製氷機

子供の頃はああだったこうだったという話をしていた。人と話すと何故か文章を書きたくなる時がある。わたしが子供の頃。といっても今もまだ子供だが、もっともっと小さいとき。ちびちゃんだったとき。ガラスでできた貝殻と、シールを沢山集めていたわたしは、おままごとも鉄棒もお人形遊びも嫌いだった。途切れて薄まりつつある記憶を無理矢理に引っ張り出して思い出す。小さい頃に住んでいた家には、とても思い入れがある。100坪以上ある、古い日本家屋だった。そこはわたしが知らない親族が昔ひとりで住んでいた家で、その人の趣味だった記念切手や、切り絵なんかがそのまま沢山置かれていた。特に切り絵は壁のあちこちに貼られており、切り絵専用の部屋もあった。色んな和紙や道具が置いてあって、古びた匂いのする小さな部屋だったのをよく覚えている。わたしはその部屋を気に入っていた。後は、深い赤色の絨毯が敷かれた階段とか、ピアノとソファしか置いていない毎日沢山日光が差し込んでいた応接間も、わたしはすごく好きだった。中でもわたしの一番のお気に入りは、敷地の半分くらいを占めていた庭だった。春には桜が咲き、椿が咲き、マリーゴールドが咲き。秋はどんぐりを沢山拾った。夏は天気雨が一度降ったことがとても印象に残っている。なんの迷いもなく空は晴れているのに、雨はそれにたじろぎもせず降るのだ。美しかったな。この頃には彼岸花も咲いていた。冬はほんのちょっとだけ雪が降って興奮したな。何せ古い家だったので、ヤモリやコウモリを見ることもあった。知らぬ猫も遊びに来た。後は、小さいながらも池があったり、広場も花壇もあった。母の手入れが行き届いた大きな庭は、四季折々すべてとても綺麗だった。そういうところで育ったおかげか、わたしは自然が好きだし、今もよく景色の移り変わりを見ながら散歩をする。そんなちょっと変わった家の中でも十分楽しいことはあったはずだが、小さい頃、わたしはふらふらと外を歩き回る好奇心旺盛な子供だった。母親と手も繋がず、気になることがあるとすぐ駆け出した。なんでも知りたかったし、なんでも見たかった。多分、今よりあの頃の方がひとりが怖くなかった。安心して帰れる家があったからかな。それを一寸の疑いもなく信じられていたんだもの。無知は喪失も恐怖も、何もかも知らない。わたしはよく外に出ては迷子になって転けて泣いて帰ってくる、を繰り返していた。昔から足が強くなくて歩いても自転車に乗っても転けまくっていたわたしは血まみれになることもしばしばあって、母は死ぬほど心配しただろうな。ごめんね。そんな小さい頃のわたしにも、絶対的に怖いものがあった。父だ。一般的に小さい時は怖くない存在かもしれないけれど、わたしの父親は本当に昔からすごく怖かった。背が高くて、稀にしか笑わなくって、あまりぺらぺらと喋らない。機嫌が悪いとわたしの首根っこを片手で掴んで放り出せるようなガタイのいい人だった。あまり深く喋ったこともない。ありがとうもごめんも言われたことがないし、そもそもきちんとした理由で怒られたこともない。褒められたこともほぼない。家にいても殆ど他人みたいだったけど、内心ビクビクしながらもわたしは父が大好きだった。そういえば、父はお酒を水のように飲む人だったな。顔色1つ変えず、それはそれはぐびぐびと飲んでいた。わたしは、夜になって父が帰宅するとお酒を作って来いとよく言われた。氷と、水と、それからウイスキーや日本酒の割合を教えてもらって、マドラーでそれを混ぜた。薄いだの氷が少ないだの言われながら、それが1日の中で唯一父とコミュニケーションを取れる時間だったので、小さいわたしは怖い父のためにお酒を作るのが好きだった。カラカラなる氷はいつもジョッキをいっぱいにしていた。重たい壜。製氷機が面倒くさそうにゴトゴト音を立てる。今考えると、わたしと父は仲が良かったのだ。怖かったけれど、頑固で誰にも心を開かず他人と共存することができない父は、何処かわたしとよく似ていた。わたしはいつもなにか彼と喋るネタを探していた。内容のないことを話す勇気なんてなかったから。ひょっとして、親子には会話なんて要らなかったのかな、と思う時もある。空気みたいに、お互いの波長が呼応していて、会話が無くても一緒にいられた。それが親なのかもしれない。恐怖のおかげかわたしは気づくことができなかったけど。もう一年以上会っていないけれど、機会を作ってまた会いたいなあと思う。そんなこんなでわたしはもう16歳になってしまった。父のお酒を作ることもなくなり、転んで血まみれになることも少なくなった。思慮深く、臆病にもなった。この間駅で待ち合わせした時に、5歳くらいの男の子が不安そうに、それでもひとりで歩いているのを見かけた。賢い眼をしている子だと思った。肌で恐怖に触れているその子を眺めながら、わたしは中途半端に成長した自分を叱責する。小さい頃の大切なものとはまた違う大切なもの、そしていらないもの、その全てが増えた。感情の振れ幅が広がって、その端っこと端っこには、もはや自分でも手が届かないんじゃないかと思う。いつもより人の言葉が薄っぺらく感じる日がある。誰の言葉も虚言に聞こえることがある。わたしなんかにどうしてこんな優しい言葉をあなたたちは吐いてくるんだろうと思うときがある。そういうのは全部、わたしが分からないわたしの感情だ。愛されると嬉しい。当たり前だ。当たり前のことを当たり前だと確信できる気持ちがほしいだけなのにな。簡単なことなのになかなか出来ない。すぐにそういうどうしようもない考えが堂々巡りを始める。自分で自分が分からない、という気持ちがずーっとへばりついていて、それがたまらなく怖い。これじゃあ叱責というより落胆に近いな。自分のことを考えると、やっぱり16歳だろうが子供だよなと思う。心の中を整理整頓してくしゃくしゃになったものを断捨離する度量がわたしにはまだない。とはいえ、もう大人になっていかなくてはいけない時期だ。先日タクシーの運転手に半年前くらいよりずっと大人びてびっくりしたよ、と言われて、逆にこちらがびっくりした。たった半年で他人が驚くほど成長していたとは。心底焦った。中身は全然追いついていないことに気付かれなくてよかったなあと思った。子供なのは恥ずかしいことではないが、見た目と中身があまりにも相違している歪な自分は少し恥ずかしい。結局、こんなことを書いても書いても書いても、何も変わらない。大人と子供の差異なんて実はないのかもしれない。かの野田洋次郎さんもそんなことを言っていた気がする。もっと心に余裕ができたら、このブログなんて書く必要がなくなるだろう。それがわたしにとって大人になるということなのかはまだ分からないが、子供の自分をたまに振り返りながら、今の自分は、君から見てどうだろう、と問いかけながら今日を丁寧に生きたいと思う。わたしの地元、今朝は雪が少し降りました。みんなのところはどうかな。またね。

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