5月は一度も文章を書かなかった。書く気にならなかった。気がつけばもう6月で、初夏をとうに迎えている。時間はどんどん過ぎていく。後悔も甘美も絶望も綯い交ぜて。どうも皆さん、お久しぶりです。自転車を漕いでいると、自分に当たって流れていく風が夏の匂いに変わっていくのがわかる。みずみずしい。またこの季節がやってきた。わたしは夏が特別好きなわけではないが、肌に触れている風が気持ちいいのは嬉しい。目を瞑る。散歩をするには少し蒸し暑く、気怠げになった。その代わりと言ってはなんだけれど、この季節、わたしは本をよく読む。窓を開けて。昨日読んだのは、森晶麿さんの「四季彩のサロメまたは背徳の省察」、今日ずっと読んでいるのは、森博嗣さんの「イデアの影」。何方も当たり。好きな文章の羅列がずっと続く。本を読み、文章を書きたくなり、筆をとる。言葉は読むことも書くことも怖ろしい。人を大きく動かすから。自分も、他人も。そして、此処にくる。怖ろしくても、自然と書く行為に移れる場所があることは素晴らしい。それが決められた時間にしなければいけないというルーティンワークでないことも。1ヶ月放置していたにしろ、ブログを開設したのは間違っていないと今も盲信してる。いつか鉛筆でも文章を書いてみたいとも少し思う。今深夜に放送されているドラマ、「100万円の女達」にて野田洋次郎さん演じる主人公の小説家は、鉛筆で小説を書いていた。そのワンシーンに、妙に惹かれた。携帯で書くのと何か変わるのだろうか。人生に於いて分からないことは多々ある。分からないとは充実だ。生活もきっと、充実している。そう信じることにしている。人間は個々に3つのコミュニティがあれば精神的安心を得られるという話を聞いたことがある。わたしの場合は、学校、バイト先、家といったところ。他に特別なことは何もない。勿論、どれもしんどい時間はある。学校へ行くと馬の合わないクラスメイトがいる。家に帰ると怒鳴られる。バイトへ行くと嫌な客が来る。けれどそれでも、わたしにとってどれも必要な居場所。そして全てのコミュニティに参加していることで、わたしは充実したと思い込む。必要としているものに必要とされている。きっと幸せ。つまらない充実。今はこれで良い。わたしが青いままのあいだは。きっと、わたしは大人になっていく。自分の人生にはこれからもっと沢山の悲しいことがあって、素晴らしいことがあるのだと思う。数多の経験をする度にわたしは、綺麗になったり、やつれたり、とにかく、どんどん変わっていくのだ。後戻りができない。季節は、月や星は、巡り巡るのに、一過性の直線をわたし達は生きている。逆も同じ。過去には戻れないから生きていける。その過程の中で、ほんとうの充実を見つけられたら僥倖だ。もしかしたら、後になって高校生の時が一番充実していたと思うのかもしれない。廃れた大人になってしまったと後悔するかもしれない。でもやはり今は、そんなことなどどうでもいい。わたしは子供なのだから。青い夏に、自分の方がずっと青くてよかった。この6月で、わたしは16歳になる。きっとまた何か変わる。素敵な夏を過ごせるといい。また書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?