまうのか〜早いね〜"というもう生きてきて何度目かも分からない台詞を繰り返しながら、もうすぐ2017年も過去になっていくのだ。でも本当に一年とは瞬くように終わってしまう。この一年、わたしは女子高生になり、周りの環境が目まぐるしく変わった。多種多様な人との出会いがあり、また別れがあり、泣きじゃくったり頭を抱えたりしながら、それらひとつひとつを飲み込んできた。また沢山本を読み、映画を観て、歩きながら四季折々の景色を見た。外から知識や経験を得る度に思うことがあって、言いたいことが増えた。そしてそれを言いたい相手にきちんと口に出して伝えられた年だったと思う。今まで思っていることを何も言えなかったから、それだけで前進だ。丁度このブログは一年前の冬に開設した。後悔ばかりの人生を誰かにぶちまけてやりたくて。今でも、わたしは沢山の後悔を抱えて毎日を生きている。遠くなっても美しく切り取れない過去を踏みつけて立っている。大切な人もいっぱい手から零れ落ちていってしまった。大切な人が大切に思えなくなった時、ひとりで項垂れる夜の底、それでも上手く笑えればよかった。わたしにはその度量が無かったし、未だに全て形容する優しさを持てない。それでも、明日を生き抜くしかない。今大事な人を大事にすることがいちばんの幸福なのだ。あなたもわたしもね。人はいずれ死んでしまう。ラテン語で、「memento mori」という言葉がある。メメントモリと読むのだけれど、日本でいうことわざみたいなものかな。わたしは米津さんの歌の中でこの言葉を知った。意味は、「人間はいつか死ぬことを忘れるな」という警句である。実はそれと同時に、この言葉は「人間はいつか死んでしまうから、今日を楽しめ、踊れ、食べろ、」という古代の人間からのアドバイスでもあるのだ。わたしはこの自由で生命力のある言葉を、心の底から愛している。人生はくるくる回ることができない。一度過ぎ去ったものはもう一度やり直せない。幸せも不幸せも一過性だ。くるくる回れないからと言って、じゃあ人生は直線なのか?と問われるとそうではない気もするけれど。人は思い出を反芻することができる脳みそを持っている。忘れたいことも、忘れたくないことも、思い出して色んな気持ちに浸ることができる。その時間に戻れなくても、沢山の思い出の中で哀愁を感じたり、幸福になれたりする。それを加味して考えると、唯の直線とは言えないのではないだろうか。人生のような長い長い時間というものは、もっと複雑で、最悪で、苦しい形をしているのではないのだろうか。人間では考えつかないような形なのかな。こういう疑問や思想は永遠に尽きないので、この辺でやめよう。少なくとも、過ぎ去ったものを掴みに行こうとするのは野暮だし、ずっと忘れたいことは永遠に忘れられないこと。それを認めてとりあえず、くるくる回れない人生を、なるたけ笑いながら優しく生きたいと思う。なんだかクリスマスが近づくにつれて、街はふわふわと浮ついている気がする。みんなすこしだけ浮き足だっているのがとても愛らしい。勝手に世の中がクリスマスは楽しめよという風潮を作ってくれたので、それはそれで乗っかればいいと思う。楽しいことを楽しむのはわたしの人生の中で当たり前のことだ。何を祝うかもよく分からないままに小さなパーティをやって、美味しいご馳走とケーキを食べてあったまりながらけらけら笑いたい。冬の街はいつもよりぐっと華やかになる。クリスマスのイルミネーションが、どこも綺麗だ。商業的な意図から生み出された電球だって、光ればそれはそれは美しい。冬にだけ光るそれらを、目を細めて見つめるとひとつひとつの電球の輪郭がぼやける。それを眺めるのがわたしはとても好きだ。今年は恋人と海のそばにある遊園地にイルミネーションを見に行った。田舎の遊園地だったから少し寂れてはいたけれど、まばゆくて何処も輝いていた。川の水面に映ってきらきらとゆれる光と、いつもより高く感じた、寒くて澄んだ空の中で、こちらを見つめてくれたわたしの恋人は冬がよく似合うなと思った。この人とすいもあまいも全部二人のものにしてやりたいとも思った。優しくてロマンチックで、とても素敵な彼を、わたしはどう大切にできているのだろうか。
わたしはロマンチックな人が大好きだ。どうせ一度きりで灰になる人生、情熱的に生きたほうが楽しいに決まっている。花や本を好きな人に贈りたい。好きな服だけを着て好きな言葉だけを吐きたい。そういえば、人に本を贈るのは告白と同義だと誰かが言っていたな。本当にその通りだと思う。ひとりで鑑賞する本や映画、音楽は自分の感性や物事の捉え方を形作るとても大切なものだ。それらを相手にプレゼントするなんて、なんだか胸の内を明かすみたいで、ちょっと恥ずかしくて、ドキドキしませんか。もうこの時点で告白みたいなもんだよ。あとやっぱり花は贈る方も贈られる方も嬉しい。どんなゴージャスな花でもいつか散ってしまうという儚い美しさがある。命あるものは美しい。贈り物をするという行為は、会っていない時間もプレゼントをあげる人のことを考えていられるということだ。そのまた逆も然り。そんなに想える相手がいるということは、家族でも恋人でも友達でも上司でも素敵なことだとわたしは思っているので、贈り物をされるとその人の時間も一緒に貰ったような気がして、嬉しくなる。このブログが2017年の最後において、人生の壁にかける額縁みたいなものになればいいな、とぼんやり思う。大袈裟かもしれないけれど書くことで一年を納める、纏める、終結させる、みたいな意味合いで。そしてまた来年も生きて、生きて、幸福を模索する。2018年、やりたいことリストや行きたいところリストを作ってみるのもいいだろう。もがき苦しみながら自分の人生でいちばん若い今日を愛したい。いつもたおやかな人間でありたい。年の瀬に、また文章を書きたいな。良い12月を。

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