「ロッキー」と金木犀とホープライトと自転車で走る高校生のこと(2020/10/8)

朝、セブンイレブンに買い出しに行く。

すっかり肌寒い。プルオーバー・タイプのパーカーを今年初めて着た。パーカーはトレーニングウェアが起源だという(英語では「フーディー」と呼ぶらしい)。そのせいだろうか。パーカーを着ていると身体に一本線が通ったような心地がする。自分の筋肉や骨格を感じる。いつもは緩慢に分断されている身体の各部分が有機的に連結された感じ。一言でいえば「やる気」が出てくるのだ。映画「ロッキー」のイメージのせいかもしれない。多分そっちだ。

道は雨で濡れていて、湿った空気は金木犀の香りで満たされている。マスクをしていても感じるほどの芳香を放つその樹は、江戸時代に中国から輸入されたもののようだ。日本での自然分布はなく、すべて民家の庭などに植樹されたものだ。庭というのは世相を反映するもので、戦中〜戦後まもない頃に建てられた住宅の庭には、食用の果実をつける樹が多く植えられたらしい。そう言えば祖父の家もそうだった。考えてみれば、目立った果実も付けず、花が散れば掃除も面倒な金木犀が、それでもいたるところに植えられているのは不思議だ。それだけ秋が好きな人が多いのかもしれない。

セブンイレブンに着く。毎日三つおにぎりを買う。それを3~4時間ごとに一つ食べる。不味くもないし、美味しすぎもしない。お腹いっぱいにもならない。仕事をするあいだの食事はそれくらいが丁度いいと思う。テンションを一定に保つための食事。それから煙草の「ホープライト」。「ニコチンは完璧なドラッグだ」とウエルベックは書いている。「快楽をもたらしはせず、煙草が切れたと身体が感じたとき、その欲求を満たす。ただそれだけのシンプルでしぶといドラッグ」。絶望的に普通の事柄を、何か払拭しがたい宿命であるかのように書くのが彼の仕事なんだろう。

帰り道、雨の中自転車を飛ばす高校生がいた。傘も差さずに。悪天候時の自転車は思った以上に危ない。整備された専用レーンならともかく、日本の道路整備の都合上、自転車は車道と歩道を行ったり来たりする。その度に境目の段差を超えなければならないのだけど、これがとても滑りやすい。子供の頃、雨の日に何度かそれで転んで怪我をした。「遅刻してもいいから、気をつけて行きなさい」と思った。普段の自分ならあまり言わなさそうなそのフレーズが、とりわけ自然でしっくり来たので、かえって妙な気持ちだった。あとで考えて、それは昔よく母親から言われた言葉だったことに気づいた。

家に戻って、濡れて肌に張り付いたパーカーを脱いだ。身体はまたいつもの緩慢な状態に戻って「やる気」はどこかに行ってしまった。まあだからと言って何もしない訳にもいかない。それほど暇ではない、というか、何もしないままでいられるほどもう体力がないのかもしれない(何もしないでいるには実は体力がいる、これはたぶん力学的な話だ)。だから機械的に机に向かおう。機械的に、慣性に任せて。

案外、ロッキーもこれくらいの気分だったんじゃないか?



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