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ふと、こんなことを思った。 「明日死ぬとしたら、何がしたい?」 「僕たちの存在は永遠」と聞くと、何か余裕みたいなものが生まれ、この感覚を楽しんでいたいと思える。 しかしそれは頭では理解できず、その余裕が焦りに変わることがある。 そんな時、感じた。 「有限」を。 この「セイヤ」を体験できるのには限りがある。 それは死という体験によって、終わる。 もちろん、このセイヤというアイデンティティが本当の私だとするなら、死によって終わるだろう。 しかしそれはあり得ないん
ぼくは自然を眺めているだけで 感謝が湧いてくる。 胸の奥から 「ありがとう、ありがとう」と 音が聞こえてくる。 幸せとは何かって聞かれたら、 それは感謝だと思う。 創造性ってあるじゃないですか? それってどこからか来た 情報が「私」を通して 現れているんじゃないかと思う。 だから、 「ぼくがやったんだ!」と言った瞬間に、 その創造物は 陳腐なものになっていく気がする。 だとするなら、 創造性は感謝から来ているのかもしれない。 なぜなら 感謝は「私」がして